第三話 『碧落の思い出』
あとちょっと……能力登場するまであとちょっとだから……タイトル詐欺じゃないから……
その朝は、十数年生きてきた中で最悪な日かもしれない。何時もはこんなに寝起きはよくないのに、先ほど見た夢のせいでパッチリと開いている。だが、クマが酷い。熟睡は出来なかったようだ。悪夢、トラウマというやつだろう。
────昔の夢を見るだなんて……
レイは溜息をつきながらも思い出そうとする。現在起きている状況を整理し、なぜこんなに気分が悪くなったのか、その経緯を。
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目を覚ます感覚を、レイは嫌っている。なぜなら、一日が始まった合図だからだ。学生にとって1日の始まり、つまりは学校の始まりである。
そんな中、いやいや瞼を開く。部屋のライトがまるで早く起きろとばかりに光っている。その眩しさに悶々となつつも、り目をゴシゴシと擦る。だが、なかなか意識が覚醒しない。精神では起きようとしても体が言う事を聞かないようだ。どうにかして体を起こし、パチパチと目の前を見る。
「……はっ?」
大分覚醒した目で部屋を見渡すと、やけに周りの物が大きく感じられた。しかしまだ寝ぼけているようで、心なしか体も縮んでいるような気さえも感じる。
「そんな…バカな…」
ベッドから降りると転んでしまった。身長の差に身体が付いていけてない。やはり勘違いでなく、体が縮んでいる。
そろそろ変え時だな、なんて思っていたイスも本棚も新品同様だ。埃一つついていない。身の回りの違いに驚き、戸惑いを隠せないでいると、突如としてレイの耳に声が聞こえてきた。
「レイ! 起きなさーい! 学校遅刻するわよ!」
一階から響いてきたのは、女性の声だった。その声は最近聞いたような気もするが、誰の声か思い出せない。少なくとも昨日聞いたはずだ。
レイは興味のないことこそ覚えないが、人の声をすぐ忘れるような男ではない。少なくとも前日の声なら覚えているはずだ。声の正体を探っていると、その女性はシビレを切らしたのか、階段をドタドタと上がり、部屋のドアを開けた。
「レイ! 起きなさい! って、起きてるんじゃない」
女性は、「返事ぐらいしてほしいものだわ」とため息をつく。
その女性は、レイのよく知る人物。忘れるはずもない人物────愛子だった。だがその顔は昨日見た顔より若く、若干皺も少ないように見えた。顔の下のクマもなくなっている。
それに、レイに対する言葉遣いも驚くほどフランクだ。昨日の出来事など、嘘だったかのようである。
レイはその態度に気味悪く思いつつも、
「え、あ、うん。おはよう母さん」
「おはよう。朝ご飯食べちゃって。冷めるとおいしくないけど?」
レイの態度に気づかないまま、意気揚々と答える愛子。彼女はその後、エプロンを正すと、一回へ降りようとする。
その背中に、ついレイは言葉を投げてしまった。
「か、母さん!」
「え!? な、なによ……?」
レイの突然の怒号に驚く愛子。当然だ。いきなり後ろから人の大声なんて聞こえてきたら誰でもびっくりするだろう。しかし、その愛子の様子にかまう事をなく、レイは言葉を紡ぐ。
「母さん……昨日のこと覚えてる?」
十中八九昨晩のことだ。不可解な質問かもしれないが、どうしてもレイは聞かざるをえなかった。
その言葉に愛子は、顔の上に?を浮かべながらも、
「……昨日のこと? ああ! お父さんがローストポークと間違えて生肉買ってきたことね! なに? レイはまだ怒っているの?」
「いや! いいんだ! 覚えてないなら……」
「ん? あ、そう……じゃあお母さん下で待ってるから」
「早く来てよー」という言葉を残し、愛子は下へ降りて行った。
どうやら、覚えていないのではなく、そのこと自体が起こっていないかのようだった。まるで昨晩のことが起きていないかの────
(───あれ? 昨日の事って……なんだ……? 僕は小学五年生だし、昨日のお父さんはすごく面白かった……)
頭に靄がかかったように、何も思い出せなくなる。辛いことがあったはずなのに、言葉の一つすら思い出せない
いや、思い出す必要なんてないのかもしれない。僕は小学五年生だ。
「そうだよ…何が昨日の思い出だよ…僕、疲れているのかな?」
夜中までゲームをやっていたせいか、どうやらゲームの内容と混濁しているようで、ありもしない妄想をしてしまった。そこまで夢見がちではないはずだが。
まあ、結局何もなかったのだから良しとしよう。
────でも、なんか気になるんだよなぁ……
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水曜日。それは、学校の授業時間が一時間減る、学生にとって嬉しい日である。大人数が公園や町へ繰り出し、ワイワイと騒ぎながら遊ぶだろう。或いは何か用事があって遊べない学生もいるはずだ。だが、一時間授業が減るという事に変わりはない。そこに幸福感は残る。
斯く言うレイも、水曜日の堪能者だった。今日は何をして遊ぼうか、それとも勉強しようか。そんな仕様がレイの中をぐるぐると回り、なかなか決まらない。それがいつもの恒例で、結局放課後の流れに任せてしまうのだ。
そんなことを考えながら、服を着替えていく。小学校は普段着なので、個人のセンスが問われるのが妬ましい。
────まあ、全部お母さんなんだけどさ……
パジャマから普段着に着替えると、フワリと香るのは洗剤の匂いだった。この前桃の匂いがする洗剤に変えたとかで、少し甘い匂いがする。お日様の匂いではなかった。
靴下を履くことで着替えが完了する。これで準備は完了だ。
ランドセルを持って部屋の外へ出る。
今更に思えるが、レイの部屋は二階だ。いつも思うのは、わざわざ二階に来てまで起こしてくるのなら、いっその後と一階に作ってくれればよかったのに、ということだ。
まあ、愛子がそれを苦と思っていないのなら、レイが言うことはないだろう。親任せなのはご愛嬌。
ともあれ、他の家族は全員起きているのか、二階の廊下は静かだ。ちなみにレイの父親は単身赴任であまり帰ってくることはない。
レイが、朝食はなんだろう。なんて思っていると、一階に降りたとき飛び込んで来た光景は─────
「おいおいおい。なんだ兄さん。そんなにこのカップ焼きそばを物欲しそうに見つめて。人の欲しがっているものを目の前で食らうのは最高だと言うが、まさにその通りだね。あ、食べる?」
「結局くれるのか。いや、食べないけどさ」
目の前に食パンが置かれていると言うのに、わざわざ朝カップ麺を毎朝食べているレイの弟。加古川 前夜だった。少し白がかっているような灰色の髪に黒い二重のタレ目が特徴だ。彼は小学三年生にしては大人びていて、大人を煽ったりするのが大好きと言う、少々大人にとっては厄介な子だもだった。その代わり成績は優秀で、神童なんて評価もされている。
その上、お小遣いでカップ麺を購入しては味の研究をするという趣味も持っていた。しかし意外にうまいから困る。前夜曰く、「カップラーメンは地球が生んだ宝」だそうだ。
さらには多弁であるため、その勢いにレイが負けてしまうことも多々ある。一時間目が体育なのに、油たっぷりそばを食べさせられたのは冗談でなく笑えない。
レイは朝っぱらからカップ麺を食べるような趣味はないし、胃もたれしそうなので丁重にお断りしておいた。
「えー? いらないのー? 今回のはそんな自信ないけどもしかしたら兄さんの好きな味かもしれないじゃあないか。割とあっさりしているし鰹で出汁をとっているからコクや旨みが最大級にうまいし兄さんは麺類では蕎麦が好きだよね? だから今回は食べごろだしなんならパンに合う麺も出してあげようか? だったらこれがいいかもしれないけど少し重い気もするから胃が普通レベルの兄さんが食べるには少し重いかもしれないから「うるさいっ!」……あ、ごめん」
前夜の言葉に思わず怒鳴り声を上げてしまう。ここまでしつこく言われたら余計に食べる気が失せるというものである。何度も言うが、朝にそんな重いものを食べる勇気をレイは持っていない。朝は軽いパンか米がジャスティス。麺なら冷麦がいい。
「だいたい朝から小学生がカップ麺なんて食べるか!? 胃もたれするし、母さんがせっかくパンを用意してくれているのに、悪いと言う気持ちはないのか!? パンに失礼だろパンに!」
「なっ! カップ麺を馬鹿にするのか! 兄さんはそんなんだから俺に口喧嘩で負けるんだ! 俺の力の源はカップ麺でありカップ麺こそ至高! それ以下でもそれ以上でもない!」
「───いいっ加減にしなさい!」
「「イエス! マム!」」
言い合いをしているとき、 突然響いた怒号に二人とも揃ってビクッと震えてしまう。その声の正体はフライパンを持っている愛子だ。その怒号の意味は、早く朝食を食べろと言うことなのか、近所迷惑ということなのか、どちらにせよ、怒っていることは確かだった。
前夜は素早くパンを口の中に放り込み、レイは席に座ってもぐもぐと咀嚼する。一気に含んだせいか二人ともリスのようだ。水を含んで喉に流し込む。少し喉が焼けるような感覚がするが、これ以上鬼が怒る前に家を出ないと、本当にどうなるかわからない。
「行って来ます!」
レイは勢いよく声を出し、ランドセルを背負ってをさっさと家を出ようとする。
しかし、勢いよく席を離れたせいか、前夜の食べていたカップ麺に腕が当たってテーブルの下に押してしまった。
バチャ! という音を立てて、鰹で出汁をとったという、琥珀色の汁が床に広がった。
「あ、やべ」
後悔の言葉を口にするも、もう遅いようで、背後には愛子が立っていた。その顔は髪で見えないが、きっと般若のような顔だろう。前夜が「俺のカップ麺がぁ〜」と嘆いているが、そんなこと気にしている場合ではない。
「レイー?」
「説教は放課後の後で!」
零したままだが、このままでは学校に遅れてしまう。苦渋の決断だが、前夜は囮にするしかないようだ。
愛子に顔を掴まれた前夜の安否を一応祈りつつ、ドアに右手で手をかける。
だが、一足遅かったらしい。左手に感触がある。十中八九愛子の手だ。
「レイ。待ちなさい。逃がさないわよ……」
「ヘイ! ほんとマジスんません!」
体を綺麗に90度曲げ、誠意をしっかり表すように頭を下げる。この場合は謝るしかない。愛子がどんな顔をしているかが気になる。
数秒静寂が訪れ、前夜の「カップ麺がァ〜!」という声だけが家に響く頃、愛子は溜息をつきながらその重い口を開いた。
「……わかった。掃除しておくから、元気に学校に行ってらっしゃい」
「わ、わかった。よかった〜……」
「その代わり帰って来たらお仕置きだけど。ほら! 前夜も早く学校行きなさい!」
「ですよねー……」
などと日常の一コマを繰り広げつつ、レイは再びドアノブに手をかける。
─────ふと、レイは愛子に聞いてみたくなった。
「ねえ……母さん」
「ん? なに?」
「母さんにとって、僕……と前夜は、どんな存在……?」
愛子は訝しげな表情をしながら、しかし確信を持ったような顔でレイの質問に答えた。
「……どんなって、今日は変な質問ばっかね。そりゃあ『完璧な息子達』に決まっているでしょう?」
「そう、だよね……」
愛子の返答を聞きつつ、どこかモヤモヤした感情を抱いて外へ出た。やはり、愛子にとってレイ達は完璧な存在だ。それが愛子の望むことなら、そうなるのがレイ達の出来ることだろう。|楓と対等になることが、母さんの救いになるのなら、それに越したことはない。
──────母さんにとって、『僕はどんな存在?』とは、恐ろしくて聞けなかった……
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外に出れば、メラメラと燃える太陽がレイを照らしていた。夏近くのせいか、体全身が焼けているような感覚を味わう。
蝉の声がうるさく響き、真夏の到来を表していた。
「うっわぁ〜。今日も暑いな〜」
手で太陽から顔を隠しつつ、弱気な声を漏らす。冬か夏かと言われれば、レイは冬と答える人間だ。そのため、レイとしては早く冬になってくれと願うばかりである。
しかしまだ七月という事実に絶望しながらも、隣に住む幼馴染の家へと向かった。
楓を起こすのは、レイにとって毎日の日課だ。あの成績優秀な幼馴染は、朝だけは優秀でないらしい。
レイも朝は苦手な方がだが、楓ほどではないと自負できる。前に楓の寝ているところを見たことがあるが、まるで死んだように眠っていた。いったいどんな眠り方をすればあんな寝相をできるのだろうかと思ったぐらいである。
「さて、今日は起きているかな?」
ピンポーン!
インターホンを押すが、数秒間返答は来なかった。その後、もう一度インターホンを押すと、ようやくドアの方に近づいてくる足音が聞こえた。
そしてとうとう、ドアが開かれる。
「はぁはぁ……あ、レイ君おはよう」
「おはようございます。誠司さん。楓は相変わらず寝ているんですか?」
「いや、今のインターホンで起きたみたいで、『お母さん! 筆箱どこぉー!?』って走り回っていたよ」
息を切らし、ネクタイを閉めながら出てきたのは、楓の父親、花岬 誠司だ。
引き締まった体に、短く整えられた黒髪。しかし一般的な会社員という印象とは裏腹に、会社の部長を務めている人物だ。
どうやらレイの予想は当たっていたらしく、楓は今まで寝ていたらしい。筆箱と言っていることから、今日の準備をまだしていなかったのだろう。
「じゃあ! 楓すぐ来ると思うから!」
勢いよく扉を閉め、誠司は家の中に入って行った。ドタバタと音が聞こえる。
この日差しの中待つというのも苦なことだが、すぐ来るという言葉を信じてみよう。そう思い、レイは待って見ることにした。
しかし、レイの期待を裏切って、五分過ぎても楓は出て来なかった。流石にイライラしてきたところである。
「お待たせ!」
「遅いわ!」
「てへへ。ごめんごめん」
舌を出しながら頭を掻く楓。レイはその態度に怒る気も失せてしまった。五分以上も待ったレイの身にもなって欲しいものである。五分ぐらいなら待てと思うかもしれないが、これが毎日続くといい加減うんざりして来るのだ。
「じゃあ行くよ!」
「あっ、待ってよ!」
元気良く走り出す二人。だが、楓が先に走り出したせいか、レイが背中を追いかけるような形になってしまう。
レイは、元気良く走っている背中を見て、少しだけ、少しだけ、
────胸が苦しくなった。
評価、誤字脱字報告、よろしくお願いします。




