File 0 死神に就職しました(前)
あの日、私は死んだ。
「……い、おーい、聞こえてるか?」
「はっ」
突然、真っ暗だった視界が開けた。靄が掛かっていた意識がクリアになり、私は目の前に広がっていた光景をそのまま直視する。
広く白い殺風景な部屋。私はその中央で椅子に腰掛けており、目の前には机を挟んで一人の男性が同じように椅子に座ってこちらを見ていた。
丸眼鏡を掛けた三十代くらいの優しげな顔立ちをした男性。その他には誰もおらず、声を掛けて来たのは彼らしい。
「あ、やっと反応した」
「え、っと……ここ何処っていうか誰ですかあなた」
「僕は課長って呼んでくれたらいいよ。君の上司になるかもしれない男だ」
「はあ?」
「ところで君、自分の名前は分かるかな」
「名前……」
名前くらいそりゃあ言える……と言いたかったのに、どこか記憶に霧が掛かったようにぼんやりしている。
「しゅり……そうだ、朱理です。名字は……」
「いや名前だけでいいよ。今の君に名字は必要ないからね」
「必要ないって」
「それより、君は自分のことをどこまで覚えている? 覚えている中で一番最後は何をしていた?」
疑問を挟む前に更に質問は続く。私は訝しげに思いながらも、確かにここに至るまでの経緯を思い出したくて記憶の中を辿った。
自分の服を見下ろす。黒のリクルートスーツは最近頻繁に身につけているものだ。大学四年で就活中の私は色んな会社の就職説明会や試験を受けていて、しかし内定はちっとも決まっていなかった。
記憶に一番新しいあの日、私は圧迫面接を受けた帰りでぐったりとしていた。駅で帰りの電車をぼんやりとしながら待っていて……そうだ、離れて暮らしている妹が泊まりに来る予定だった。そしてもうすぐ帰るとメッセージを送っていると貨物列車が近付いて来る音が聞こえたのだ。
その直後だった。私は傍に居た誰かにぶつかられ、バランスを崩して線路の上に落ちたのだ。大きな音を立てて列車が近付いて来て、ライトの眩しい光で目の前が真っ白になった。
「……私、死にました!」
「うんうん、思い出してくれたようで何よりだ」
思い出した記憶の衝撃に思わず大声で叫ぶと、男――課長らしいその人はにこにこしながらそれに同意した。
「え、何か反応おかしくないですか? 私死んだんですけど」
「死んでないと此処には来られないからねえ」
「……っていうか結局ここ何処なんですか!? 何で私普通に生きてるんです!?」
「いやいや、君は死んでるから」
「だって普通に喋ってるし」
「今の君は幽霊みたいなものだから」
「はい?」
「ここは転生協会。死んだ魂が管理される場所だ」
「転生協会」
思わず繰り返してみたものの意味が分からない。しかしとりあえず死んでいることはやっぱり合っているらしい。
「前世とか聞いたことあるよね?」
「まあ、物語とかではよくありますよね」
「ああ。死んだ魂はもう一度生まれ変わるためにここに運ばれて来て、次の器となる人間に入れられて次の人生が始まる。君の魂もそうやってここに来たんだ。まあ君の場合死体も酷い有様で魂もあちこちに散らばってたから、全部回収した後にしばらく修復作業を行わなければならなかったんだが」
「それは、ご迷惑おかけしました……?」
「まあ多少意識が混濁していたようだが無事に修復して何より。ちなみに、その魂を運ぶ仕事をしているのが僕達の所属する死神課なんだ」
いきなり死神とか出て来た。
「死神ってそんな課長とか会社みたいな役職あるんですか」
「あるんだよねこれが。それで君が今ここに座っている理由なんだが」
課長は何かを含むような笑顔のまま机に両肘をついて、こちらに身を乗り出すようにして口を開いた。
「君、死神に就職しないか?」
死んでまで就活が続いてるってどういうことなんだ。
□ □ □ □ □
普通、死んだ魂は死神によって転生協会へ運ばれて来世に生まれ変わることになる。だが寿命や病死とは違い想定外の事故や自殺、他殺で死んだ場合来世となる器の準備が間に合わず、本来の寿命まで転生することはできない。
昔はその間魂を保管していたのだが、現在は人口も増え管理に回る人手も足りなくなった。そこで寿命よりも早く死んだ人間の中で素養のある魂を選び、彼らが転生出来るようになるまでの間、つまり本来の寿命までの期間に元より人手不足だった死神の仕事を斡旋するようになったのだ。
「死後の世界も色々と大変なんですねえ……」
「そうなんだよ本当に」
事情を聞き終えた私は思わずしみじみとそう呟いていた。いつの間にか普通にこの状況に順応してしまっている自分がおかしい。
「そう言う訳で、君が死神の仕事に就いてくれるととても嬉しいんだが」
「まさかの初内定が死神……いやそれはともかく、働く期間って寿命までって言いましたよね? 私の元々の寿命ってどのくらいだったんですか」
「ちょっと待って……90歳。つまり死神の任期はざっと70年弱だね」
私そんなに生きる予定だったのか。
しかし死んである意味就活から解放されたというのにあと70年も仕事とか……正しく生涯現役、っていうかもう死んでるけど。
「お断りします!」
「ええー、どうしても駄目?」
「流石に死んでまで働こうと思わないし……」
働いてお金を稼がなければ生きていけないという生前と同じ状況でもないのだ。死神と言われるとちょっと非現実的で気にならない訳でもないけど。
「まあもう少し話を聞いてくれ。僕達も勿論タダでこき使おうなんて思ってないよ」
「こき使うことは使うんですね」
「実は寿命まで仕事をしてくれた暁には一つ特典を与えることにしているんだ」
さらっとスルーされた。
「次に転生する時に何でも一つだけ願いを叶えられる」
「願い?」
「例えば頭が良くなりたい、お金持ちの家庭に生まれたい、人間ではなく犬になりたい。超能力が使えるようになりたいって人もいたかな」
「つまり、好きな転生特典が得られると」
「ただし前世やここでの記憶は封印させてもらう。魂に記録されているから完全に消える訳じゃないが、まあ普通にまっさらな状態からの転生になる」
「成程……」
ちなみに、日常で起こり得る既視感や古い時代のものにふと懐かしさを覚えるのもその魂に昔刻まれた記憶が薄っすらと蘇っているからだという。
ともかく記憶は引き継げないが、何かしら望んだものを得られて生まれ変わることができるということか。例えば私だったらどんなことを望むのだろう。
お嬢様に生まれたいとか……? いや、それはそれで大変そうだし性に合わなそうだ。むしろ課長が言ったように愛玩犬とかになった方が幸せでは?
「……悩みますね」
「悩むってことは死神になってくれるってことかな」
「……あ」
にこにこと笑って期待するように見てくる課長を見てまんまと乗せられていることに気付く。
「い、いやまだ……」
「うんうん、じっくり考えてくれていいからね。もっと詳しい話もしてあげるから。転生した元死神の子達がどんな暮らしをしてるかとか」
へーオリンピックに出た、ノーベル賞を取った……猫になって贅沢にのびのび暮らしてる……って誘惑しないで下さい! 私死神になんて……死んでまで働くなんて……!
□ □ □ □ □
「死神の研修はこれで終わりだ。皆、三ヶ月間お疲れ様」
「……」
勝てなかったよね! 課長のプレゼン能力が凄まじかった。仕方が無いのだ、死ぬ前まで面接で「へえそれって長所って言えるんだ、ふーん」という顔をされながら面接を受けていた身にとって「君はなかなか才能(死神の、だが)があるね」となどと色々褒められたらあっさり落ちるしかなかった。煽てに弱いことは自覚している。
結局乗せられて三ヶ月間死神になるための研修を受けてしまったのだが、しかしその間一緒に研修を受けて仲良くなった子達も居て中々楽しかったのも事実だ。
こうなったら生前出来なかった代わりにせっかく就職できたのだし頑張ってみようと思うことにした。……こう考えることすらコントロールされているような気もするが考えないようにする。
「シュリちゃん」
「あ、課長」
研修が終わるととうとう実際に仕事が始まる。他の人達と共に誘導された方へと向かおうとした時、人混みをかき分けて課長がやって来た。
「君はちょっとこっちに」
「え、なんで」
「色々あってね」
腕を引っ張られて人混みの中から連れ出された私はそのまま外に出て課長が進む方へと歩いて行く。本来ならばこれから新人はパートナーとなる先輩が発表されて引き合わされる予定だったはずだ。
ちなみに死神は二人一組で行動すると研修で聞いている。ベテランの先輩が新人に仕事を教え、そして先輩が任期を終えるとそのまま新たな新人と組むことになるらしい。
「これから君のパートナーになる死神の元へ行く」
「え、それならなんで他の子と一緒じゃないんですか?」
「あいつは来いって言っても来ないからこっちから出向くしかないんだよねえ」
「はい?」
「仕事はちゃんとやるんだがちょっと問題児ってやつ」
「……私、そんな人とパートナーなんですか」
「シュリちゃんなら大丈夫大丈夫」
一体何の根拠があってそんなことを言うのか。意味深に笑う課長に嫌な予感が心の中に広がるような気がした。というか新人にそんな先輩押しつけないで欲しい。
不安しかないまま連れて行かれた先は人間界が一望できる高台だった。奥まった場所にあるためちっとも他に人気のないその場所で、私は遠目から何やら黒い塊を目にする。
「おーい、シンー」
課長が声を上げた途端その黒い塊が動いた。どうやら人だったらしい。真っ黒なフード付きのローブのようなものに全身を包んでいたので立ち上がるまで分からなかった。
シンと呼ばれて振り向いたのは長身の男だった。目深に被ったフードの奥から見える顔は整ってはいるものの非常に鋭く怖い印象を与える。全身真っ黒な服といいいかにも死神と言ったら想像するような風貌で、正直ものすごく近寄りがたい人だ。
「何の用だ」
「前に言っただろ、新しいパートナーが来るって。ほらこの子だよ」
「は、初めまして。シュリと申します。よろしくお願いします!」
課長に促されて慌てて頭を下げる。就活時代を思い出して最初が肝心だとできるだけはきはきと挨拶をすると、目の前の男は少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
が、それは一瞬のことですぐにその表情は変わり、彼は私の隣にいる課長を怖い顔で睨み付けた。
「……どういうつもりだ」
「どうって、そりゃあ不良死神君に新人パートナーを連れて来ただけだが?」
「パートナーなど必要ない」
「まあまあそう言わずに。シュリちゃん、こいつ……シンはこれでもベテランでね。もうすぐ死神になってから100年経つんだ」
「は……100年!?」
死神の任期は本来の寿命までだ。シンというこの人の見た目は二十代後半くらいで、つまり享年がそのくらい。……ということは、少なく見積もっても寿命は120歳を越えるということになる。
「この人絶対人間じゃねえ! って、いたあっ!」
思わず本音で叫ぶと即座に頭を叩かれた。残像が見えそうな勢いである。
「こらこら新人を叩くんじゃない。……まあともかくそういう訳でこいつが仕事で分からないことは多分ないから困ったら聞いてみるといいよ」
「はあ……?」
「今まで何人もこいつに着いていけなくてパートナー辞めてるけどまあ頑張って」
「ええ!? ちょっ」
「それじゃあ僕は仕事があるからこれで」
聞き捨てならないことを言って課長はにこやかに笑って帰って行ってしまう。
「……」
「……」
残ったのは私達と、そして重たすぎる沈黙である。
「あ、改めて……先輩、よろしくお願いします」
正直な所不安でいっぱいだが、仕事とは理不尽なものだと大学の先輩から何度も聞かされている。滅茶苦茶怖いが顔はいい先輩に軽く頭を下げてそう言うと、先輩は暫し黙った後小さく嘆息して「仕方が無いから面倒見てやる」と腕を組んでものすごく偉そうに私を見下ろした。
「精々足手まといになるなよ」
「うわあ偉そう」
再び隠していた本音がつい飛び出した瞬間、またもや残像が飛んできた。