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File 8 囮になりました


「ああシン、シュリちゃん帰って来たか。じゃあ次はこっちの仕事を……」

「課長……何か最近、妙に忙しくないですか?」



 一度任務が終わって軽い報告がてら課長の部屋を訪れると、彼は酷く慌ただしい様子ですぐに次の仕事の資料を差し出してきた。端末に入力する暇もないらしい。

 そもそも最近私達もやたらと仕事が立て込んでいるのだ。何かトラブルでもあったのだろうかと思って尋ねてみると、課長はずれた眼鏡を雑な動作で持ち上げて「別にトラブルではないんだけどね」と疲れた様子で一つため息を吐いた。



「実は最近死神だった子達が続けて何人も定年を迎えて退職してしまってね……寿命の関係上ずらすこともできないから人手不足になってるんだよ」

「あー、そういうことですか」

「もうすぐ次の研修も終わるから、それで新人が来るまではもう少しこの状態が続くと思ってくれ」

「……死神になりたての新人がすぐに使えるとも思えんがな」

「そんなこと言うならシン、お前がもう一人ぐらい新人教育してみるか?」

「断る。このやかましいので手一杯だ」

「やかましいは余計です!」



 押さえつけるように頭に手を置かれ、逃れるようにばたばたと手を動かす。「君らホントに仲良くなったなあ……」と感心混じりの声が頭の上から聞こえてきた。思い切り頭を押さえられていじめられているのに何故そう思う。



「まあどうせシンが指導してもシュリちゃんのようにはいかずにすぐに逃げられるだろうけど……。あ、ごめんちょっとこれから転生する死神について会議があるんだ。だから今渡した任務やっといてくれ」



 私がようやく先輩の手から解放されると、課長は慌ただしく荷物を纏めてすぐさま部屋を出て行った。本当に忙しそうだ。



「おい、俺達もさっさと行くぞ」

「はい!」



 そして私達も主のいなくなった部屋から出て、徐々に日が落ちていく中もう一仕事する為に人間界へと向かう。

 協会本部を出て商店街を抜けながら、私は先ほど課長が言っていた言葉を思い返す。

 死神が退職する。つまり本来の寿命まで働ききって、代わりに転生する時に願いを叶えてもらえる。会議もそのことについてだろう。私はまだ願い事を決めていないが、転生する人達は一体何を願うのだろうかと気になる。



「先輩、先輩は転生する時の願い事、何にするんですか?」



 手始めに一番身近な死神に尋ねてみると、彼は間を置かずに「考えていない」と口にした。


「え、決めてないんですか? 百年もやって来て?」

「何か文句でもあるのか」

「なんで一々凄むんですか……文句はないですけど意外だっただけですって」

「次の生で望むことなど特にない。それだけだ」

「えー、じゃあなんでわざわざ死神になったんですか?」

「……」

「先輩?」



 願うこともないのにどうして死神になったのか。まさか先輩が私のように課長に言いくるめられたとも思えずに問いかけると、彼は暫し口を閉ざした。



「先輩ってば」

「貴様には関係ない」



 あまりの無反応に先輩のローブを引こうとしたその直前、僅かに首を動かして私を見た先輩は酷く冷たい声でそう吐き捨てた。

 はっきりとした拒絶。今までどれだけ暴言を吐かれようがなかったそれを感じ取って、私はそれ以上何も言えなかった。







 □ □ □ □ □







 そのまま一度も会話が始まらないまま人間界に降りると、私の気まずい思いを無視するようにいつも通りになった先輩が「読め」と私に資料を押しつけた。

 後に引き摺らない性格なのかは分からないが、ともかく先ほどのことを蒸し返す訳にもいかず、私は大人しく言われた通りに貰った資料を読み始めた。




 資料に書かれていた任務は、悪霊とされる魂の回収だ。ターゲットは生前若い女性ばかりを狙っていたという猟奇殺人者だった男の魂で、確認されているだけで五人の遺体が見つかっている。その全ての遺体の損傷が激しく、生きたまま少しずつ手足を切り取られて亡くなっていたという。

 性格は残忍かつ執念深く、一度取り逃がしそうになった相手もしつこく追い詰めて殺害している。また逃げ足が早く潜伏も上手かった為中々警察に捕まらなかったのだが、ようやく証拠を固めた警察が追い詰めようとした際に車で逃亡し、電柱にぶつかって死亡したという。

 そしてそんな魂が、死んでもなお同じことを繰り返している。自分が死んでいると気付いているのかいないのか、生前と同じく若い女性が一人の所を狙って殺害しようとしている。不幸中の幸いかまだこちらは死者が出ていないが、それも時間の問題だ。

 そもそも以前の女の子の悪霊とは違って意識を引きずり込むのではなく生身の人間に直接危害を加えられる時点で相当力が強い悪霊なのだ。資料の最後に『非常に危険なので用心すること!!』と課長の力強い手書きの文字が書かれていた。




「うええ……」



 何かもうとんでもないやつが相手だということは分かった。遺体の下りで思わず吐きそうになってしまった。



「読んだな。その被害現場はやつの死亡した付近に限られているが、常に居る訳ではないらしい。そう都合良くあっさりと遭遇するとも思えない」

「じゃあ、誰かを襲うタイミングで捕まえるとか?」

「そういうことになる」

「でもそれだってそう上手くその時に遭遇しますかね……。同じ場所で被害が起こっていればそこを通る人だって中々いないんじゃ……」



 それに、万が一上手くその場面に居合わせることが出来たとしても、そうタイミングよく阻止出来るだろうか。下手をすれば目の前で被害者を増やしてしまうかもしれない。



「それについて考えがある」

「何ですか?」

「貴様が囮になれ」



 ……え、やっぱさっきのこと引き摺ってた?



「お、囮って」

「被害者はお前と同世代の女ばかりだ。バッチを付けて生きている人間の振りをして現場を歩けば釣れる可能性が高」

「無理です!」



 言葉が終わるのを待てずに食い気味に声を上げた。ぎろりと睨まれて怯み掛けるが、ここで流されたら私の命が……魂がやばい。負ける訳にはいかない。



「囮ですよ!? そんなの無理に決まってますって!」

「何故だ」

「だ、だって相手は何人も躊躇いなく殺してる猟奇殺人者なんですよ! もし、こ、殺されたら……」



 既に死んでいるだろう、と言われると思った。確かにそうだけど、それでも怖くて堪らない。また死んだ時のようなあんな痛みを受けるのか。いや、この犯人の殺し方だったらもっと長時間の恐怖と痛みが伴うに違いない。


 体ががたがた震えている。先輩を見るのも怖くて俯いていると、頭の上から「ああ」と何かに得心がいったような小さな呟きが聞こえてきた。



「お前の懸念はそれか」

「あ、当たり前じゃないですか! 他に何が」

「そんなことはさせない」



 その言葉に思わず顔を上げた。じっとこちらを見下ろす先輩はもう睨むこともしておらず、ただその目はしっかりと私を捉えている。



「シュリ。お前は囮としての仕事を全うするだけでいい。相手をおびき寄せることだけを考えていろ。相手を捕まえるだとか、身を守るだとか、そういうことは俺に任せればいい」

「……先輩」

「お前に凶器が届く前に俺が片付ける。お前が傷付くことはない。――やれるな」



 力強い言葉だった。その言葉を聞いた瞬間、今までがたがた震えていた体がぴたりと動きと止め、浅かった呼吸が無意識のうちに深くなった。

 初めから、先輩は私を守る前提で囮になれと言っていたのだ。そして今、はっきりと傷付くことはないと告げてくれた。

 確かに猟奇殺人者は怖い。傷付けられなくても狙われるだけで怖いに決まっている。……それでも、ここまで先輩に宣言されたら――その誠意と期待に応えない訳にはいかない。



「……はい!」



 私は同じく、力強く言葉を返した。







 □ □ □ □ □







「準備完了しました」

「よし、始めろ」



 バッチを付けて普通の人間と同じように見えるようになった私は一度自分を落ち着かせるように大きく深呼吸をしてから、悪霊が現れるという付近を歩き始めた。

 もう夕日はとっくに沈み、辺りは随分と暗くなってきている。そんな中でちっとも人気のない路地を、私はあまりきょろきょろと見回さないように気を付けながら少し遅めの足取りで進んでいた。

 先輩の姿が見えないのがとても不安を煽る。あの人がいれば安心するのだが、先輩が見張っていると知られれば悪霊が姿を現す可能性はぐっと減ってしまうだろう。



「……」



 一歩一歩、歩く度に足が重たくなっていく気がする。こつこつと鳴る足音が妙に耳に付く。

 落ち着け。大丈夫、先輩を信じろ。何度もそう自分に言い聞かせる。

 

 こつ、こつ、こつ。


 ……ただ歩いているだけなのに、どんどん感覚が鈍くなって来る気がする。時間の感覚も、アスファルトを踏む感覚も、何もかもが不透明に思えてくる。







「……おんなのこ、みーつけた」



 ふ、と首元に生暖かい吐息が掛かったのは、その瞬間だった。



「ひ――」



 血の気が引いたその刹那、私の真後ろをびゅん、と強い風が通り過ぎた。


 すぐさま振り返ると、そこにはフードの奥で僅かに目を見開いて驚いた顔をした先輩の姿。他には何もいなかった。



「チッ、逃がしたか――」


「手首、足首、どちらから刻んでほしい?」

「!?」



 どこからか、今し方聞いたのと同じ背筋が凍るような声がした。声を探すように周囲を見回すと、再びすぐさま私の真横で風が鳴る。


 同時にギン、と耳障りな音を立てて先輩の鎌と血が滴る大ぶりのナイフがすぐ傍で交わったのだ。

 そこで私はようやく悪霊の姿を目にした。



「邪魔……するなよなあ……その子も、すぐにぐちゃぐちゃにするんだからあ」

「……っ」



 ぞわりと寒気がした。にたあ、と粘り着くような笑みで私を見た悪霊は、先輩の鎌を弾くようにいなして再び瞬間移動のような早さで動き、また姿を消した。



「……早い」

「ああ」



 瞬間的な早さは先輩と並ぶか、もしくは上かもしれない。先輩ですらあの悪霊を見失ってしまったようで、警戒するように耳を澄ませて気配を探している。

 壁を背にしたって幽霊ならばすり抜けてしまう。360度、どこから来るのかまるで予想が付かない。

 鎌を手にして必死に真っ暗になった周囲に気を配っていると、不意に目と鼻の先に満面の笑みが浮かび上がった。



「ここだよお」

「!」



 反射的に鎌を振るったがあっさりと弾き飛ばされて遠くへ転がる。対抗手段を失った私に容赦なく真っ赤なナイフが迫ってくる。


 駄目だ、とそれだけが頭に浮かんだ。





「どけ!」



 しかしその直後、私は大きく突き飛ばされていた。



「せんぱ――」



 からん、と先輩の鎌が道路に落ちた。



「あれ? まあいいや、お前から殺してやるよ」

「……っ」

「先輩!」



 息を呑むような先輩の声が聞こえ私はすぐさま顔を上げる。私に刺さるはずだったナイフの刃は代わりに先輩の腹に突き立てられ、更にぐりぐりと深くねじ込まれていく。

 私の所為で、先輩が……!

 その光景を直視して悲鳴を上げた直後、彼の両手が悪霊のナイフを持つ手をがしりと掴んだ。ナイフを引き抜こうとするわけでもなく、ただただ強くその腕を掴んだ彼は、険しい表情で私を振り返る。



「捕まえた――シュリ!」

「! はい!」



 名前を呼ばれて我に返る。先輩の意図を一瞬の間を置いて理解すると、私は咄嗟にそばに落ちていた先輩の鎌を掴み、それを悪霊に振り上げた。



「あ?」

「くらええっ!」



 悪霊が気付いて逃げようとしても先輩の腕が邪魔をする。その隙に、私のその胸の淀んだ魂に向かって一気に鎌を振り下ろした。

 鎌の上部に魂が吸い込まれるようにして入り、そして消える。その瞬間先輩の体を貫いていたナイフも失われ、彼は傷口を押さえてがくりと膝をついた。



「先輩! しっかりして下さい!」

「がたがた騒ぐな……大した怪我じゃない」

「んな訳ないでしょう!?」



 苦悶の表情を浮かべながらもなんてことないようにそう言う。しかしそのまま立ち上がろうとしたもののやはりふらついて倒れそうになり、彼は小さく舌を打って地面に手をついた。

 呼吸が荒い。そのまま崩れ落ちそうになった先輩に慌てて近付いた私は、どうしようどうしようとぐるぐると頭の中で必死に考えた。


 早く先輩を助けなければ。そう考えた私が真っ先に出した結論は、



「……おい、貴様」

「黙ってて下さい!! うおりゃあああ!」



 先輩の大きな体を無理矢理肩に担ぎ、そのまま本部まで全力失踪することだった。







 □ □ □ □ □







 火事場の馬鹿力で一度もスピードを緩めることなく死神界へ戻って来た私は、すぐに本部の課長の部屋に駆け込んで先輩の危機を訴えた。

 会議が終わってぐったりしていた課長が驚きながら治療の手配をすると、先輩はあっという間に医務室へと担ぎ込まれてすぐに治療を受けることとなった。



「大分傷口は深いが、魂はそこまで傷付いていなかったからすぐに処置すれば問題ありません」

「ありがとうございます……」

「一応魂が汚染された可能性があるので検査で少し入院するように」


 

 そう言って(魂専門の)医者が出て行くと、私と課長は揃って肩の力を抜いて同時にため息を吐いた。



「シュリちゃんが駆け込んできた時はびっくりしたけど、まあ大事なくてよかったよ」

「課長、すみませんでした」

「いや、僕の方も調査不足だった。まさかシンと並ぶ程の早さの相手だったとは……他の死神が対応していたらもっとただでは済まなかっただろう。本当にすまない」

「いえ、私がもっと強ければ……足手まといにならなければ先輩だってこんな怪我をすることも――」

「馬鹿か、貴様」

「!」



 突然会話に割って入ってきた罵倒の声に慌ててベッドを振り返る。すると今まで意識を失っていた先輩が目を開けており、体を起こして酷く不機嫌そうな表情を浮かべた。



「せ、先輩……本当にすみませ――だあっ!?」

「黙れ」



 頭を下げた所で額にとんでもない衝撃が襲いかかった。額が凹んだかと思ってしまうレベルのデコピンに、私は言葉にならない声を上げながらその場に蹲った。



「あーあ可哀想に。シン、そこまで怒ってるのか?」

「怒ってなどいない。こいつが見当違いなことを言っているから少し癇に障っただけだ」

「怒ってないならもう少し手加減して下さいよ……! というか見当違いって?」

「謝る必要もないのに辛気くさい顔でぐだぐだ言ってるからだ。俺がこの傷を負ったのは相手の力を見誤っていたのと自分の力を過信した結果に過ぎない。自業自得だ」

「でも」

「まあまあシュリちゃん、ここはシンに譲っておきなよ。男っていうのはかっこつけたい生き物なんだから」

「お前も黙ってろ」

「はいはい、黙ります」



 シン先輩の唸るような声を課長は肩を竦めて受け流す。



「……で、仕事の話だけど。こいつが入院している間――」

「入院などする必要は」

「入院している間! シュリちゃんは悪いけど一人で任務を請け負ってもらう。さっき言った通り立て込んでるから中々休みには出来なくてね」

「は、はい。分かりました」

「できるだけ危険な任務は渡さないようにする。一人だからくれぐれも無茶はしないように」



 先輩の声を無視して私にそう言った課長は、一つ頷いた後に改まった様子で私と先輩に目をやった。



「それと……二人とも、今回の任務もご苦労様。君達のおかげでこれ以上犠牲者が増えずに済んだよ」

「別に。ただ仕事をしただけだ」

「こっちがちゃんと感謝してるっていうのにまたそういうことを……ああ、きっと今回のは特別手当が出るだろうから給料日を楽しみしておくといいよ」

「特別手当! いいんですか!?」

「どうでもいい」

「ふうん? シン、お前そういうこと言っていいのか? 今まで無駄だとか言ってた癖に最近時々食べ物買ってるらしいけど?」

「……」

「そうそうシュリちゃんから聞いたけど、この前なんてラーメン食べに行って、しかも大盛りにしたんだって? いやーお前にもやっと趣味らしきものが出来て嬉しいよ」

「……だから貴様はどれだけ余計なことをぺらぺら喋れば気が済むんだ」

「あいたっ!!」



 また理不尽に叩かれた! 別にそれくらい喋ってもいいでしょ、何が悪いんだ!

 課長が「照れるな照れるな」と笑っているが、そんな呑気に笑ってないでこの暴力先輩を止めて下さい!




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