ホシノサカ(州と一夜の短篇)
勝手に期待して
勝手に失望して
勝手に失恋。
昼間は陽射しが痛い。実際に皮膚を裂かれ、骨肉を粉砕し、舞う血飛沫の鮮烈な痛みではなく、それは他人の冷徹な境界線を引いた視線に似てじりじりと痛い。
ほ。ほ。ほ。
陽炎が揺らめく道路を華夏は自転車で滑っていく。熱せられたアスファルトは太陽からの視線を寛容に受け入れ、抱きしめて離さない。
華夏の米噛から耳を掠めて顎をなぞって汗が滴る。温風が汗の軌跡を冷やしたが、焼け石に水。そんな長時間漕いだわけでもないのに、坂道を立ち漕ぎで登り始めた数分で激安Tシャツにプリントされたアルファベットも色を変えている。
空が青く、雲が白い。入道雲がもくもくと生クリームのように盛り上がり、山を皿代わりにもたれ掛かっている。 昔は夏休みがあるから、夏が好きだった。社会人になり、正月も盆もない今となっては、夏を好きでいる理由がなかった。
「はなちゃん。ねえ、もう帰ろうよ」
「馬鹿じゃないの、何の為に暑い中出てきたの」
「だってきつい、しんどい、つらい」
「じーっとしてたって変わらないでしょ」
「良いじゃん。うじうじして何が悪いの」
天使と悪魔がする口論を、華夏は結局何もしないまま、陽射しに焼かれることを選んだ。髪さえ焦げてちりちりのパーマがかかった自身だったり、フライパンで目玉焼きを作る様子だったりが忙しく脳内を過ぎる。けれども、華夏は結局自転車を漕ぐ。
ほ。ほ。ほ。
カゴに放り込んだ横がけのカバンがずるうりと奥へ沈んだ。失恋したあの日のまま、ずきんと痛む胸が痛み過ぎて腐って来た。本来は失恋と言って良いのかもわからない。イイなと思ってた男性がいた。彼は職場でよく会い、話すようになっていた。目が細くていつも笑顔みたいな彼(目では追っていた)が結婚するのだ。
やってられない。
「やってられない!」
「何か行動したワケでもないのに烏滸がましい」
「彼と趣味が合う!一緒の趣味!小説!」
「某サイトに何万人登録してると思ってるの。小説が趣味なら運命の人? だとしたら運命の赤い糸は何万本? 絡まってそりゃ切れるわ」
「そんなことより食事に誘えば良かった」
「もっとアピールしたら良かった?」
だってそれで拒絶されたら?
天使と悪魔が黙る。拒絶は辛い。親の世代なら結婚してなきゃおかしい年で、仕事に打ち込んだ結果がこれ。胸を張る成果も出ていない。何が楽しくて働いているかわからない。年下の部下とは価値観が合わない。年上の部下は年下だ女だとバカにしてくる。尊敬する上司の下から転勤させられて、今の上司は自分の見たいものしか見ないから努力も時間外労働も評価されない。気付いてないから。
やってられない、そうともやってられない。
私の関わり方が悪かったって大層な人間様は言うだろう。じゃあ早くタイムマシーンを発明してよ。異世界に転生させてよ。赤ん坊に戻って、やり直させてよ。
ほ。ほ。ほ。
私はどこへ行っているのだろうか。
私は、どこへ、行けるのだろう。
先刻から鬱陶しい息継ぎの、毛根が滅したおじさんがいつの間にか私まで追い抜いていく。
体力は私より無い、はず。あの人は後悔したことはないのだろうか?
違う生き方に憧れたことはないのだろうか。
キラキラと日光を浴びてアスファルトが星のようだ。この坂の向こうに彦星が待っていても、私はガラスの靴も無くした灰被り。
泥々としたものを溜め込んで、夏の坂を登る。
結局、私は自分が一番好きなまま。