File 12 喧嘩してしまいました……
「シュリちゃん、怪我したんだって?」
「課長……はい、実はちょっと」
仕事中に少し隙を突かれて、幽霊に自殺に使った包丁で切りつけられてしまった。幸い深く無かったのだが大事をとって一日入院することになり、私はベッドに寝かされて大人しくしなければならなかった。
入院が決まって然程時間も経たないうちに、話を聞きつけたのか課長がやって来た。心配そうに私を見る課長に小さく苦笑してみせていると、今までずっと部屋の隅で不穏な空気を纏わせていた先輩が一歩踏み出して「おい」と低い声を出した。
「貴様、何故油断した」
「シン……?」
「数日前からずっと上の空。普段負うはずもない怪我をしたのもその所為だ。お前、何を考えていた?」
「……」
フードの下から鋭い眼光が向けられる。怒っているのは確実で、私はつい視線が合わないように俯いた。
「……先輩、買い被りすぎですよ。別にいつも通りでしたし、私の力が及ばなかっただけです」
「貴様、本気でそう言っているのか」
「はい」
心情を読み取られないようにへらっと笑ってみせる。しかし先輩は更に怖い顔になって大きく舌を打って踵を返した。
「どうやら俺の見込み違いだったらしいな。たかだかあんな攻撃を避けられないような使えないやつだとは思わなかった」
「……」
「おい、シン! そんな言い方は」
「足手纏いになるだけだ。怪我が治ろうがもう来なくていい」
それだけ言って、先輩は一度も私を見ずに、そして課長の声も無視して病室を出て行った。残された課長は少々怒ったように目を吊り上げて「あいつはまったく……!」とぶつぶつと呟く。
「あいつの言うことは気にしなくていいから」
「いえ……先輩の言う通りですから」
「そんなことあるか。あいつは怪我をした後輩に言っちゃいけない言葉を言った。……シンのことは後で俺がきっちり絞めておくから、シュリちゃんは大人しく治療に専念すること!」
「……はい」
怒った課長が足早に出て行くのを見送ると、部屋の中はようやく静かになる。
先輩に言った言葉は半分本当で、半分嘘だ。確かにここ数日ずっと頭の中には同じ言葉が回っていて、そのことばかり考えていた。けれど怪我をしてしまったのは、どんな理由があろうと結果的に私の力不足だ。先輩に失望されても仕方が無い。
「……先輩が、人殺しなんて」
信じられないし、きっとただの噂に過ぎない。それでもどうしても気になって、だけど本人に尋ねることなどできやしない。
私を助けようとしてくれた。そして妹が人を殺そうとしたのを止めてくれた。「人殺しになるつもりか」とそう言って。そんな先輩が誰かを殺すなんてあるはずがない。
……頭でそう結論は出ているはずなのに、ちっともすっきりしなかった。
□ □ □ □ □
「シュリ、大丈夫?」
「うん、大したことないから」
「あまり無理するんじゃないぞ」
課長が居なくなって一時間後くらいだろうか、最初にお見舞いにやって来たのは課長に話を聞いたらしいサナとコウジ先輩だった。
コウジ先輩との面識は殆どなかったが彼は私のことを覚えていたらしく「確かシンさんのパートナーだったよな」とにこにこと微笑みながら言っていた。……そうか、先輩関連なら覚えていそうだよね。
「……コウジ先輩、少し聞きたいことがあるんですけど」
「俺? うん、何かな」
「シン先輩の……その、噂とかって聞いたことありますか?」
「噂? ……ああ!」
そのコウジ先輩ならその噂も知っているんだろうか。そう思って尋ねてみたのだが、彼はぽん、と手を打ってその目を輝かせた。え、思った反応と違う。
「あの人は色んな武勇伝があるけど、やっぱり一番有名なのは人間界で多くの人間を助けたって話だよな!」
「え、人を助け……?」
「ああ。俺が死神になるよりも前の話だから俺も前のパートナーの先輩に聞いただけなんだけど、人間界であった大きな事件で人質になった沢山の人を守ったって話」
流石シンさんだよなあ、と誇らしげに言ったコウジ先輩。……それって、もしかして以前真島さんが言っていたテロ事件の話だろうか。けど先輩はそれを否定していたはずで、だったら別の事件があったのかもしれない。
どちらにしろあの噂とは全く違う。コウジ先輩はサク先輩が言っていた話を知らないのだろうか。
「ちなみに、先輩の悪い噂とかは……?」
「ああ、そっちもよく聞くけど」
「!」
「目付きがすごく悪いとかパートナーが何人も逃げ出してるとか上層部に鎌を突きつけて脅したことがあるとか」
「……」
すごい、悪い噂なのに何の尾鰭も付いてない。
□ □ □ □ □
サナとコウジ先輩が帰って来た後、ちょうど本部に来ていたというサク先輩とナオ少年、それに話を聞いたらしくクマさんがお見舞いに来てくれた。
「あんな訓練受けてたらそりゃあ怪我くらいするだろ」
「いや、別にこの怪我は先輩の所為じゃないんだけどね……」
呆れたような少年の声に苦笑した。先輩この子にびびられすぎである。部屋に入って来る時も挙動不審になるくらい先輩がいないか確認していた。
ちなみにクマさんは「金なくて何も買えなかったからこれ持ってきた!」とサイドテーブルに水の入ったコップを置いていった。風水的に厄を吸収してくれるらしいが……自分の死因なのにまだやるか。
「……あ」
クマさんが帰るといつの間にか眠ってしまっていたらしく、目を覚ますと窓から見える外は暗くなっていた。ぼんやりしながら上半身を起こすとサイドテーブルにコップと一緒に置かれていた通信機がカチカチと点滅しているのを見つける。
何か緊急で連絡でもあったのかと慌てて手に取ると課長から連絡が入っていた。時間を見ると二時間くらい前のものだ。
「『シンにはきっちり言っといたから安心して』って……」
一体何を言ったのかと余計に心配になった。先輩更に機嫌悪くなってるんじゃないだろうか。
……さっき、もう来なくていいと言われた。パートナーを解消されたも同然だ。あれだけ怒っていた先輩に何を言ったところで、もう先輩の気持ちは変わらないのではないだろうか。
「……嫌、だな」
悲しいとか苦しいとか、色んな気持ちが混ざった一言を口にした。
――唐突に、ノックも無しに部屋の扉が吹っ飛びかねないほど勢いよく開かれたのはその直後のことだった。
「……は?」
「おい」
突然のことに反応が遅れる。壊れそうな音を立てて開かれた扉の向こうに居たのは、非常に不機嫌そうな先輩だった。しかし驚くべきは、その先輩が何故か所々ぼろぼろになっているところだ。
ひょっとして課長にやられたんだろうか。さっき絞めておくとか言ってたけど……。
「課長って、もしかして先輩より強い……?」
「ふざけるな相打ちだ」
「それはそれですごい」
やっぱり課長って何者なんだろう。
現実逃避のようにそんなことを考えていると、ベッドの隣に置いてあったパイプ椅子を軋ませて先輩が座り込む。
「……」
「……」
じっと睨み付けるように無言で私を見る先輩に、居心地が悪くて視線を逸らす。何を言われるだろうかというのも怖いが無言で圧力を掛けられるのも怖い。
俯いたまま掛け布団を握りしめていると、突然頭上からため息と共にがさがさと何かを漁るような音がした。
「顔を上げろ」
「は、はい……むがっ」
有無を言わせない低い声に反射的に顔を上げると、その瞬間いきなり口の中に何かが突っ込まれた。温かい温度と僅かな塩味を感じてもぐもぐと口を動かすと、ちょっと硬いが食べたものがご飯であることが分かる。
未だに口元に押しつけられているものを手に取って見てみると、それは随分と不格好な形をしたおにぎりだった。
「なんでおにぎり……?」
「見舞いだ、何か文句でもあるのか」
「いや無いですけど……」
見舞いにおにぎりとは中々見ない。そう思って先輩を見ると「好きなんだろ」とどうでもよさそうに言われた。確かにおにぎりは好きだ。しかしこのおにぎり……硬いし形もぼこぼこである。かろうじて海苔は巻いてあるが、とてもお店で売っているとは思えない出来であえる。
……と、いうことはもしかして。
「これって……先輩が作ったんですか」
「炊き立ての方が美味いだろう」
「それはそうですけど」
炊き立てだろうと何だろうと正直買ったものの方が美味しい。塩は偏っていて味が濃い場所とまったく味がしない場所があるし、よほど強い力で握ったのか硬いはずの米同士が融合している。
「……っ」
でもこれは先輩が作ってくれたものだ。ご飯を炊くのはいつも私で一度も炊飯器を使ったことのない先輩が、昔ながらの亭主関白で料理なんて作ったことのないだろう先輩が、私が買っておいた海苔の保管場所なんて知らないはずの先輩が。
「……せ、先輩っ!」
「っおい、貴様何故泣く」
「だって、だって……!」
幻滅したはずの後輩の好きなものをわざわざ考えて、慣れない手作りをしてまで持って来てくれた。
そう思ったら、私は食べかけのおにぎりを片手に号泣してしまっていた。
「せんぱい……すてないでくださいー! わたし、わたし、せんぱいのパートナーがいいです……っ」
「……落ち着け」
「ちょっとうそついてごめんなさいー!」
ぼろぼろと目からこぼれ落ちる涙はちっとも止まらない。何度もしゃくり上げながら涙を拭っていると、不意に頭に重たい何かが乗せられた。乱暴に髪をぐしゃぐしゃにされる。
「泣くな。……悪かった」
「!」
「少し言い過ぎたのは認める」
滲んだ視界の中で先輩を見上げる。頭に置かれていた手が離れ、子供のようにローブの袖でごしごしと顔を拭われる。酷い顔をしているだろうが、先輩はそれを気にした様子もなく「食え」と手元のおにぎりを示した。
……再び口にしたおにぎりは、さっきよりもしょっぱい。
「貴様が逃げん限りパートナーを代えるつもりはない」
「先輩……」
「が、他のことに気を取られて怪我をしたのは許さん。今度こそ吐いてもらうぞ」
「え」
「ここ数日、何か言いたげにちらちらと俺を見ていたな。それだけならともかく仕事に支障が出るようなら見過ごせん。いい加減はっきりしろ」
……気付かれていた。先輩も自分に関係することだと分かっているからこそこんなに追及してくるのだろう。吐くまで動かないとばかりにじっと睨み付けられて、私は絶対に言わないでおこうと思っていたのに簡単にそれが揺らぎそうになった。
「さっさと吐け」
「先輩が、嫌な思いをします」
「お前が黙っている方が腹立たしい、早くしろ」
「……噂を聞いて」
「何だ」
「先輩が……先輩が、人を殺したって」
「……」
言ってしまった。嘘ですよね、ただの噂ですよねと続けたかったのに、目の前の先輩は怒りもせずに黙っているだけだ。いくら待っても否定の言葉はやってこない。
すっと、静かに先輩が目を伏せた。
「――事実だ」
「!?」
「俺は過去に人間を殺している」
「な……なんで、そんな」
「完全な私怨。殺したくて殺した。それだけだ」
呼吸が止まる。信じたくないのに、本人から完全に肯定されてしまった。それも、殺したくて殺したとはっきりと口にして。
僅かに俯いた先輩の表情はフードに隠されて見えない。何を考えているのか、何も読み取れない。
「……本当は俺にお前の妹を止める権利はなかった。俺も、あいつと同じだったからな」
「同じって」
「復讐……いや、そんなことを考える時間もなかった。気付いたら、殺していた」
「……先輩」
「生前、俺には許嫁がいた」
その言葉にはっと先輩を見ても、相変わらずその顔はフードに隠されたまま。そのまま、淡々と感情の籠もらない声で話は続いた。
「八重という、五つ年下の大人しいやつだった。結婚する前に俺が死んで……だが残されたあいつをそのまま放っておけなかった」
「もしかしてその八重さんを見守る為に、先輩は死神に」
「ああ。……八重はその後見合いをして、結婚して、子供も孫も出来た。俺が居なくても幸せそうで……安心した」
本当に、安心しただけなのだろうか。……きっとそれだけではないだろう。寂しさだって、苦しさだってあったんじゃないだろうか。私だったら、きっとそう思ってしまう。
「このままあいつは幸せなまま人生を終えることができるとそう思っていた。だが、八重が七十になったあの日……あいつは殺された」
「……え」
「俺の目の前で殺されたんだ。そして……気付いた時には犯人を殺していた」
小さな声で「あの時も、間に合わなかった」と呟いたのが聞こえた。
言葉が出なかった。何を言えばいいのか分からず、私も同じように俯いて布団の上で両手を強く握り込んだ。
悲しかったですね、それなら殺してもしょうがないですね……そんなこと、言ってどうなる。まして私は自分の為の復讐を拒んだ側だというのに。
そうして黙り込んでいると、不意に目の前の黒が僅かに動いた。
「さっきの言葉、撤回しても構わない」
「え、さっきのって」
「お前がぴーぴー泣きながら言った言葉だ。人殺しと一緒に居たくはないだろう」
はっと顔を上げると、俯いていた先輩と目が合った。何の感情も浮かんでいない目に一瞬怯え、そして怯えてしまった自分に苛立ちを覚えた。
さっき言った言葉。先輩のパートナーがいいと、捨てないでと子供のように泣きながらそう言った。だというのにあっさりと手のひらを返すように怯えるのか。
噂は本当だった、先輩は人を殺している。勿論そのことに大きなショックを受けたのは紛れもない事実だ。……怖いと、少しでも思ったことも。
でも、それでも、私は。
「ふ、ふざけないで下さいよ!」
「……」
「今までさんざん滅茶苦茶な教え方しておいて……私この前サク先輩に引かれたんですからね! 普通の死神はそんなことしないって! あれが当たり前になってるのに、今更他の誰とパートナー組めっていうんですか! 責任取って下さい!」
ばふ、と気の抜ける音を立てて布団を叩く。ああもう、これが普通の机だったらもっと今の怒りを分かってもらえるのに! 小さなサイドテーブルはクマさんのグラスが邪魔をしていて叩けない。
きっ、と先輩を睨み付けて逃がさないようにローブの袖を強く掴む。
「スパルタで、無茶苦茶で、理不尽で短気でおにぎりも綺麗に作れない先輩だけど、あなたは私の先輩なんです! たとえ今聞いた過去があったって、何が変わるって言うんですか!」
「……お前」
無言で睨み合う。目を逸らしたら負けだと思ってじっと睨み続けていると、不意に視界の端で先輩の手が動いた。
「いった!」
油断していたらいつものようにはたかれた。
「誰が理不尽で短気だ貴様」
「今まさにこの瞬間のことですよ! それとおにぎり自体は嬉しかったですけどご飯かなり硬かったです!」
「炊けた時にはああなっていた。が、食べ物を捨てるなど言語道断だ」
「だったらちゃんと炊飯器の使い方覚えて下さいよ、もう……」
この際他の文句も言ってしまえとおにぎりの件も打ち明ける。いつものような軽口を続けていると何だかおかしくなって来て、怒っていたはずなのにどんどん口元が緩んでしまう。
先輩が私を見下ろして呆れたようにため息を吐く。仕方が無いやつだと、そんなことを言いたげに。
「……馬鹿なやつだ」
「馬鹿はどっちですか」
「お前だ」
「先輩です」




