File 9 本日は一人です
「……一人かー」
先輩が入院中の為、今日から少しの間一人で仕事をすることになった。当たり前だがいつもの高台に行ってもそこには誰もおらず、私はつい小さくため息を吐いて人間界へ降りた。
今日の仕事は浮遊霊を探す為に人間界の巡回だ。人混みを進みながら浮遊霊がいることの多い暗めの路地や病院を周り、特に逃げられることもなくあっさりと三人の魂を回収する。
「先輩大人しく入院してるのかなー……ん?」
あのシン先輩が大人しく医者の言うことを聞くかと言われると黙って首を横に振る。他の人を困らせてないといいけど、と思いながら浮遊霊探しを続けていると、不意に視界の端に何かを見つけた気がしてそちらを振り返った。
人々が行き来する大通り。その通りを挟んだ向こう側に見つけたのは、以前先輩がじっと見つめていたことのあった茶髪ロングの女の人だった。
「……」
前に見たときも思ったが綺麗な人だ。先輩と何か関係がある人なのか、それとも単に見惚れただけなのか。何にせよ気になるというか面白くない……って何を考えてるのか。
考えを振り払うようにぶんぶん頭を振っていると、通りの向こう側で突然女の人が後ろを振り返って嬉しそうに笑顔を浮かべた。そしてすぐに彼女の隣に小走りに男性が並ぶ。
「あの人、恋人……かな?」
二人は随分親しげなようで彼女が男性に寄り添うようにして歩いている。……うん、恋人だろうな。そうに決まってる。
うんうんと一人納得するように頷く。妙に落ち着いた心に気付かない振りをして、さっさと仕事に戻ろうとしたその時、今度は別の顔見知りを見つけて「あ」と小さく声を上げた。
「真島さん、こんにちは」
「!? ……なんだ、死神の嬢ちゃんか」
ハンバーガーショップの前にいた真島さんは周りに聞こえないくらいの小さな声で「よう」と片手を上げた。
「珍しいな、いつもの黒いやつはいないのか」
「ちょっと色々ありまして……。真島さんこそ今日は一人なんですね」
「いや、店の中にいる。何買うかずっと迷ってやがったから先に出てきたんだよ」
そう言って真島さんは手に持った紙袋の中からポテトを一つ取って食べる。
「……おいしそう」
「なんだ、死神もそういうこと思うのか」
「元人間ですから」
「先輩、お待たせしました! 期間限定もいいけどやっぱりいつもの選んじゃいましたー」
「あ、ゴンさん……って!」
店から出てきたゴンさんに気付いて振り返ると目が合った。しかしそれはゴンさんとではない。そもそも彼は私の姿が見えない。
じゃあ何と目が合ったかって、それは……彼の背後にくっつくようにしっかり取り憑いていた三十台後半の女性の霊と、である。
一瞬、お互い間を開けるように沈黙した後、二人同時に止まっていた体を動かし始めた。
「し、死神!!」
「待て!」
ばっとゴンさんから離れて素早く逃げ始めた浮遊霊に、私も即座に鎌を取り出して彼女の後を追いかけた。背後で「急に何だ?」と真島さんの不思議そうに呟く声を聞きながら、人混みの中を逃走する女性を見失わないように必死に走る。
「逃げないで下さい! 成仏させるだけですから!」
「嫌よ! 私まだ可愛い男の子に取り憑いていたいんだから!」
「いい大人がなに我が儘言ってるんですか! 取り憑かれた人の迷惑も考えて下さい!」
ああもうこの人結構早い! 自転車も追い越すスピードで逃げる女性を追いかけて歩道橋を駆け上がる。と、急に女性がこちらをちらりと振り返って小さく笑い、そのまま歩道橋の上からふわりとその体を宙に投げた。
幽霊である彼女はある程度宙に浮くことが出来るし仮に落ちても痛くもない。反して死神は空中浮遊をすることは不可能だし落ちればそれ相応の衝撃がある。
だからこそ逃げられると思っての笑いだったのだろうが、それを見た瞬間に私は一瞬かちんと来て……しかし、すぐに同じように挑戦的に笑い返した。
「飛ぶんだったらマンションの屋上辺りにするべきでしたねっ!」
「え……!?」
普段どれだけ高い場所から突き落とされてると思っているのだ。歩道橋ぐらい階段を三段飛ばしにしたようなもの。
私は浮遊霊の女性を追って同じように歩道橋の手すりに足を掛けて飛び、そして驚く女性に向かって振り上げた鎌を思い切り振り下ろした。空中で魂をキャッチして地面に着地すると、私は無意識の内に背後を振り返って口を開いていた。
「やりましたよ先輩! ……あ、居なかったわ」
渾身のどや顔だったがそこには誰も居なかった。せっかく上手く浮遊霊を捕らえて上がっていたテンションが途端に下がっていく。
……別に先輩に褒められたくてやっている訳ではないしそもそもそう簡単に褒めてはくれないが、普段厳しい視線で私の動きを監視している先輩の姿が見えないと何だか落ち着かない。
「おい、急にどうしたんだ」
「真島さん?」
肩を落として小さくため息を吐いていると、追いかけて来たのか真島さんとゴンさんが小走りで私の元へとやって来た。ゴンさんは少し話を聞いたらしく「先輩、シュリちゃんどこに居るんですかー?」と首を傾げていた。
周囲の人が驚かないようにこっそりバッチを付けて姿を見せると、ゴンさんは少し嬉しそうにひらりと手を上げた。
「ゴンさんに取り憑いてた浮遊霊の魂を回収したんですよ」
「え、俺取り憑かれてたの!? そういえばさっき突然肩が軽くなったような気がしたけど……」
「最近肩こりが酷いとか言ってたしな。だが、あんなスピードで走ったり飛んだり、死神っていうのはあんなことも出来るのか」
「私はまだまだですよ。先輩の方がずっとすごいですから! バイクよりも早く走るし、この前なんて普通の降りるのが面倒だからってビルの屋上から飛び降りてましたし」
「ええ……死神こわい」
若干引くように驚いている二人に少し笑う。そういえば私も最初はそんなこと思ってたな。今はというと完全に死神的な思考にずれているが。
「ところで……一つ聞きたいことがあるんだが、死神っていうのは黒い服が多いのか」
「え? ああはい、黒というか暗い色が殆どです。先輩ほど真っ黒な人は中々居ませんけどね」
「……そうか」
「真島先輩、黒い服が何かあるんですか?」
「お前は聞いたことないか。黒衣の死神の話」
「何ですそれ?」
「昔、俺が警察に入るよりも前の話らしいが、とある大きなテロ事件で死神が現れたって警察の中で噂になったらしい。その死神が事件を解決したとか何とか」
「テロ事件?」
「詳しい話はちっとも伝わってないが。俺も最初聞いた時はただの都市伝説だと思っていたんだが、こうして本当に死神がいるからな。もしかしたらお前の先輩とやらの仕業かと思ったんだが」
「シン先輩が……?」
確かに先輩は見るからに真っ黒だし、テロ事件を解決できそうな力はありそうだが。けれどあの先輩が人間の事件に積極的に介入する姿はあんまり想像しにくいような。……私を助けようとしてくれたんだから正義感はあるとは思うが、失礼ながら戦隊レッド的なヒーローキャラではないのは確かである。
今度本人に聞いてみようと頷いて、そろそろ仕事に戻らないとと私は二人と別れた。
□ □ □ □ □
「……やーっと終わったー」
ようやく終わった巡回はいつもよりもずっと長く感じた。死神界へ帰って大きく伸びをしてから、私は少し買い物を済ませて協会本部へと向かった。
「失礼します、先輩……ああー、やっぱり」
ノックをしても反応が無かった時点でそうだろうなと思っていたが、病室の扉を開けるとそこはやはりもぬけの殻だった。私はため息一つ零すと踵を返し、本部を出ていつもの場所へと向かうことにした。
こちらも案の定、いつもの高台に真っ黒な塊が遠目からでも見えてくる。
「もー。先輩、絶対に抜け出してると思ってましたけど期待に応えないで下さいよ」
「……ああ、お前か」
「せっかくお見舞いに林檎買ってきたのに、無断で退院するくらいならいりませんよね?」
「貰う」
いらないのなら後で私が食べようと思ったのに。特に迷うことなく即答した先輩をつい小さく睨み付けながら買ってきたばかりの林檎を手渡して隣に腰掛けた。
買ってきたのは林檎だけではない。私は持っていた袋を漁って、その中からハンバーガーとポテトを取り出してがさごそと包みを開け始めた。うん、あの二人に影響されました。
死神界では本格的な料理はあまり売っていないのだが、こういったジャンクフードは手軽だからか需要が高いのか分からないが手に入りやすい。
「そういえば先輩」
「何だ」
「先輩って昔人間界のテロ事件とか解決したことありますか?」
「……テロ事件」
「はい、詳しい話は真島さんも知らないみたいですけど」
「誰だそれは」
「前に会った警察官の人ですよ、覚えて下さい。あの名前が少し特徴的な人です」
「思い出した」
「それは覚えてるんですね」
あの名前のインパクトは先輩にも通用したらしい。
「それでどうなんですか? そんな大きな事件、華麗に解決しちゃったんです?」
「……解決などしていない。それより」
「ん?」
「それはどういうものだ」
先輩が私の手の中にあるハンバーガーを示す。事件の話をあっさり横に置いてこちらの方が気になるのか。林檎だって食べかけだというのに。
ちなみに買ってきたのは一般的にハンバーガーと聞いて真っ先に想像しやすい普通のやつだ。本当は照り焼きチキンが入ったものが一番好きなのだが流石に売っていなかった。
「ハンバーガーです。聞いたことありませんか?」
「名前は人間界で聞いた」
「パンにお肉とか色々挟んだものです。先輩が気に入るかは分からないですけど、私は好きです。何なら一口食べてみますか?」
先輩がこくりと頷いたのを見てハンバーガーを小さく割ろうとする。が、しかしそれよりも早くぬっと顔をこちらに近づけた先輩が片手で私のハンバーガーを掴み、そして一気に半分ほど頬張った。
「うわあああ何するんですか!!」
「お前が食べるかと聞いたんだろうが」
「誰がそんなに上げるって言ったんですか! ちょっとですよちょっと!」
「一口は一口だ」
「だからその一口を分けようとしたのに! 食べ物の恨みは恐ろしいんですよ! 私これでも死人なんですから祟りますよ!?」
「死神が悪霊になろうとするな」
本気で怒っていると食べられた断面からソースが垂れそうになって慌てて口に運ぶ。……いや、流石に中学生とかじゃないんだから食べかけを食べるとかは気にしない。しないが、そもそも食べかけであることが許せない。
もそもそと食べていると隣から「悪くないな」と声が聞こえて少しだけ怒りが収まった。
「先輩お金あるんですから自分でちゃんと買って下さいよ。後輩に集らないで下さい」
「今度な」
「というか先輩案外食べますよね。課長曰く昔はそんなに食べて来なかったらしいですけど」
しかも意外なことに日本料理は勿論だがそれに限らず色々と食べる。この前のラーメン大盛りにも驚いたが、やはり美味しいものには先輩ですら勝てないのか。結構俗っぽい所もあるものだ。
「……お前の所為だろうが」
「ん?」
「なんでもない」
咀嚼していてちょっと聞こえなかったタイミングで何か小さく呟かれたが、思考がハンバーガー美味しいという方向に寄っていたのであまり気にしなかった。
「……先輩、私今日一人で仕事したんですよー」
「知っている」
「今日は巡回で、浮遊霊も結構捕まえたんですよ。歩道橋から飛び降りながら空中キャッチとかして」
「歩道橋程度で何を言っている。あんなのは階段を降りるのと一緒だ」
なんか微妙に思考が似通っているのにちょっと笑った。私はまだ三段飛ばしだが。
「怪我もちっともしなかったし、先輩が居なくても頑張ったんです」
「何が言いたい」
「褒めて下さい」
「……」
いや、本当に結構頑張ったんですよ? 先輩が居ない時に怪我なんかしたら「俺がいないとそこまで気が緩むのか、教育のし直しだな」とか言われかねないし。
だがまあ所詮は軽口である。本当に褒めてもらえるなんて思っていないし、普通に「調子に乗るな」で片付けられるだろう。
そう思っていた矢先、不意に先輩の手が頭の上に乗った。叩かれる訳でもなく押さえつけられる訳でもなく、ただ、くしゃりと撫でるように髪に触れられる。
「よくやった」
「……っ!?」
無表情のまま先輩が私を見下ろしてそう言った。その瞬間、ぶわっと急激に顔が熱くなるのが触らなくても分かった。
何が起こった、夢か。
「え、……は?」
「……お前が褒めろというからたまにはと思ったが、何だその反応は」
「い、いやだって!」
だってそんな本当に褒めてくれるなんて思わない。冗談だったのに、と赤くなった顔を見られないように俯いて、しばらく熱が冷めるのを待った。
これは普段とのギャップで驚いてるだけだ。そうに決まってる。……多分、恐らく。
「……あ、明日からも頑張りますから!」
「そうか」
ようやく熱が下がって顔を上げるとポテトが殆ど無くなっていて、再び口論が繰り広げられたのは言うまでも無い。
□ □ □ □ □
翌日、先輩は課長やら医者やらの反対を紙でもはね除けるように一蹴し、当然のように仕事に復帰した。
「何ぼさっとしている、もっと早く走れ!」
「これ以上は無理です!!」
いつものように背後から聞こえる先輩の厳しい声に、昨日感じた寂しさは完全にどこかへ吹っ飛ばされた。
……うん、もう一日ぐらい一人でもよかったかもなんて思ったりしないでもない。




