突入。
「…………」
シオンの突き付けた答えに、ジャバウォックは異を唱えず無言を貫いたまま睨み返していた。否定する素振りがない以上、シオンの見出した答は正しいと判断して良いだろう。
「あいつが、ダンジョン……?」
「生きたダンジョンなんて聞いた事がないぞ」
「でも、それなら確かに……」
シオンの発言に周囲の冒険者達も驚き騒めいている。そのような存在が実在しているなど、誰一人として今までかつて聞いた事がないのは事実だ。驚くのも無理はない。
「そもそもダンジョンという場所自体が未解明な点が多い。ヴァリブトル地下迷宮も例外的なフロアが存在していたり、最下層に時空間魔術が施された魔法陣が刻まれていたりと、今までにない発見が数多くあったからな。生きたダンジョンが存在していても不思議ではあるまいて」
「もしかしたら、ジャバウォックこそが世界各地に存在するダンジョンのオリジナルなのかもしれないわね。そして、だとしたら攻略法も見えてくるわ」
トモエとマツリが考察を述べ始める。マツリの語る攻略法とは、
「ダンジョンに関する記述の中に、こんなものがあるわ。とあるダンジョンがある事件をきっかけに、魔物を生み出す機能が失われ、やがてそのダンジョンの異界自体が消失してしまったという事例があるの。その事件とは、ある冒険者がそのダンジョンの最下層で偶然にもとてつもない魔力を宿した宝石のようなものを見つけ、ダンジョンの外に持ち出したというものよ」
マツリが語り出したのは、冒険者の間ではそこそこ有名な事件だ。ダンジョンが失われてしまうというその事件は世界中に広まり、それ以降、冒険者達の間で禁忌として語り継がれてきた。
「その宝石は外に出した瞬間に輝きを失い、塵となって崩れ去ったそうよ。それがきっかけとなりそのダンジョンはやがて消失したのだとか。それ以来、ダンジョンには『核』と称されるものが存在していると考えられ、もし見つけても決して持ち出してはならないと言われるようになったんだとか」
過去の前例に、ダンジョンが死した事実が存在している。それは、つまり。
「その前例を参考にするなら、ジャバウォック、あなたの内部の世界にはあなたの心臓とも呼ぶべき核が存在しているという事になるのではないかしら?」
マツリが結論を述べる。神々ですら滅ぼす事ができなかった、不死身の存在と思われていた怪物。しかし、その正体が判明した今、その不死性がまやかしである事が見えてくる。
……マツリの発言を聞き、ジャバウォックが身動ぎ後退った。その反応は明らかに狼狽している。
事実なのだ。ジャバウォックには弱点がある。それはジャバウォックの内側、ダンジョンの内部に入る事で見つけ出せるのだ。
「ーーオレ達は、冒険者だ」
自分達の仮説が正しかったと確信し、シオンが高らかに宣言する。
「ダンジョン探索は、冒険者の十八番だぜ」
シオンの台詞を聞くや否や、ジャバウォックが動いた。自分のすぐ隣の何もない空間に向けて、右腕で勢いよく引っ掻いたのだ。途端にその場所にそれまで存在しなかった亀裂のようなものが爪痕のように出現した。
逃げる気か!
あれはかつて国境砦奪還戦の際にジャバウォックが行った、時空間魔術による空間転移だ。アユミが行うそれとは異なるように見えるが、あの亀裂の内側に入られたらシオン達では追いかける事ができない。
慌ててジャバウォックに近付こうと駆け出すシオンだが、間に合いそうにない。ジャバウォックはその亀裂の向こう側にその身を……。
「つれないじゃん。何処行こうってのさ」
だが、ジャバウォックが姿を消そうという直前に、その亀裂のほうが突然消え去ってしまった。驚愕するジャバウォックの隣りから声をかけたのは、いつの間にかそこに移動していたアユミだった。
「せっかくみんなが君の家に来たがっているんだからさ、快く招待しなきゃダメでしょ?」
ジャバウォックに対してにこやかに軽口を叩くアユミ。恐らく彼女がジャバウォックの時空間移動を妨害したのだろう。
「あーあ、せっかく構築した封印術式が崩れちゃったじゃん。ボクは術者タイプのみんなみたいな器用なことはできないんだもん……ま、それももう必要なさそうだけどね」
「……シュヘルムヴィアー……!!」
逃走を邪魔され、忌々しげにアユミを睨むジャバウォック。アユミの存在は、ジャバウォックが空間転移によって逃げ出せる可能性を潰していた。
「いくら君が時空間魔術を使えるって言っても、シュヘルムヴィアーの権能程ではないね。絶対に逃さないよ、ジャバウォック!」
笑顔をやめて宣言するアユミ。同じ魔術が使える者同士であっても、その技量には差があって当然だ。そしてアユミとジャバウォックとの時空間魔術の技量差は、アユミのほうが優勢のようだ。
ジャバウォックは、逃げられない。
「ーーお、おおおおおおッ!!!!」
逃走が不可能であると悟ったジャバウォックは……その身体から、またしても次々とバンダースナッチを出現させ始めた。
ジャバウォックに接近してきていたシオンや冒険者達の前に、再び無数のバンダースナッチが立ち塞がる。
最も近くに居たアユミは、迫り来るバンダースナッチの攻撃を空間の層を作り出す時空間魔術で難なく防ぎながら、ジャバウォックの側から離れないようにしている。
「おおおおおおッ!! 来るな! 来るな! 来るなーーッ!!」
バンダースナッチ達を蹴散らしながら接近して来るシオン達に向かって吼えるジャバウォック。今までの不気味でありながら威厳を保っていた口調や態度は完全に消え失せ、焦り、狼狽し、皆が近づくのを見苦しく拒絶している。
「我の、私の、余の、俺の、ジャバウォックのーーーー」
混乱しているのか、安定しない一人称を叫び。
「僕のセカイに、入って来るなーーッ!!」
最後の叫び声は、声の質が明らかに今までと異なっていた。地の底から響くような物々しい声ではなく、少年のような甲高い声だった。これが、ジャバウォックの正体か。
そしてその叫びとともに、巨大なワームの魔物がジャバウォックの肉体から飛び出してきた。エリスの結界内に居ても尚厄介な存在。圧倒的な質量と異界化した口内を武器にされては、エリスの補助を以ってしてもひとたまりもない。
だが、その数は一体だ。恐らく先程出現させた五体と合わせてこれが残っていた全てのワームなのだろう。
そして一体だけならば、異界人達の敵ではない。
各々の武器による斬撃が、得意とする魔術が即座に巨大なワームを捉える。ワームは討伐隊に対して何も戦果を挙げられないまま息絶えた。
皆が崩れ落ちるワームを避けながら、止まる事なくジャバウォックに近付く。
そして、遂に。
「よっしゃッ! 一番乗りだぜ!」
最初にジャバウォックに到達したのはマサヤだった。バンダースナッチ達を薙ぎ払いできた道を駆け抜け、ジャバウォックの肉体に向かって飛び込んだのだ。
ジャバウォックの身体に触れ、その中へと吸い込まれて行くマサヤ。ようやく一人目のジャバウォック内部……ジャバウォック地下迷宮とでも呼ぶべきか、そのダンジョンに乗り込んだのだ。
「やめろ! 来るな! 入って来るな!!」
途端にジャバウォックが不自然にもがき始めた。最早威厳を何一つ感じられない弱々しさで、うわ言のように抵抗する言葉を発している。
「皆さん、ジャバウォックの中に入った瞬間は私の加護が無くなっているので気をつけて下さい! 私もどうにか中に入りますので!」
マサヤ以外にもジャバウォックに到達しそうな冒険者達がいるのを見て注意を呼びかけるエリス。そのエリス自身も言葉の通り歩みを進め、ジャバウォックに近付きつつあった。
先に入ってしまったマサヤに関しては、エリスの加護が無くても戦えるので問題はないだろう。
続いてジャバウォックの元に辿り着いたのはクートさんだ。さらにユート、マツリ、イサミがそれに続く。
その頃にはジャバウォックの肉体からバンダースナッチが出現する事は無くなっていた。恐らく内部で先に入った者達が戦っているのだろう。それを機に冒険者達が次々とジャバウォックに殺到しその内部へと足を踏み入れて行く。
「行こうぜ、エリス」
「え? シオンく……きゃっ!?」
シオンは、一旦ジャバウォックに近付くのをやめて後退していた。エリスの側に寄って一声かけて、彼女を抱き抱える。エリスがして欲しいと羨ましがっていた、所謂お姫様抱っこというやつだ。
「や、やー、いざこうして抱っこされると結構恥ずかしいですね。えへへへへ〜」
シオンに抱き抱えられ、口では恥ずかしいと言っているがデレッと表情を崩しているエリス。緊張感のない奴め。
エリスはどうやら結界を維持したままだと全力疾走できないようだった。彼女の様子を見ていたシオンはその事に気付き、一緒に連れて行くほうが良いと判断した。別にエリスとイチャつきたかったわけではない。本当だぞ?
「走るぜ」
「は、はい!」
一言断りを入れてから、エリスを抱き抱えたまま全速力で駆け出すシオン。二人はあっという間にジャバウォックの元に到達し、その肉体に飛び込んだ。
一瞬だけ暗転する視界。そしてすぐに、それまでとは全く異なった景色が二人の目に飛び込んできた。
「うわぁ……」
そこはエリスには初めての、シオンにとっては一瞬だったとはいえ二度目に目にする世界。
草木ひとつ生えていない乾いた大地が地平線の果てまで続いている荒野。遠く離れた先には朽ち果て傾いた巨大な建造物が点々と見え、果てしなく赤焼けた空が広がっている。
荒廃した景観は、この世の終末を連想させるものだ。
そして無数のバンダースナッチ達と死闘を繰り広げている討伐隊。
これが、シオン達とジャバウォックとの最後の決戦の舞台。ジャバウォック内部の世界だった。