SFにしろ時代劇にしろ、考証などいらないだろ
SFというと少しわかりにくいので、空想科学と書いておこうか。
そして時代劇や歴史ものなどである。
こういったものに考証って必要なんだろうかと考えてしまった。
批判について考えてる途中でのことだ。
その最中に、ふと思ったわけですよ。
現実に起こった事や存在したものなどを取り入れる。
そういう話もあるだろうとは思う。
けど、空想科学も歴史物・時代劇などはたいていは空想で出来てるのではないだろうか。
酷い言い方をするならば、でっちあげである。
そうでもなければ、江戸の将軍様が身分を偽って市中を歩き回るわけがない。
そんな時間がとれるほど将軍(あるいは殿様)が暇だとはとても思えない。
また、水戸藩主が諸国漫遊などもしてるわけがない。
その途中で悪行を働く者達を成敗してまわってるわけがない。
そもそも、身分としてそんな事をするだろうかというのもある。
他の時代劇だて、まともに歴史的な事実などを踏まえていくならば、絶対にありえない物事が出てくるはずだ。
史実を描き出すために作ってるならともかく、娯楽として面白おかしく作ってるならばそこに考証をぶつけてもしょうがないと思う。
それに、史実を極限まで調べ上げて、当時何があったのかを伝えるためのお話だったとしてもだ。
そうやって調べた物事が正確無比に当時のありかたを伝えてると言えるのだろうか?
どうしても調べきれない部分だってあるだろう。
むしろそちらの方が多いのではなかろうか。
そういった部分は経過と結果から矛盾のない範囲で予想しているのではなかろうか。
それすらも、事実異なるからと全部否定するのだろうか?
空想科学関係も同じ事が言えると思う。
SFというのはFが示すとおり、結局はフィクションである。
フィクションというとおり、事実は異なる。
そこに考証を持ち込んでどうするのだろうと思ってしまう。
もし考証と違うのが駄目ならば、数多くのSF作品が消えていく事になるだろう。
すぐに思いつくところでは、ガンダムにドラえもんにスターウォーズだろうか。
AKIRAに攻殻機動隊もあるか。
まあ、あらゆるものが否定対象になるわな。
科学考証をとりいれたハードSFというものもあるとは聞くが、それとて科学的な間違いなどもあるだろう。
それらも否定する対象になっていくだろう、考証を優先するならば。
科学的な物事を取り入れたハードSFというのもあるらしいが、そうでもないなら科学的見地からの意見は無粋となるかと。
別のところで述べた事だけど、小説とは娯楽である。
遊びと同じで楽しむもんのはず。
科学考証や歴史考証をするためのものではない。
そういった作品もあるだろうけど、全てがそうであるわけもない。
そこに信憑性やら正確さを求めてもしょうがないと思うのだが。
大切なのは面白いかどうかであって、考証にたえるだけの正確さなどではない。
学説唱えたり論文を発表してるわけじゃないのだから。
娯楽に求められるのは面白いかどうかだろう。
その面白さの質というか内容によって求める方向性は更に細分化されるだろう。
その一つ一つに考証やらを当てはめてどうするのだろうと思う。
そういうのはドキュメンタリー(で良いのかな?)やハードSFの中だけでやってればよろしいかと。
下手すれば、これらの中でやるのも怪訝な顔をされるのかもしれないが。
何にしても、考証やら知識が必要不可欠だとなると、作り手の手枷足枷になって困る。
それでは面白いものが生まれる可能性が減ってしまう。
もっと荒唐無稽に、もっと出鱈目に。
史実や科学なんぞ蹴飛ばして、面白く楽しいもんが増えていってもらいたい。
西部劇やチャンバラはそういったものではなかったのだろうか。
国際救助隊のサンダーバードとかもそういうもんではないのだろか。
大事なのは、面白さだ。
何度も繰り返すが、これ以外に何を求めるのかと思う。
学説や考証も、知らないよりは知っていた方が良いかもしれない……などとは言わない。
これがお話しを作る上で邪魔にしかならないなら、さっさと捨ててしまおう。
そんなもの果てしなくどうでもいい。
そうやってハードルを下げよう、障害を無くそう、お話をどんどん作ろう。
それが多くの書き手を増やしていくきっかけになれば良いと思っている。
書き手がいなければ、お話が作られる事もないのだし。
というわけで、面白いお話しが増えていく事を願っております。
賛成や賛同や感想はメッセージにて。