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戦う理由。

 べきべきと音を立て、ユートの仕掛けた地中への束縛を己が力で強引に破壊しながら地上へと這い出てくる巨躯の元魔族。そして完全に脱出し、天に向けて空を揺るがせる咆哮をあげた。


「マサヤさん! あいつの相手もお願いします!」


 自由になった元魔族。しかしそれを傍観していたエリスはその魔物に背を向け、一目散に駆け出した。その方角は吹き飛ばされたユートに向かっていた。


「はぁ!? おいちょっ、こっちの相手もしながらか!?」


 ユートに代わりエリスが巨躯の元魔族の相手をするのかと予想していたマサヤは慌てて聞き返すも、既にその声はエリスに届いていなかった。

 仕方なくマサヤはそれまで相手をしていた女性の元魔族の攻撃を掻い潜りながら巨躯の元魔族に近づいて行く。


「だあっ、くそっ! やってやるよ! おい、テメェも俺が相手だ!」


 自身に近付いて来るマサヤに気付き顔を向ける巨躯の元魔族。女性の元魔族も相変わらずマサヤを標的に定め狙い続けている。


 それまでのマサヤと女性の元魔族との戦闘は、マサヤが有利な展開で進行していた。女性の元魔族は身体能力が生前以上に強化されている上に手数も増していたが、本能でしか動いていない為か戦闘技術は著しく低下していた。

 一方マサヤは生前の女性の魔族との戦闘で戦闘技術が成長していた。結果としてマサヤの戦闘能力は、技術を犠牲にした女性の元魔族の戦闘能力を上回っていたのだ。もし一対一の戦闘を続けていたならば、マサヤの勝利は揺るがなかったはずだった。


 しかし、戦況の変化がそれを許してはくれなかった。

 生前以上に強化された元魔族が二体。一方は怪力に任せた重たい一撃を、一方は四肢の刃を用いた連続攻撃を、それら全てがマサヤ一人に向けられる事となってしまった。


 とはいえ、何も一人で二体の元魔族を倒す必要はない。エリスかユート、どちらかが戦場に復帰するまで時間を稼げば良いのだ。問題はそれがどれくらいの時間を要するのかという事だが。

 それまでマサヤはこの二体の魔物の攻撃を掻い潜り、生き延びなければならない。無理に攻めはせずに回避に徹するしかないだろう。


「さっさと戻って来いよユート……じゃねえと全部俺がぶっ倒しちまうぜ!」


 とはいえ、マサヤ自身の性分がそれ以上を求めてしまいがちだが。彼が冷静さを保てるかどうかは本人にもわからなかった。

 マサヤの強気な台詞は、思考する能力を失っている目の前の元魔族達には伝わらなかった。




 エリスがユートの元に向かい駆け出した理由は、元魔族の咆哮に混じって確かに聴こえたからだ。ユートの悲痛な叫び声が。

 至る所が崩れた廃墟の中、エリスは半端に立ち上がろうとしていて膠着している黒騎士の姿を見つけた。


「ユートさん! 大丈夫ですか!?」


 足元の瓦礫に注意しながら黒騎士の元に近付くエリス。その過程で黒騎士の状態を確認する。そして黒騎士の胴体の部分に、内側にまで達している破損がある事を見つけた。エリスが予想した通り、ユートは負傷してしまったようだ。


「ユートさん! 意識はありますか!? 出てきて下さい! すぐに怪我を治します!」


 黒騎士の元に到達し、ユートにすぐに出てくるように呼びかけるエリス。やがて、黒騎士の胴体部分が開かれ、苦悶の表情で左腕を抑える少年が、ユートが外に出てきた。


「見せて下さい。すぐに治します! 『治癒魔術ヒール』!」


 抑える手を退けてエリスに見せたユートの傷は、骨にまで到達していた。酷い出血だったが、エリスの手から放たれる暖かな癒しの光を浴び、痛みが徐々に和らいで行く。

 脂汗を滲ませ呼吸も荒かったユートの様子もだんだんと落ち着いてきた。やがて深かった傷は跡形もなく完治し、痛みも完全に消え失せた。


「はい、もう大丈夫ですよ」


 怪我を治癒し終えて笑顔を向けるエリス。しかし、完治したはずのユートの顔は真っ青なままだった。


「怪我はもうありませんよね? 二人の魔族さん達の相手を、全部マサヤさんに任せちゃってますから早く戻ってあげないと!」


 屈んでいた腰を上げ立ち上がり、ユートに戦線復帰を促すエリス。しかしユートは、どういう訳か動こうとせず、震える手で両肩を抑えるように握る。


 そして、


「い、嫌だ……」


「え……?」


 弱々しいか細い声で、


「もう……戦いたく、ない……」


 戦線への復帰を拒絶した。


「ユートさん……」


 仲間であるユートの思わぬ発言。しかしエリスは、その一言でユートの心情、境遇を全て悟った。


 この少年は、この世界に来て初めて怪我をしたのだ。初めて戦いの中で傷を負わされたのだ。そして、初めて『戦い』というものを本当の意味で実感したのだ。


 今までユートは、自ら作り出した黒騎士というゴーレムの中から、それを操作してでしか戦っていなかった。さながら元の世界で言うテレビゲームのように、ゲームの登場人物のキャラクター、黒騎士を操ってでしか戦っていなかったのだ。

 それはつまり、生死を賭けた死闘を一歩下がった安全地帯から眺めているのと同じ。今までの死闘にユート自身には現実味がなく、それこそゲーム感覚で「遊んでいた」だけだった。


 それが、自身が傷つけられて初めて、現実の出来事であると自覚した。


 先刻にマサヤとともに思い悩んでいた、人間を殺めたという苦悩とは別の、それ以上に深刻な問題だった。

 敵は自分を殺そうと襲いかかってくる。ここは死と隣り合わせの戦場。傷つく事は当たり前で、下手をしたら命を落としてしまう危険な場所。その事実を、今になって理解してしまったのだ。


 ユートには、覚悟がなかった。自覚がなかった。自らの死に直面する事で、ようやくその事実を理解したのだ。


 そして、その事実に心の底から恐怖してしまった。

 今までは遊び感覚だった戦いが、正真正銘の命のやり取りであると自覚した事で、恐怖心に負けて心が折れてしまったのだ。




 ……それは、まるで……。




「…………」


 ユートの心情を悟ったエリスは、


「……わかりました」


 その拒絶を、肯定した。


「……は?」


 思ってもいなかったエリスの反応に、思わず目を丸くしてしまうユート。そんなユートに構わずエリスは続ける。


「できるだけ安全な場所で待っていて下さい。あ、黒騎士さんの中がやっぱり一番安全ですかね? 修復はして下さいね。それから周囲の警戒も忘れないで下さい。もし何かが近付いて来るのに気付いたらすぐに知らせて下さい。それから……」


「ま、待てよ、ちょっと待て!」


 ユートの拒絶を受け入れた上で優しく指示を出すエリスの言葉を遮る。ユートにはエリスの考えが理解できなかった。


「何だよそれ。どうしてそんなに簡単に受け入れてんだよ」


 本来ならば怪我も完治したユートは戦闘を続行できるはずだった。二体の強敵が現れている以上、無理をしてでもユートは戦場に復帰すべきだ。その事はユート自身がわかっている。それなのにこれ以上戦いたくないという我儘が通るわけがない。普通ならばエリスは何が何でもユートを戦場に復帰させるべきのはずなのだ。

 だと言うのに、エリスは迷いなくユートの拒絶を受け入れた。無様に醜態を晒すユートを、侮蔑も嘲笑もせずに。あり得ない思考回路だ。何を考えているんだ。

 ユート自身そこまで自覚しながらも、やはり戦場への復帰は情けない事に恐怖心が邪魔をしてできないでいるのだが。


 戸惑うユートにエリスは、優しい笑みを向けながら答え始めた。


「だって、ユートさんのその想いは誰にも否定できませんもの」


 ユートの側に寄り添いながら、エリスは自分よりも少し背の低い少年の頭を撫でて言葉を紡ぐ。


「傷つくのが嫌なのは誰だって一緒です。死ぬのが怖いのは当たり前の事です。そんな危険がある戦場に立ちたくないという考えは、誰も否定できません。してはいけないんです」


 微笑みを向けるエリスの言葉を聞き、その考えがようやく理解できたユート。彼女は戦況よりもユートの意思を尊重したのだ。


「貴方が戦場に立ちたくないと言うのでしたらそれで構いません。戦う力があるからって誰も強制なんてしません。特に私達異界人って、ある日突然この世界に連れて来られて凄い力を授かっただけの、元々はごく普通の一般人だったんですから。戦う覚悟が備わっていなくて当たり前なんです」


 エリスが優しくユートの立場、考えを肯定して受け入れる。だが、その優しさがユートにとって毒である事も理解できてしまった。

 エリスの言葉は間違っていない。だが、本当に正しいとは到底思えなかった。何故ならば、異界人全員がユートと同じ境遇のはずが、誰一人として戦場から逃げてはいないではないか。

 戦う事を恐れている臆病者は、ユートだけなのだ。


「じゃあ、どうしてお前は戦えるんだよ」


 異界人達は神々の気まぐれで連れて来られた挙句、この世界の事情に巻き込まれてしまった立場だ。確かにエリスの言う通り、そんな立場なのに命を張ってまで戦う責任なんてない。しかしそれでも皆は、エリスは逃げずに立ち向かっている。ならばその理由は何だ。

 ユートの質問にエリスは、やはり朗らかに答え始める。


「もちろん私だって戦いたくはありません。逃げ出したい気持ちもあります。でも、それ以上に守りたいものが沢山ありますから」


 エリスが答えた立ち向かう理由は、ユートが元いた世界に溢れていた空想上の物語等によく聞く、ありふれたものだった。しかし、それこそが最たる理由である事も理解できた。


 エリスが守りたいものというのは、やはりまずはシオンの事だろう。しかしそれ以外にも、エリスが大切に思っている存在が沢山ある事をユートは知っていた。

 共に戦ってきた仲間達だけでなく、彼女はこの世界で多くの人々と触れ合ってきた。そしてそれらの人々全てを愛おしく思っている。

 かつてまだユートがエリス達と敵対していた時、この世界を支配しようと目論んでいたマツリの自論に反論した時に、確かそのような事を語っていた。


「実はですね、私もこの世界に来たばかりの頃は、魔物と戦う事とか、冒険者になる事とか、お遊び感覚で楽しんでしまっていたんですよ。でも……」


 独白を始めるエリス。彼女もまた、かつてはユートと同じ認識を持っていた者の一人だった。

 だが、


「そんな私のせいで、シオン君を死なせてしまったから……」


 そんな彼女が己の過ちを自覚した理由。それは、大切な人の死を体感したからだった。

 幸いにも彼女自身の力によって取り返しのつかない事態には陥らなかったが、エリスが考えを改めるきっかけとしてはじゅうぶん過ぎる出来事だったのだろう。


 これまでのユートの認識が理解できるエリスだからこそ、彼女はユートの過ちを許してくれているのだ。


「……大丈夫ですよ、ユートさん。お姉さんに任せてください。貴方の事も私が守り切ってみせますから」


 そして当然のようにそのような事を宣うのだ。彼女にとってはユートまでも、守るべき存在のひとつなのだ。


 伝えたいことを全て言い尽くしたらしいエリスは、ぽんぽんとユートの頭を優しく叩きながら立ち上がり背を向ける。そして、迷いなく死と隣り合わせの戦場に自らの足で向かうのだった。


「…………」


 それを無言で見送るユート。その心境は、最悪の一言だ。


 誰もが傷つく事を厭わず戦地へ赴いておきながら、自分だけは遊び感覚でしかなかったという事実。


 いざ自らの危機に瀕した時になって、臆し、逃げ出そうとしている臆病者の自分。


 対照的に、自身の中にある恐れを理解しながらも、大切なものを守りたいという一心で戦う事を決めたエリス。その姿があまりにも眩しく映り、同時に自身の愚かさに絶望する。


 あまつさえ、守ってやると言われて、自分の事を庇護の対象であると言われて、安心してしまっている自分自身の不甲斐なさにも。




 ーーなんて、格好悪いんだ。




 エリスも、マツリも、マサヤも、トモエも、アユミも、イサミも、どうして死んでしまうかもしれない戦場に身を投じる事ができるんだ。元々俺達は身の危険なんて考える必要がない世界で生きていたではないか。いくら戦う力があるからと言っても、何にでも勝てるというわけでもない。大怪我をしてしまうかもしれない。死んでしまうかもしれない。なのに。

 他の皆も、エリスと同じく守りたいものの為なのか? それは本当に命を賭ける事ができる程のものなのか? 俺のように、本当の意味で戦う意味を理解していないだけなのではないか? 何故、何故、何故、何故…………。




 ……俺には、守りたい存在はないのか?


 俺が今まで大切にしてきたものは何だ? 仲間か? マツリか? 本当にそうなのか?

 今まで俺は、戦う理由なんて何も考えていなかったではないか。マツリの事を大切に思っていると口にしていたが、それだってそういうキャラクターを演じて酔っていただけだった。全てを自覚した今ならわかる。


 今までの俺が大切にしていた事……そう、それは格好良い自分を演じ続ける事だったんだ。


 なんて愚かな人間なんだ。なんて薄っぺらい人間なんだ。結局のところ俺は、自分さえ良ければ他の事なんてどうでもいい人間だったのだ。

 きっと他の皆は……少なくともマツリは、そんな俺の本性を見透かしていたに違いない。彼女は特に頭が良い人間だ。本来ならば俺なんて歯牙にもかけない程に強い人だ。そのうえで彼女は、俺の能力の有用性を理解して利用していたのだ。今になって彼女とのやりとりの全てが恥ずかしく思えてきた。俺は本当に愚かな人間だ。


 やはり俺には、戦う理由なんて全くないのではないか。

 このままエリスの言葉を甘んじて受け入れ、守られながら戦争が終わるのを待ち、全てが終わったら誰にも何も告げずに去る。それが正しい選択なのではないか。


 ……なんて格好悪い結末なんだ。


 そんな未来、皆に侮蔑されてもしょうがないではないか。ユート・マキセは矮小な臆病者だったと記憶されて終わりだ。そんな未来、耐えられるわけがない。


 しかし、だからと言って再び戦場に立てるか? あんなにも恐ろしい世界に、再び向き合う事ができるか?


 どの選択が正しいのかなど、考えるまでもなく立ち向かう方に決まっている。けれど、恐怖心がその選択を遠ざける。


 理由が欲しい。この恐怖心を覆せるだけの、戦う理由が。




「…………」




 ユートは葛藤しながら、今までずっと自分が乗り込んでいた自信作のゴーレム、黒騎士に目を向けていた。

 今まで戦ってきたのは俺ではない。黒騎士だ。俺が思う理想の戦士の姿を作り出し、演じてきたに過ぎない。黒騎士ならばこのように立ち振る舞うだろうという言動を心がけ、理想を実現させる為に強さを、操作技術を磨いて。

 全て、格好良い自分を演じる為に。


「…………」


 無言でその写し身を見詰めるが、黒騎士は何も語らない。当たり前の事だ。黒騎士はユートの傀儡でしかない。


 しかし、ユートの頭の中では、黒騎士の言葉が聞こえてきていた。




 ーー戦う理由等、考える必要はない。我には戦う力があり、我が眼前に敵が立ちはだかっている。それ以外に何を理由付ける必要がある? 我こそは黒騎士。異界の地より堕とされし咎人。神に権能の力を此の身に刻まれし罪深き魂也ーー




 それは本当に黒騎士が語り出したわけではない。ただ、こんな状況だと黒騎士ならばどのような事を言うかと、無意識のうちに考えていただけだ。




 ーー敵に背を向け無様に生き延びるくらいならば、命の限りを戦いに捧げ誇り高き死を迎えよう。何故ならばーー




 ……そのほうが、格好良いから、だ。


 本当の自分にはそんな勇気はない。死にたくなんかない。しかし、今まで自分が演じ続けてきた黒騎士は、そのように宣言していた。


 ……俺は、理想の黒騎士になんてなれない。けど、それでも。




 ーー格好良い自分を演じ続ける事を、戦う理由にしてはいけない道理はないだろう!






 葛藤は終わってはいない。恐怖心が薄れたわけでもない。逃げ出したい気持ちは、今でも深く心に根付いている。


 それでもユートは、黒騎士が手から溢れ落とした大剣に手を伸ばし、しっかりと握った。

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