File 10 こたつとご飯!
「いいなあ」
「……クマさん、何やってるんですか」
ある冬の日、商店街にてショーウィンドウにべったりと張り付いていたクマさんに出会った。
「おおシュリちゃん! あれ欲しいなあーって思ってさ!」
「あれ? ……あ、こたつ!」
クマさんがいたのは家具屋の前で、そのショーウィンドウには日本人の魂、こたつが堂々と展示されている。四角いテーブルにオレンジ色の布団が掛けられたそれを見た瞬間、思わず私も張り付きそうになった。
「こたつ……もう冬ですからねえ」
「欲しいけどたっかいんだよなあ」
「……ホントだ」
こたつを見てふやけそうになっていた表情が値段を見て真顔になる。給料丸々五ヶ月分だ。待っていたら春になってしまう。
余談だが、死神にも一応寒いとか暑いという感覚はある。普通の人間よりもある程度鈍いので極度の温度の差がなければ比較的問題はないのだが。
しかし滅茶苦茶寒くないからと言ってこたつが魅力的に見えないかというとそうでもない。人間の時の感覚が残っているということもあるが……ほら、こたつって謎の魔力があるから。
「来年まで貯めるか、それとも諦めるか」
「けど、このサイズだと買っても俺の部屋ほとんどが占領されちゃうなあ。もう少し広い部屋になるまで諦めた方がいいかもな」
死神が住む部屋は、研修中は本部の寮、そして実際に死神になれば少し離れた場所にあるアパートへと移ることになっている。最初に与えられた部屋は六畳一間で、そこから十数年経つか、もしくはお金を払えばもっと早く少し広い部屋になる。更にアパートから出て一軒家などに住む場合はもっとお金と年数、加えて死神としての貢献度が必要になるという。
私は勿論まだ六畳一間だ。多少は貯めているものの新しい部屋にはほど遠い。更にこたつを優先するなら引っ越せるのはずっと先になるだろう。
……いや、その前に食べ物を我慢する癖を付けなければいけないんだけど。なんで研修中の私ずっと食べないで居られたんだろう。
□ □ □ □ □
クマさんとそんな話をした数日後。その日は夜から朝に掛けての任務で、私は徹夜で眠い頭を覚醒させるように一方的にどうでもいい話を続けながら死神界へと戻ってきた。
「そういえば先輩の家ってやっぱりアパートじゃなくてもう一軒家ですか?」
「そうだが」
先日の会話を思い出して尋ねるとやはり頷かれた。こんなに長い間死神やってて凄さは折り紙付きなのだから、先輩が一軒家に住んでいなかったら誰も住めてないと思ってはいた。
「へー、どんな家なんですか? 自分で色々外観も内装もいじれるんですよね?」
「忘れた」
「……は?」
「与えられてから何十年も帰っていないからな」
「はあ!??」
一軒家なのに? 何十年も帰っていない?
「馬っ鹿じゃないですか! てあっ!?」
「誰が馬鹿だ貴様」
思わず飛び出した本音に頭を叩かれる。眠かったのに今の発言と痛みで目が覚めた。
「……じゃあなんでわざわざ一軒家に?」
「上が住めと勝手に渡してきたものだ」
「う、羨ましい……じゃあ普段はどこに?」
「いつもの高台」
「はい?」
いつもの高台って言ったら、そりゃあ先輩がいつもいる人間界を見下ろせるあの場所で間違いない。
つまり一言で言えば、外である。確かにいつもいるなとは思っていたが、まさかあんな所で暮らしているなんて誰が思うんだ。
「な、なんでそんなとこに」
「別に人間じゃない。風邪を引く訳でもないから外でも問題ない」
「やっぱりこの人おかしい!」
数年ぶりに改めて確信してそう言ってしまった。
「家あるのにわざわざ外で暮らすなんてもったいないことを」
「……ならお前が使うか?」
「は?」
「もったいないと言うのなら貴様が住めばいい」
さっきから一体何言ってるんだこの人は。
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「……でかっ!」
シン先輩の自宅らしい場所に連れて来られた私の第一声である。庭に池があるようなすごい立派な日本家屋だった。分かってはいたが私の家との差が……。
「なんでこんな良いお屋敷を放置……」
「言っただろう、上が勝手に用意しただけだ。他の死神の競争意欲を煽る為にな」
頑張って仕事をすればこんないい家がもらえますよーという宣伝の為のモデルケースに使われたらしい。転生する時に願い事を叶えることといい、ホントにこき使う為なら手段を選ばないな。
先輩に促されて家の中に入る。人間界とは違う為か、何十年も使われていなかったというのに埃は一切見当たらない。多分この死神界にはダニとかカビがそもそも存在していないのだろう。家具は一切置いていないので余計に広々としているように感じる。
「え……本当にここ使えって言ってます?」
「何か問題があるのか」
「大ありですよ! こんな大きな家ぽんってもらっても申し訳ないし困ります!大体上司から貰ったんなら尚更私が使うとかおかしいですからね?」
「じゃあどうしろと」
「だから! 先輩がちゃんと住んで下さいって言ってんですよ! ……うわ面倒って顔しないで下さい!」
「お前があの眼鏡と同じことを言うからだ」
「課長にも言われてるんじゃないですか、もう……」
シン先輩のような実力もあって有名らしい死神が外で寝ているなんてことが公になったら色々と本部に文句を飛んでくるだろう。コウジ先輩のようにシン先輩に憧れている死神は結構いるようだし。課長も頭を抱えているだろう。
「こんな良い台所もあるのに宝の持ち腐れ……」
「だからお前が」
「とにかく、ちゃんと最低限人間らしい生活して下さいよ。家具とかも置いて……あ、そうだ先輩! この前こたつ売ってるの見たんですよ!」
「……こたつ」
「いいと思いませんか? 寒い冬に温かくてふかふかのこたつ。ぬっくぬくしながらみかん」
「……」
「ほら、段々入りたくなって来ませんか?」
家があるのにホームレス状態の先輩をどうにかしようとこたつで誘惑する。先輩が日本らしいものと美味しいものに弱いことは結構前から知っているのだ。私には無理でも先輩の給料なら買えるはず。……そしてたまに私も入らせてくれると大変嬉しい。
下心は隠して、更に畳み掛けるように追撃を掛ける。
「おまけに自宅でご飯を炊けば、わざわざ買いに行かなくても好きな時にほかほかのご飯が食べられますよ! どうです!」
「……そこまで」
「ん?」
「そこまで言うのなら、住んでやってもいい」
よっしゃ落ちた。先輩が案外チョロくて思わず笑いそうになるのを堪えて微笑んだ。
「ただし条件がある。飯を作れ」
「え?」
「何だ、作れないのか」
「いやまあ、これでも一人暮らししてたんで人並みにはできますけど」
一応スーパーのような場所で食材も売ってはいるし、アパートの共用スペースにキッチンはあるが、死神になってからはまったくと言っていいほど料理はしていない。まあ食べなくても死なないので食べたいなと思った時にちょっと屋台などに寄るだけなのである。
「で、何が食べたいんですか? 料亭のような料理は作れませんよ?」
「味噌汁」
「味噌汁くらいなら作れますけど」
商店街の店で味噌汁ぐらいなかったかとも思ったが、飲んでみて好みじゃなかったらしい。曰く「ああいうのはもっと雑なやつでいい」とのこと。……雑な物を作ると思われているらしい。確かに本格的なものは作れないけど。
「なら今から買いに行くぞ。着いて来い」
「え、私も行くんですか?」
「お前が買えと言ったんだろうが」
段々眠気が戻ってきたので帰って寝たいんだけど……。しかしそう文句を言った所で有無を言わせずひょい、と荷物のように抱えられた。
「仕方ないから着くまで寝てろ」
「ええ……」
この人ホントに言い出したら聞かないなあ……。ずっと年上なのに子供みたいだ。
□ □ □ □ □
「どれにするかお前が選べ。金ならどうせ有り余っているから気にする必要はない」
「うわあ嫌な人だ」
商店街へ運ばれた後、例によって地面への直撃で目を覚ます。一気に覚醒して痛む顔と体を擦りながら、私と先輩は家具屋の前までやって来た。
ちなみに買ったものは持って帰るのではなく家へ自動で転送してくれるらしい。鎌で魂を回収する技術といい、そういうよく分からない謎技術は人間界よりも発達している。
「先輩!こたつこたつ!」
「はしゃぐな」
こたつは前と同じくショーウィンドウに展示されており、私はつい先輩のローブを思い切り引っ張って興奮気味に話し掛けてしまった。「服が伸びる」と文句を言われる。
店の中に入ると、ショーウィンドウに展示されていた物の他にもいくつか別のこたつが売られていた。が、最初にあれに一目惚れしてしまった為私は真っ先に同じ物の所へ行き、これがいいと主張した。
「どうですか?」
「まあ、悪くない」
「でしょう!」
「なんで貴様が偉そうにする。買って来るから大人しく待ってろ」
「はい!」
わくわくしながらレジに向かう先輩を見送ろうとする。と、先輩が数歩離れた所でふと背後から聞こえてきた会話が耳に入ってきた。
「……あの黒い人ってシンさんよね? あの子、まさかあんな高いもの買わせてるの?」
「死神歴の長い私達だってあんなの買えないのに貢がせるなんて……まったく、最近の若い子は卑しいったら」
こそこそと聞こえてくる会話にそっと振り返ると、そこに居たのは私よりも年下に見える女の子二人だった。私が自分たちを見たのに気付くと「うわー、睨まれた」「怖いわー」と更に煽るようにひそひそ話している。
……確かに私が選んだけど別に私の買い物じゃないし。端から見ると貢がせてるように見えるかもしれないけど……あーあ、噂になるのかな、これ。どうせ否定したところで突っかかられたとか別の噂流されるだけだろうしなあ。
それ以上その人達を見ていたくなくて視線を前に戻すと、レジに行こうとしていたはずの先輩の足がぴたりと止まっていた。
あ、そういえばこの人結構地獄耳だったと思った瞬間、振り返った先輩がぎろりと私を……じゃなく、その背後にいる女の子達を睨んだ。
その瞬間、背中から悲鳴が上がり女の子達はどたばたと音を立てて店から逃げるように出て行ってしまった。
「先輩」
「ふん……あの程度で逃げるなど死神として問題だな」
「いや、先輩だからしょうがないんじゃないですかね」
一度私の傍に戻ってきた先輩が苛立たしげにそう言い、そして今度は間近で私を見下ろして睨んだ。
「先輩顔怖いです」
「だが貴様は逃げんだろうが」
「だって慣れてますし」
「慣れるほど睨まれることをやらかしているという事実をまず自覚しろ」
「……そういえばそうですね」
「まったくこいつは……」
冷静になって頷くと、睨まれることはなくなったが心底呆れたような目で見られた。でも、結構理不尽なことで睨まれることも多いと主張したかった。
そんなことを考えていたら、先ほどの女の子達のことなどいつの間にか忘れてしまっていた。
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その後、炊飯器や冷蔵庫などの家電も購入してからスーパーで食料品の買い物を済ませた。先輩がカゴを持ってスーパーを闊歩する姿がものすごくシュールでこっそり爆笑してしまったことを言っておく。……すぐにばれたけど。
そしてそれが終わればようやく先ほどの先輩の家へ帰る。既に届いていた冷蔵庫を動かしたり(死神の人外な力はこの辺役に立つ)家具を設置したりしてからご飯を作り始める。
と言っても味噌汁だけなら然程時間も掛からない。出来上がったのは早炊きした白ご飯と大根の味噌汁、ついでに美味しそうだったのでつい買ってしまった塩鯖である。
更に生卵を加えて居間まで運ぶと、既に温かくなっているこたつに先輩が猫背になって入っていた。ちょっと可愛く見えてしまう。
「先輩、ご飯ですよ」
「ああ」
まだ運ぶものがあるというのに全く動く気がない。この亭主関白め。先輩の時代にはそういう概念も無かったのかもしれないが。
全てテーブルに並べ終えると私もようやくこたつに入ることが出来た。あったかい、幸せ。
同時に「いただきます」と手を合わせてごはんを食べ始める。
「どうぞ、先輩の言う雑な味噌汁ですが」
「ああ」
「皮肉で言ったんですけど」
私の声を意に介す様子もなく、先輩は黙々と味噌汁を啜り、白米を口に入れ、鯖の骨を取っている。箸を止めない姿を見て少し嬉しくなった私も同じくぱくぱくと食べ始める。おいしい。
「先輩の時代は知りませんけど、今の卵は生で食べられるんですよ」
「それがどうした」
「つまり卵かけご飯最高ということです」
持ってきた生卵をほかほかのご飯に乗せて醤油を掛ける。こんなにシンプルなのに最高に美味しいというこの日本食の神秘。
行儀悪く掻き込むように食べていると、いつの間にか箸を止めていた先輩がじっとこちらを見ていた。
「……おい」
「何ですか」
「おかわり持って来い」
「今食べてるんですけど」
「だから何だ。家主の言うことが聞けんのか」
「さっきこの家ぽいっと渡そうとした人の発言じゃないですね……」
仕方なく手を止めてお茶碗を受け取る。そしてご飯をよそって来ると、先輩はそれを受け取ってすぐに卵を乗せ始めた。……そんなに食べたかったんですね。
「先輩、家で好きな時に美味しいご飯が食べられるって幸せだと思いませんか」
「思うな」
「めっちゃ素直……だから、これからはちゃんと外じゃなくて屋内に住んで下さいね」
「なら貴様もちゃんと飯を作りに来い」
「毎日は無理ですよ? たまにですからね?」
「おかわり」
「先輩人の話聞いてます?」
今度は味噌汁をご所望らしい。まったくもう、とお椀を受け取って台所へ持って行く。少し温め直してからよそい、そして戻って居間の引き戸を開けようとしたところでふと我に返った。
「なんかすごく夫婦みたいなことしてないかこれ……」
ぽつりと呟いてから恥ずかしいことを言ったと自覚する。いやだって、ごはん作って顔を合わせながら食べて、おかわり持って行ったりして……そんなことを考えていたら味噌汁を作れという言葉ですらそれ以上の意味があるような気がしてしまって、赤くなった顔を覚ますようにぶんぶんと首を振った。
「先輩、お待たせしまし」
「茶が無くなった。おかわり」
「一度に言ってくれませんかね!?」
それから、一週間に一度ほど先輩の家にご飯を作りに行く習慣ができることになってしまった。
※先輩は地獄耳です。




