葬送歌。
マサヤがその場所に到着した時、件の新手は冒険者達と交戦していた。
ゴーレム兵を盾にバンダースナッチの群れを相手取っていた冒険者達だったが、そのゴーレム兵を倒し抜け迫って来た存在を見つけ戦闘を仕掛けたのだ。
その新手は、黒いフードとローブに身を包んだ、一目でわかる敵……魔族だった。
ローブから覗く四肢は華奢で、身体つきから女性だとわかるその魔族は、現在マサヤと顔見知りの冒険者、リインドの街出身のゴルダが相手をしていた。
戦闘を繰り広げる二人の周囲では、負傷した仲間を離脱させようと担ぎ肩を貸す冒険者が数人。既に女性の魔族の被害者が出てしまっているらしい。
大剣を巧みに扱い対応するゴルダに対し、女性の魔族は湾曲した細身の剣を二本、両手にそれぞれ手にしている。踊るような立ち回りをしてゴルダを翻弄し圧倒している。明らかにゴルダが押されている様子だ。
ゴルダの振るう大剣が空振りし、大きな隙が生じた。その隙を見逃す魔族ではなく、湾曲した刃が対処できないゴルダに迫り……その斬撃がゴルダに到達するよりも早く、割って入ったマサヤが魔族の刃を漆黒の長剣で弾いた。
「うおっ、マサヤか!? すまん、助かった!」
「おっさん、こいつは俺に任せて怪我した奴らをエリスの元に送ってくれ! エリスはあっちの方にいるからよ!」
感謝の言葉を述べるゴルダに、マサヤはエリスの居る大まかな場所を指差して伝えた。
「わかった! ここは任せる! 終わったら一杯奢ってやるぜ!」
「へへっ、酒は飲めねーから飯にしろよな!」
了承したゴルダは短い受け答えを終えて早速退却し行動に出る。マサヤは背中で見送り、対峙する敵に剣を向け構える。
「ずいぶん暴れてくれたみたいじゃねーか、ねーちゃんよー。女相手に喧嘩すんのはちょっと気が引けるが、加減できる程俺は器用じゃねーんだ。悪く思うなよ!」
啖呵を切りながらマサヤは、漆黒の長剣だけでなく、それを片手に持ち替えもう片方の手で背負っていたミスリル銀製の大剣も取り出した。敵が二刀流らしいのでこっちも二刀流で相手をしてやる、という特に理屈はない思い付きでしかない理由だが。
「はあ、何よもう、結局強そうなのが来ちゃったじゃない。やっぱりメラベの作戦はアテにならないわ」
相対するマサヤを一通り見定めたらしい女性の魔族は、うんざりした様子で溜め息とともに愚痴を零した。その口振りから、やはりこの襲撃はイサミが予測した通りの策だったようだ。
「まあいいわ。さっきから満足に踊れる殿方が一人もいなくて退屈してたの。貴方は上手く踊れるかしら?」
気を取り直したらしい女性の魔族は、改めて両の剣を構える。シオンの愛用するサーベルよりもさらに反った形をした、特徴的な剣だ。
「へっ、そいつは期待に応えてやらにゃあ男が廃るってもんだな!」
女性の魔族の誘い文句に乗り、不敵な笑みで返答し……戦闘が始まった。
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迫り来る、異形と化したかつての仲間達。虚ろな眼差しはそれでいてしっかりとイサミを捉え、各々が剣を振るう。
イサミは弓には手をつけず、剣だけでそれらに対抗する。魔物と成り果てかつての身体能力を遥かに超える肉体となった騎士達は、生前の戦闘技術を残したままだった。純粋に生前よりも強化されている事になる。それでもイサミは、全ての攻撃に対応してみせていた。
腕力にものを言わせた轟剣。速度を追求した迅撃。連携を駆使した連刃。魔力の刃を遠方から飛ばす飛刃。その何れもが強力無比な攻撃の数々でありながらイサミに一太刀も与えられていないのは、既にイサミにとっては目にした事がある技の数々だったからだ。
かつての技を超える威力のそれらを、イサミは極限まで研ぎ澄まされた集中力を以ってして乗り越えて行く。
特出した感知能力によって知覚する、敵の体内の魔力の流れ。それを読み取る事で行動の先を読む、未来予知にも等しい行動の選択を可能とする技術。その技能で、現在イサミと交戦している五体の騎士の魔物全ての動きを把握して対処している。
生半可な集中力では追いつけない。先読みを一手でも違えばそれだけでイサミの敗北が決定してしまう。針の穴に糸を通すかの如くの繊細さを常に求められる、途方もない意識の果て。そんな極限の状態の維持を要求される戦いだった。
その最中、刹那の間すらも油断できない攻防の中でイサミは、それぞれ自分に数々の技を繰り出してくるかつての仲間達への思案が脳裏に浮かび続けていた。
ーーライアン。騎士団随一の筋力を自慢していたな。俺以外でバンダースナッチに剣で傷を負わせられたのはお前だけだった。
ーーナハシュ。速さを競って俺に負けた時は悔しがっていたな。それでもその俊敏な動きは誇るべきものだった。
ーーサシャ、クレス。お前達二人のコンビネーションは真似できそうにない。二人ならばどんな難関も乗り越えて行けると讃え合う姿は羨ましくもあった。
ーーベルガモット。魔力の刃を飛ばす技術を教えてくれた事は今でも感謝している。お前が思っていたよりも早く修得してみせた時の驚いた顔は今でも忘れられない。
……こうして複数の騎士達を相手に模擬戦をした事もあったな。その時は三人相手だったが、当時の俺は今程技術が磨かれていなかったが、それでも勝ってみせた。今はどうだ? 手練れ揃いのお前達五人を同時に相手取って、俺は勝てるのか?
……いや、違うな。勝たなければならないんだ。お前達の騎士としての誇りの為にも。
目紛しく展開される攻防。防戦一方のイサミ。しかし騎士の魔物達の攻撃は一撃たりとも彼には届かない。
しかしその均衡はやがて、僅かな綻びから一気に崩れ去った。
流れを征したのは、イサミだった。
一瞬の隙を突いて繰り出したイサミの刺突が、連携して襲いかかってきていた騎士のうちの一人の足を捉え、一呼吸のうちに切り飛ばした。それによって二人組の連携が崩れ、補おうとしたもう片方の騎士の魔物に生じた更なる隙を見逃さず、その騎士の魔物の胴体がイサミの一太刀によって切り裂かれる。
それからはあっという間だった。高い機動力を発揮していた騎士の魔物の動きを捉えたイサミがその首をはね飛ばした。そして差し迫る大柄な騎士の大振りな剣を避け、すれ違いざまに脇腹に一太刀を浴びせる。
飛ぶ斬撃を放っていた騎士の魔物に接近するイサミに対し、やはり騎士の魔物は魔力の刃を放ち応戦してきたが、難なくそれを回避し肉薄し、その騎士の魔物の首が宙を舞った。
首を切り離されていない魔物は未だ動いて来るが、こうなっては最早敵ではない。イサミは淡々と歩み寄って行き、処刑人が如くそれぞれの騎士の魔物の首をはねる。その瞬間はただただ無心となって。嘆く事も祈る事もせず、心を意図的に空虚にしてその作業を成した。
そして、残る敵は一体……イサミと最も親しかった人物、サーグラ国騎士団副団長、バネッサ……そのなれの果ての魔物だけとなった。
バネッサは唯一、イサミを前にして一歩も動こうとせずに戦況を見守り続けていた。それが如何なる理由があっての事なのかは知る由もない。虚ろな眼差しは生前の記憶や心を残して等いないという事を雄弁に語っていた。
イサミが彼女を向いた時、ようやくバネッサが動きを見せた。バンダースナッチを連想させる異常に発達した左腕、その先にある肉体と一体化した剣を構えてみせたのだ。
その構えは左腕が異形化してしまっている為に両手で剣を握る事は出来ていないが、確かにイサミの記憶にあるバネッサの用いる構えだった。
そのバネッサの姿を目にしたイサミの心が僅かに揺れる。しかし決してその事を面には出さず、すぐに気持ちを鎮める。
今まで手を出して来なかった理由はわからない。もしかしたら人間だった頃の記憶が僅かにでも残っているのか……そんな淡い期待も少なからず抱いていたが、明らかにこちらに敵対する姿勢を示している事からその可能性は皆無だろう。
とにかく自分にできる事は、私情を挟まず彼女を斬り伏せ、眠らせてやるくらいしかない。それが彼女の為なのだ。
イサミは決意を新たに、バネッサだった魔物に向けて剣を構える。
疲労はあるが、動けない程ではない。集中力はまだ続く。いや、続けなければならない。
そして、一対一の戦いが始まる。
バネッサの扱う剣技は、愚直ながらも研ぎ澄まされたものだ。それが今、異形と化し巨大化した腕から、威力、速度、そして範囲全てがかつての比ではない上昇を遂げて放たれる。
その斬撃を避け、弾き、受け流して尽く対処するイサミ。それでもバネッサは一撃一撃が対処される度に即座に体勢を立て直し、間髪入れずに次の攻撃を放ち続ける。
ーー剣技において最も大切な事は、より早く確実に自身の体勢を立て直す事だ。如何に速く鋭い渾身の一撃を放ったとしても、それで必ずしも決着がつくとは限らない。実力者同士の戦いならば尚更。反撃を受けてしまえばそれで終わりだ。だから攻撃の後により早く敵の行動に対処できるように体勢を整える。そして、もし敵の次の行動よりも早く体勢を立て直せたのなら、確実な追撃も可能となる。これはあらゆる戦闘に共通する考えだと私は思う。お前も頭に入れておけーー
いつだったか、まだ技量の甘い素人だったイサミに言って聞かせてくれた、彼女の言葉を思い出す。今目の前で戦っているこの魔物も、実際にその戦術を実践している。
そして、やはり、強い。
バネッサは副団長としての指揮官の能力だけでなく、実力も騎士団を束ねるに足る強さを持っていた。その剣技はイサミを除いて右に出る者はなく、国内最強の騎士と謳われていた程だ。唯一の欠点として、頭が硬く柔軟な考え方ができない面があったが、それでも女伊達らに皆からの信頼も厚い、良き副団長だった。
……そして、自分に好意を寄せていた事も気付いていた。
普段は「騎士にあるまじき……」等と言って誤魔化していたが、イサミの事を特別気にかけていた事、他の女性と関わっていた時に嫉妬心を燃やしていた事、イサミの手柄を自分の事のように喜んでいた事……全て知っていた。
もし自分が元の世界に帰れなかったとしたら、きっといつか、彼女と生涯を添い遂げるのだろうと、漠然と考えていた。最早それも叶わぬ未来となってしまったが。
ーー優しい微笑みを向ける、彼女の眩しい顔。
ーー厳しく剣技を指導する、彼女の真面目な顔。
ーー騎士としての在り方を説く、彼女の凛々しい顔。
バネッサとの、輝かしい日々が脳裏をよぎる。
俺はあの時、幸せだった。
俺はあの時、満ち足りていた。
俺は……彼女を、愛していた。
それでも、だからこそ。
終わってしまった過去に、決別を。
ーーやがて、決着が静かに訪れた。
イサミの剣が、バネッサの露出した心臓を貫いていた。
「……すまない、バネッサ。お前の仇は必ずこの手で取ってやる。今は……眠ってくれ」
密着した最愛の人、だった存在に、別れを告げ。
貫いた剣を引き抜く、その瞬間……。
ーーありがとうーー
聞こえない筈の彼女の声が、響いた気がした。
「クハ、ハハハ……! 素晴らしいぞ亡国の騎士よ!」
崩れ落ちるバネッサの後方から、彼女を殺めた張本人が、老獪な魔族の男の笑い声が届いた。