不穏な影。
サーグラ国付近の街道で、その争いが行われていた。
騎士団と傭兵団の軍隊の数は百を超えるに対し、その相手は、三体の魔物。
友好国であるアーヴァタウタ大国より発表された新種の魔物、バンダースナッチ。
他の魔物と比べても明らかに異質なその異形は、特殊な能力こそ少ないものの非常に厄介な存在だった。
武器としている発達した右腕とその爪、伸縮自在のその腕から繰り出される豪腕と呼ぶべき恐ろしい腕力による刺突は鋼の鎧さえも容易く貫く威力を持つ。しかしこの魔物の強さはそこではなく、異様なまでの肉体の硬度だ。
生半可な力量では刃物すらも弾き返すその皮膚を前に、前線で戦闘を繰り広げている殆どの騎士達は手出しができず攻めあぐねていた。
この魔物の情報は未だ少なく、有効とされる攻撃手段、つまりは弱点が未だ判明していない。倒すにはこの魔物の皮膚の硬度を上回る威力の攻撃を与えるしかない。騎士団はその威力を出す手段のひとつを魔術師の上位魔術に頼らざるをえない現状だった。
しかし、その魔術師は現在戦場から離れた位置で待機している。上位魔術の発動には時間がかかるのだが、この魔物はその魔術の構築の際に発生する魔力の余波を感じ取ることができるらしく、攻撃の優先順位を魔術師に定めてしまう。過去にこの魔物が出現した際、それによって魔術師の上位魔術の発動を妨害され討伐に失敗した例があるのだ。故に魔術師は上位魔術の準備を行ってもバンダースナッチ達が自身に矛先を向けてしまう状況にならない時を待ち続けているのだ。
現在の三体のバンダースナッチの状況は、そのうち二体が騎士団と傭兵団の編成隊と交戦中、そしてもう一体は、驚くべき事に一人の騎士がその身ひとつで交戦していた。
「戦況は予想通り膠着……やはり鍵はイサミになるか」
その戦況を離れた位置で、戦闘には参加せず見定めている騎士団副団長のバネッサ。忙しなく動き回る編成隊に指示を出しながら、その意識は一対一で戦闘を繰り広げるイサミに強く向いていた。
イサミは過去に唯一単身でバンダースナッチを討伐した騎士だ。他の者を大きく上回る身体能力を持つ、一騎当千と呼ぶに相応しい実力者。他の編成隊が無理に攻勢に出ようとせず時間稼ぎを目的として他のバンダースナッチを相手にしているのは、彼が交戦している一体を倒すのを待っているからだ。
イサミが現在交戦しているバンダースナッチを討伐し次第、今度は一体のバンダースナッチをイサミに任せ、残る一体を全ての隊で足止めさせ、魔術師の上位魔術の準備を可能にさせるという作戦だ。
イサミへの負担があまりにも大きい策だが、本人からの申し出であり、それが最も現実的な討伐手段であるという判断の元。全ての者が承知の上だ。
負傷した者を下がらせ新たな兵を導入させながら、バネッサは頼みの綱であるイサミの戦況を見守る。
イサミの戦況は良好だ。バンダースナッチの繰り出す攻撃を尽く避け、その合間に手にする長剣による斬撃を精確に浴びせてゆく。その攻撃は他の者が放つも弾かれてしまう結果とは違い、バンダースナッチの皮膚に確かな傷を与えている。
かつてバンダースナッチを討伐した彼に何故あの魔物にダメージを与えられるのか聞いてみた事がある。その答は、彼の身体能力の中でも最も特筆すべき感知能力が関わっていた。
何でも、バンダースナッチの肉体の硬度は魔力により保たれているらしいのだが、その性質上、常に全身を最大限の硬度に保つ事はできないらしく、イサミはそれを感知能力によって看破し、その魔力が薄れた箇所に向けて斬撃を放っているのだそうだ。
理屈こそ理解できたが、とても真似できる芸当ではない。現にバネッサは今こうしてバンダースナッチを感知能力を用いて観察していても、全身を覆う魔力の綻びなど全く看破できない。彼の理屈は最早仙人か何かの域と考えるべきだ。
それだけでなく、彼はバンダースナッチの動きを明らかに先読みして動いている。まるで相手の心の内を読んでいるのか、或いは未来でも見えているのかと勘繰ってしまう程のものだ。そしてそれもまた感知能力によるものだというのだから恐ろしい。極まればここまでの芸当が可能なのか。
イサミに優位な戦況でこそあるものの、それでもバンダースナッチはなかなか倒れない。全身にできた切り傷からどす黒い血液を地に滴らせながらも、攻撃の手を緩める事なくイサミに襲い続ける。しかしそれも時間の問題だ。受けた傷の中には相当深いものもある。少しずつその動きは鈍くなりつつある。
そして遂にその時が来た。
「ーーシッ!」
大振りに放たれたバンダースナッチの攻撃を避けたイサミが反撃に仕掛けた斬撃が、首を捉えたのだ。
自身の首の半分程を裂かれたバンダースナッチは動きを止め、ゆっくりと地に崩れ落ちる。一度大きく息を吐いたイサミは、すぐに戦闘が続いている方向に向いた。
「作戦を第二段階へ移行する!」
バネッサはすぐに状況が動いた事を全ての兵に伝える。そしてバンダースナッチの一体に足を向けるイサミに近付き、用意していた栄養剤を渡す。
「気休め程度にしかならんだろうが、飲んで行け」
「ああ、助かる」
短いやり取りとともに栄養剤を受け取ったイサミは、それを飲み干しながら駆け出す。イサミが合流したと同時に、それまでバンダースナッチの相手をしていた隊が引き、彼に任せもう片方の魔物へと向かう。
「……よし、魔術師殿、お願いいたします」
「うむ、始めるかのぅ」
イサミへの戦闘の引き継ぎが滞りなく行われたのを確認したバネッサは傍らに待機していた老獪な魔術師に指示を下す。後はこの魔術師殿が上位魔術を完成させ、一体ずつ葬ればいい。イサミも討伐でなくバンダースナッチの意識を引き付け時間稼ぎをしてくれればいいので先程までよりも幾分か楽なはずだ。
側で構築されていく術式を肌に感じながら、内心でひと息ついた。不備はない。我々の勝利は目前だ。
バネッサがそう確信した時、異変が起こった。
「バネッサ! 北西の方角! 空から何か来る!」
大声で異変を伝えたのはイサミだった。彼の感知能力がいち早くそれを察知したのだろう。バネッサは言われた方向の上空を見上げる。
「な、何だこいつらは……」
それは、鳥……いや、魔物だ。それも複数の。
目鼻がなく口らしき穴が空いているだけの頭部、人間の子どもくらいの大きさの体毛のない鈍色の身体に、その倍近い二翼の翼を羽ばたかせるその存在は……まるでバンダースナッチをそのまま鳥の姿にしたかのような容姿だ。
「ビーッ! ビーッ!」
「ビービーッ!」
その鳥のような魔物は甲高い金切り声をあげながら騎士団に接近してくる。突然の上空からの魔物の襲撃に、バンダースナッチのうち一体の対応をしていた騎士団に混乱が走る。
そして、騎士団の真上で羽ばたく魔物達は、一斉に口から大量の液体を吐き出し騎士団に向けて撒き散らした。
「うげっ!? ゲロか!?」
「きったねぇ! 何しやが……うわあぁぁぁ!?」
鳥の魔物の吐瀉物を浴びた数人が悲鳴をあげる。その液体は音と煙、猛烈な臭いを出しながら触れた鎧や武器を溶かし始めたのだ。叫び声をあげたのは皮膚に直接浴びた者だ。その皮膚は醜く灼け爛れ、激痛をその者に与えていた。
「総員退避! 空の魔物を……」
迎撃せよ、と続けようとしたバネッサだが、乱れた隊の隙を突きバンダースナッチが動いたのを見てそれ以上言葉を紡ぐ事ができなかった。慌てふためく兵達を乱暴に押し退け、バネッサのいる場所に……いや、上位魔術の構築を急ぐ魔術師に向かって接近してきたのだ。
「くっ……魔術師殿! 魔術の構築を中断し距離を取って下さい!」
咄嗟にバンダースナッチと魔術師との間に陣取り進行を妨害し、背後の魔術師に指示を飛ばす。魔術師は言われた通りに術式の構築を辞めて後退る。
距離こそ離れたものの、バンダースナッチの敵意は未だ魔術師に向けられているらしく、立ち塞がるバネッサをも押し退けるバンダースナッチ。この魔物に決定打を与えられないバネッサは妨害も虚しく弾き飛ばされてしまう。このままでは……。
その時、風を切る音とともにバンダースナッチの背に一本の矢が突き刺さった。その痛みに仰け反るバンダースナッチ。バネッサも思わず矢の飛んできた方向に目を向ける。弓を手にしていたのはやはりイサミだ。もう片方のバンダースナッチの攻撃を掻い潜りながら矢を放ったようだ。彼の心眼を以ってすれば矢までも強固なバンダースナッチの皮膚に通じてしまうらしい。
「バネッサ! 隊をもう一度二つに編成してバンダースナッチの足止めを! 俺は上の奴を落とす! 上を全滅させてから作戦を再開させろ!」
イサミは叫びながら襲い来るバンダースナッチを避け、そして上空に飛び交う魔物に向けて矢を放つ。矢は魔物の肩のあたりを射抜くも、その魔物を落とすには至らない。バランスを崩しながらもその魔物は必死に空を飛び続けている。
魔術師を追っていたバンダースナッチは自らに傷をつけた者を見定め、イサミに向かって歩み出した。このままではまずい。イサミには矢を射る事に集中して貰わなければ。
「了解した! 皆、よく聴け! 上の魔物はイサミに任せ再度隊を二つに分ける! イサミが空の連中全てを倒し次第作戦再開だ!」
イサミの提案に従い隊に指示を下すバネッサ。空の魔物の吐瀉物を浴び負傷した者を下がらせ、残る全ての兵を二つに分けバンダースナッチの足止めに当てさせる。
その隊の上空に向かう魔物だが、一匹一匹、その頭部にイサミの放つ矢が突き刺さり落下していく。地に落ちた魔物はすぐさまその場にいた騎士の剣によってとどめを刺される。上空からの攻撃の頻度は次第に減って行き、バンダースナッチの足止めも安定し始める。
そして、やっと上空の最後の一匹が撃ち落とされた。
「よし! 作戦再開だ!」
バネッサの一喝によって、当初の作戦に戻り戦況は再び騎士団の優位な状況となる。
イサミが単身で片方の相手をし、残る全ての隊でもう一方を足止めし、その隙に魔術師が術式を完成させ、バンダースナッチは高火力の魔術を叩きつけられ……戦闘は、騎士団の勝利で幕を閉じた。
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「あの鳥バンダーは何だったんだ? あんな存在は今までに一切報告がなかったぞ。あれも新種なのか?」
サーグラ国へ帰還する道中、憤りを隠せないバネッサがイサミに聞く。当然彼も真相はわからなくて当たり前だが、それでも言わずにはいられなかった。
「似通った姿をしている所から察するに、もしかしたらバンダースナッチの幼体なのかもしれない」
イサミはそんなバネッサの様子に対し、冷静に自身の考えを語る。
「幼体……空を飛ぶ魔物が成長して飛行能力を失う姿になるものなのか?」
「さあな。俺だって魔物に詳しくはないんだ。あくまで予想だ。だが、バンダースナッチの手助けをしていたのは確かだ。今後再びバンダースナッチが出現した時は、空の連中も現れると想定して対応すべきだろう」
「はあ……ただでさえ三体同時に現れるなどとふざけた事態だったというのに、こんな追い打ちまでしてくるとは……」
騎士団と傭兵団の被害は大きい。空の魔物の出現もあって想定を遥かに上回る損害を被ってしまった。負傷者のみならず死者まで出てしまった。今後も同じ事が起こってしまったらと考えると……。思わず頭を抱えてしまうバネッサ。
「今度は空の対策に弓兵隊も準備すれば、今回の作戦とほぼ同じように対処できるはずだ。現に上を全て落としてからは安定したからな」
「ああ、そうだな……鳥のほうはバンダースナッチ程の硬さはなかったのか?」
「ああ、どうやらそうらしい。当てる事さえできれば簡単に落とせる。あの溶解液は厄介だがな」
「連中の遺体を回収できたのは不幸中の幸いか。研究班に液体の性質を調べて貰おう」
二人で今後のバンダースナッチの対策を語りながら帰路を進む。サーグラ国周辺のバンダースナッチの出現の頻度は、アーヴァタウタ大国に比べて高い。その対応を任されている騎士団副団長のバネッサと、戦力の要となっているイサミ。二人には度重なるバンダースナッチの出現に、不吉な予感が拭えずにいた。
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「また爪が折られたか……羽も、か。あの辺りの人間は優秀のようだ……神の使徒が居るのであろうな……ふむ……」
光の閉ざされた深淵に響く声。その存在より紡がれる言葉以外に、その場所に在る音は何一つ……。
……否。
何処からか、複数の足音が聞こえる。恐らくは人間の鳴らす靴の音だ。
「やっと見つけました、我らが主の最後の落とし子様」
靴の音が止むと同時、それまでその場に響いていた者のものとは異なる声が、その存在に向けて投げられる。
「貴様等は……我が母君の眷属か。何用か?」
向けられた言葉に応える、その場を支配する存在。邪険にするような声色でこそないが、然程興味を示しているようにも感じられない。
尋ねられた者達は、すぐにその問いに答えた。
「貴方様のお力添えに馳せ参じました。我等魔族結社一同、貴方様の望むが侭にお使い下さいませ」
ーー魔族の集団は、この世界に災厄を齎す魔物の王……ジャバウォックに接触した。




