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さよならを待ってる

作者: 森 彗子

 待ち伏せがいけないことぐらいわかってる。だけど、あなたにも責任はあるから。


 こうして、何回もあなたの帰りを待ってしまう。


 電話も拒否されて、メールも届かなくなって、残された手段は仕事帰りのあなたを待ち伏せること、だけだった。


 田舎町のドラッグストアで働く薬剤師の彼の車が停められている場所に、今日もやって来てしまった。これでもう何日目だろうか。


 だんだんと時間間隔もわからなくなってる。今日が、何月何日かも知らない。そんなことわからなくても困らないもの。


 閉店は21時。


 この町は、夜19時にはほとんどの人が出歩くをやめ、ゴーストタウンのごとく静まり返る。


 何年か前までコンビニがあったけれど、利用者が少ないのか3年程度で閉店してしまってからは、昼間やっているスーパーとこの古びたドラッグストアぐらいしか買い物できる店はない。


 まだ学生の私は車の免許なんてないから、多少遠くても自転車で出掛けられる範囲は体力と気力次第だ。


 毎日、同じ道を走ってくると代り映えしない風景の中で意識がどこかに飛んでいく。家を出て、ここまで来るまでの記憶はない。そんなものだと思う。


 だだっ広い駐車場の痛んだコンクリートの割れ目から、逞しく伸びた雑草が何本も並んでいた。


 失恋したのにこうして毎晩会いにくる私は、あの雑草と同じぐらい、いや、もしかしたらもっとしぶといぐらいに彼を諦められないでいる。自分でもどうしてここまでこだわっているのかよくわかっていないけど。でも、はっきりと言えることは、彼はずるかった。


 「俺達、きっとうまくやっていけないと思う」とか、「お前のこと、前みたいに可愛いって思えない」とか、そんな曖昧な言葉しかくれなかった。別れたいならば、もっと単純明快な言葉で伝えてくれたほうが、潔いのに。だから私は、首の皮一枚に繋がれて、彼がいなくなった日常の穴を埋められずにいる。


ぽっかりと開いた穴が、私を駆り立てるのだ。この場所へ、と―――


 道路際で電柱程の柱に支えられた頭でっかちな看板が、いくつものライトで煌々(こうこう)と照らされている。それが消えたら、店から最後の戸締りを終えた彼が出てくる。


 給料が安いとか、バイトもパートもすぐに休みたがるとか、そんな愚痴なら死ぬほど聞かされた。


 バイトの面接で初めて顔を合わせた時、彼が私の顔ではなく体を見ていたことは気付いていた。触れられそうな距離に立ち、互いの肌の温もりを感じて見つめ合う時間が長くなって、私達の不埒ふらちな関係は始まった。


 彼は雇われ店長でもあった。もう35歳で、甲斐性もないのだから仕方がない。


 薬学部を出て就職した製薬会社の営業職が合わず、病院内の薬剤師も不倫がバレて首になり、親戚のコネで得た今の仕事しか彼には選択肢はなかったのだ。


 容姿はぱっとしない。顔の作りも、平凡だ。だけど、声だけはとても魅力的だった。彼の声を聴いている間は、うっとりとした夢心地でいられた。


 明りを消してしまえば顔や体なんて気にならない。そこに体温があって、肌の感触や息遣いがあって、どうしようもなく熱く疼く熱情を彼と分かち合えたらそれで良かった。だけど、彼は抱き合うたびに私への興味を失っていった。


 彼の車は大きな四輪駆動車で、田舎町の雇われ店長にしては高級車に乗っている。その後部座席で私は何度も彼に溶かされ、彼の欲望を満たしてあげた。


 あんなに激しく愛し合ったのに。なにが足りなかったのか、なにがいけなかったのか、私にはそれがわからなかった。


 男と女がやることは全部やった。彼が好みだと行った女優の髪型を真似たり、ダイエットもして体からぜい肉をそぎ落としたり、高い化粧品を買って肌の質感をよくしたり。変化のたびにそれを悦び、受け入れてくれた最初の一年間は、本当に、ただほんとうに、幸せだった。とてもうまくいっていた。だから、余計にあんなずるい別れ方は容認できない。


 自分が好きなことに関しては、無駄にしゃべる彼の話を、私がどんな思いでだくだくと聞き流していたのか。彼の声に魅了されている私にとって、話の内容は二の次だから良かったのだろうけれど、そういう女じゃないと彼とはたぶん付き合えない。


 彼はわかっていない。自分がどれほど魅力がないのか。私以外に、彼を好きになる女なんかきっとこの世にはいやしない。その証拠に、35歳まで独身でパッとしないんだから。


 そんな自分を棚に上げて、私のことを嫌うなんて許せない。


 確かに私の顔だって平凡だし綺麗とは程遠い。スタイルだってそれほどでもないし、性格は不器用なうえに融通が利かないところが欠点だって自分でもよくわかっている。でも、どうしようもないもの。持って生まれたものを変えられるほど器用にはできていないんだから。そんなの、お互い様でしょう?


 ゆいいつ、彼が好きな胸やお尻の肉付きだけが、私が彼に愛されている理由だったなんて、あんまりじゃない。


 仕事中でも背後から忍び寄って、恥ずかしいことを仕掛けては無邪気に喜んでいたくせに。突然、手のひらを返したように突き放すなんて。


 大事な一言も言わずに、終わらせようだなんて。


 そんな都合のいい女で終わってあげられるほど、私はバカじゃない。


 馬鹿じゃない。


 18歳差も感じさせない女だと言っていたのに。自分には勿体ないぐらい賢くで器用だって褒めてくれたはずなのに。古びた回転いすの上で散々気持ち良くしてあげたのに。汗臭い男の匂いと欲望を全身全霊で受け止めた私の愛は、完全に否定された。


 ―――軋む椅子の音が耳から離れない。


 喘ぎ声を漏らしながら、柔らかな声で私の名を囁く声がまだ


 私はまだ、こんなにもあなたが好き


 だけどね、わかってる。頭のどこかでは、わかってた。


 初めから、こうなることは―――


 手首に刻まれた細長い傷がまだ、痛くて辛くて泣き叫んでいる。今にも涙が溢れてきそうで、私は左手首を折れるほどに強く右手で握りしめた。


 絡めた指の太さの違いを見て嬉しくて、家では誰も話を聞いてくれない寂しさを癒してくれて、だから、私は持っているもの全部であなたを愛したつもりだった。


 それが重たくなっていったことも、感じていた。だって、私はバカじゃないんだから。


 私は、馬鹿じゃない。


「お前は、バカじゃないよ」


 甘い香りが充満する車内で初めて最後まで至った時に、彼は囁いた。


 劣等感に苛まれていた私はその一言で救われたんだ。家に帰れば地獄が待っている私には、救いの声だった。


 受験に落ちて、高額な私立高校に通わせてくれる両親の冷たい視線は毎日、針のように突き刺してくる。馬鹿な娘を持ったと嘆きながら、サラリーマンとパートで働く二人のため息が耳元で聞こえて、自分のしでかした最悪の失態を思い知らされた。


 アルバイトが禁止の私立高校の目を避けるために、遠い隣町のドラッグストアで

自分の学費の足しになるお金を稼ごうと思ってやってきた場所に、彼は居た。


「人生そんなにうまくいかなくても、平然と生きてる男がここにいるだろ? 大丈夫だよ。楽しく生きよう。俺達は相性は良いんだから。若いんだし、もっと楽しまなくちゃ」


 彼の演説は聞いていて格好悪いけれど、声のせいか、それとも開き直りのせいか、なぜかとても魅力的に思えた。


 ずっしりとした高級車はどんな激しい揺れも吸収した。うす暗い場所で目を細めて見つめ合う時の触れるかどうかの距離で、キスを待つあの時間が堪らなく好きだった。それからアルバイトの帰りは必ず、この車の中で最高潮を迎えた。事が終わればすぐに彼は家の近くまで送ってくれたは良いけど、いつも家の手前100メートルのところで降ろされた。


 ふっくらと柔らかいシートに頭の後ろを埋めながら喘いだ。正直言うと、最初はぜんぶ演技だった。性的な刺激がすぐ快感になることなんてない。だけど、彼の魅力的な声を目を閉じて感じると、やがて快感に火が灯る。荒っぽい扱われ方をされても、次第に苦痛感は消えていく。


 二人の体温が上昇すると窓ガラスが曇り始めて、その濡れたガラス越しの月や星の僅かな光がとても綺麗で。視界が霞むほど強く締め上げられた首に感じるてのひらから、ドクンドクンと強い鼓動を感じた後の、急に軽くなったように解放される感覚は、堪らないほど気持ちが良かった。


 重なり合い、揺らぎながら「好きだよ」と囁く声にゾクゾクするほど昂ぶり。私という存在が受け入れられている至福感に酔っては、嫌なこと全部忘れていられた。


 願わくばあなたが私とこうして愛し合う度に、自分に自信を持ってくれたらいいのにと本気で思っていた。


 馬鹿同士の慰め合いじゃなくて、いつか本物の愛になることを期待して、私はあなたの性癖を受け入れ、リクエストに応えたの。リベンジポルノが怖くて本当なら拒絶したかった動画撮影も、本当はいやだったのに、あなたと私の未来のために受け入れた。それが愛だと信じたから、賭けに出たの。


 でも、現実は残酷だった。


 広い空間に突然、コンコンという音が響いた途端に看板の明りが消えた。そしてすぐに彼が事務所のドアを開けて出てきた。


 疲れた顔をしていた。目の下のクマが濃い。


「――まさふみさん」


 私が声をかけると、彼はビクンと背筋を伸ばして立ち止まる。そして、緊張しながら私の姿を探し始めた。


「――ここにいるよ」


 手を振っても彼は私を無視した。ただ、身を低くしてゆっくりとおそるおそる自分の車に駆け寄ってくる。


 私の目の前でキュンキュンと鍵を鳴らしてドアを開け、流れ込むように運転席に乗り込んでドアを閉めた。助手席に座っている私に目もくれず、彼はエンジンをかけるとラジオのボリュームを上げる。


「――ねぇ、今日も来ちゃった」


 彼はまた背筋を伸ばして首をコキコキと鳴らした。


「――別れ話しましょう」


 バックギアを入れて、背後を気にしながら車を出した彼はぶつぶつと独り言を始めた。


「もういい加減にしてくれ」


「――あなたがはっきり言わないからじゃない」


「どうすればあきらめてくれるんだ?」


「――だから、ちゃんと言ってくれたらいいのに」


「お前のためにできることは全部やったんだ!  もう俺なんかに執着しないで、さっさと消えてくれ!」


 彼はせまい車内で大声でわめいた。


「―――”さっさと消えて”はないんじゃない?」


 アクセルを全開に踏んだ彼の車は、轟音を上げて加速していく。わだちが深くなっている国道に出ると、一般道だというのに時速120キロまで、速度を上げていく。


「もう、気が狂いそうだ!」


 彼は叫んだ。


 信号は赤く点滅していた。


 一時停止もせずに彼はぶっちぎっていく。


 窓を開けて、髪の毛が全部後ろに飛ばされていて、その横顔だけはいつもより何倍も素敵だった。


「あきえ! もう、やめてくれ! もう、どこかに行ってくれよ! 俺のことなんて忘れてくれよぉ!」


 まさふみさんは興奮しながらさらにアクセルを踏んだ。重たい車両が最高速度に到達すると、ハイビームを点けた車がすれ違い様にパッシングする。


 街と街をつなぐ荒野を貫く直線道路を、闇夜を切り裂くように突き進む。


 彼の横顔に見惚れてしまう。


 追い詰められた男は色気がある。


 それを今、目の当たりにして、私の心の穴は少しだけ埋まった気がした。


 運転中の彼の頬に手を伸ばすと、彼はビクンと強張らせた。


「やめろ!」


「――そうね。私も、もう終わりにしたいの」


「俺に触るな!」


「――だって、こうでもしないとあなたは私を無視するじゃない」


「どこかにいけ!」


「――行って欲しいなら、あのセリフを言ってよ」


「俺はもう一緒にいられないんだ! お前はもう死んでるんだから! 俺はまだ死にたくないんだよ! だから、頼むからもう俺の前から消えろぉぉぉぉぉぉ」


 赤いパトライトが暗闇から追いかけてきた。我に返ったように速度を落とした彼は、車を路肩に寄せて警察車両を待ち始めた。


 青いユニフォームを着た警察官が運転席の窓越しに話しかけてきて、私を見るなり「同伴者の方も罰金対象ですからね!」と注意を受けた。彼は「ええ!」と驚きの声を上げた。


「奥さん? 彼女さん?」と、警察官は続けた。


 まさふみさんは私の方を見て目を泳がせた。


「誰もいないでしょ? 俺しかいないでしょ?」


「何言ってるんです? 隣に綺麗な女性、居るじゃないですか」


「やめろ、やめてくれ! そんなわけない! ここにいるはずない!」


 彼は車から降りて海岸線の浜辺に走り出すと、海の中に踏み込んで行った。警察官は大慌てで彼を取りおさえ、助手席の私に向かって何かを言ったけれど、私には意味が理解できない。


 彼はそのまま警察に保護されてしまった。精神病院に入院した彼に、私は会いに行けない。気が付くとまた、彼が勤めていたドラッグストアの看板の下に私は立っていた。


 彼が元気になって、またここに来る日を待ち続けている。


 待ち伏せなんて本当はしたくないけれど、彼からちゃんとした別れの言葉がない限り、私はここを離れられない。


 いつまでも、彼のあの魅力的な声で、


――――「さよなら」を待ってる。



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― 新着の感想 ―
[一言] Twitterでのご依頼ありがとうございました。 高い文章力で、語り手の後悔、未練、焦燥、侮蔑、そして少しの幸福感がひしひしと伝わってきました。ほとんど恨み言を聞かされているようなものなの…
[良い点] ・徐々に真相が明らかになる構成がオーソドックスだけど、安定して読める。 ・ラストの余韻 [一言] 「なろう」にようこそ。 感想一番乗りの誉を譲りたくなくて、罷りこしました。 ネタバレを避け…
[一言] 女のコがストーカーしているのかと思ったら、映画『シックス・センス』のような展開だったんですね。 ゆっくり読み返して、手首の傷ってところで「そうだったんだ!」と理解できました。 ジリジリして、…
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