第二十一話 『生に見合う絶望』
テストが終わりました。結構機関明き明日が、次は通常通りだと思います。
────レイの能力は、未だ不確定要素が多い。尋常じゃない身体強化、謎のオーラ────そして、致命傷レベルでさえ瞬時に治る再生。さらには、『魔王』によって施された何かによる、オーラの赤色。色に関しては何が変化したのかわからない。若干破壊力が上がっている気もしないでもないが……何をスイッチに稼働するのかわからないのだ。
しかも、『魔王』に何かされてからは、身体強化が常時発動中だ。オンオフが効かないのである。常に気配には敏感になるし、遠くの音も聞こえる。能力者に襲われるようになってからは、これらの要素は必要不可欠だ。
「げほッ! な、何でだ……?」
故に、レイは今の状況に混乱していた。頼ってきた、縋ってきた回復が発動しない現状を正しく認識できていない。あまりの驚きっぷりに、一瞬痛みを忘れるほどである。レイの呆然とした顔と体を抑える痛々しい姿が、何よりもそれを主張していた。
「どうした、諦めたのか?」
しかし、そんなレイの事情を相手が察するわけがない。混乱するレイに叩き込まれたのは、言葉通りであるのならば『極操作』と言われる能力による蹴りだ。
座り込んだ状況を利用してか、その一撃は顎を狙っていた。
「ちっ! この─────」
「ギリギリじゃ遅いんだよ」
思わず横っ飛びに、ぎりぎりで回避しようとして、後頭部に衝撃。言葉通り、ぎりぎりの回避では意味がなかった。先ほどの極操作だろう。足とレイの後頭部になにかが差し込まれた感覚があった。
そのまま地面に身体を打ち付けられ、数回転して止まる。
「グぅ……いって……」
「同時に、逃げるという選択肢は、俺の前では無意味になる」
痛みに悶え、反射的にその場から退こうとするレイの足を、少年は言葉と共に追撃。蹴りが一直線に脛へと吸い込まれ、ごりっと、嫌な音を立てる。
今までとは一味違う、痛みに思わず叫び声をあげた。
「いっ────てぇえぇぇええええ!」
脛は本来、弁慶の泣き所ともいわれる体の部分。つまりは骨が出ているところであり、下手したら体の中で一番痛みを感じやすいのだ。思わず脛を押さえながら、その場でのたうち回る。
治らない。やはり治らない。限界を迎えたのか、何なのかは確かではないが、この痛みがすぐに引くことはない。その事実が嫌に鮮明に脳を駆け抜け、レイはさらにうめき声を強くした。
「うるさいな。まずはその叫び声をやめろ」
少年の無慈悲な心は、そんな敵を逃がさない。
叫びレイを尻目に、少年は髪を掴むと強引に顔を上げさせた。脛の痛みには少し慣れてきたが、髪を引っ張られる痛みに思わず「ぐぇ」と情けない声を上げる。
少年はレイの顔を覗き込むと、左手を顔に近づけた。
「何を─────」
次の瞬間、レイはまるで頭が揺れているような感覚を覚える。
何かされている、それだけは理解できた。もしかしたら極操作かもしれない。と思いつつも、頭の揺れは激しくなっていく。
「いや、もう面倒くさくなってきた。眠ってろ」
「あ、あ、あ、あ」
グワングワンと、脳を直接揺らされているような感覚だ。
次第にそれは、吐き気や痛みへと変換されていく。脳内を思いっきりミキサーされている如き不快感。全身が気持ち悪い。
「ああああ、あああああ」
声も、最早声の形をとどめていない。うめき声や叫び声にも似た、醜い声。
常人であれば確実に気絶しているであろう程の衝撃。きっと少年も気絶を狙っての好意だったのだろう。だが、生憎レイは身体強化。さすがに脳を強化することは出来なかったようだが、耐久力という点では許可されていたらしく、なかなか気絶しない。
─────だが、この瞬間、レイの中の何かがプツリと切れた。レイの奥底で震える何かが、歓喜の叫び声をあげているかの様。
「いい加減にぃ……しろよッ!」
「いや、やめるわけないだろう」
脳を揺さぶられる中、レイは己の感覚に身をゆだねた。
歯ぎしりし、目つきの悪い目がさらに悪くなる。赤い目がさらに輝き、まるで宝石の如き輝きを放っていた。
何故かはわからない。唯突然に、怒りを感じた。
目の前の敵を叩き潰せと、骨をグシャグシャにしてしまえと────殺せと、殺意がわいてくる。
瞬間、レイの腕が能力を使う少年の手を掴む。少年は忌々しそうにレイを睨むと、その目つきに思わず「ひっ」と声を漏らした。
それほどまでの変わり様。この数舜で何が起きたのかと、疑うほど。
それは当事者であるレイも同様。ただ目の前の人間を殺せと、内に眠る感情が訴えている。それが異常だと思う心は、今のレイは思合わせていない。心身ともに殺意一色だ。
「お前、いきなりどうし─────」
「グラァァァアッァァァァァァァッ!!」
「はぁ!?」
刹那、獣のような叫び声をあげ、レイは立ち上がる。少年は能力を使用して思わず後退。
最早レイの中に理性はほとんど残っていなかった。力に溺れる、そういう表現が正しいであろう有様だ。だが、そんな暴走も肉体には恩恵を齎した。叫び声をあげた瞬間、肉体の壊れた鼻や骨が文字通り再生していったのだ。と同時に、全身が黒いオーラで包まれる。
────それは、今までレイが発していたオーラの濃さとは比べ物にならない。まさに暗黒、そんな様子がうかがえるほどの濃さ。いつ具現化してもおかしくないような錯覚も覚える。
「いや、お前いきなりどうしたんだよ!?」
当然、少年は困惑の嵐。
レイの内心など知るよしも無い少年にとっては、レイがいきなり叫び声をあげたようにしか見えない。狂っているように思われてもおかしくはないだろう。
だが、そこは能力者といった所か。能力が何かしら暴走したことによる影響と悟ったようで、何かをぶつぶつと呟きながらも、レイの動きを警戒している。
(潰す、殴る、叩く、引っ張る、千切る、剥ぐ、コロす)
心が、肉体が、蝕まれていく。
心の中でどす黒い言葉が浮かぶたびに、肉体を取り巻くオーラがさらに濃くなる。今はもうすでに、何かの機械による演出と言われてもおかしくない。
─────その様子が、魔王の様だと気づくことは、レイにも、少年にも出来ないのだ。
「──────ッ」
その、叫び声にも似た呟きは、レイのものか、少年のものかは定かではない。それは、動き始めたレイにとってはどちらでもいいことだ。
まるで地面を這うかのような態勢のまま、レイは真っすぐ少年へと向かっていく。
「ガァッ!」
「ほんとどうしたってんだよ……」
苦笑いをしながら、目の前の現実を受け入れられないように少年が言った。
レイの発するオーラに押され、額には薄く汗をかいている。だが内心は冷静のようで、口元をうっすら歪めながら、レイに向かって右手を突き出してくる。
瞬間、レイは見えない壁にぶつかったように前に進めなくなった。進もうとしているのに押さえつけられているような感覚を覚える。
「悪いな。俺が能力を発動している間は近づけない!」
少年は、それがレイに効いたのを見届けると、左手を右手にぴったりと合わせ、同じように手を突き出してきた。
それと同時に、レイを蝕む壁のようなものがさらに強力になり、とうとうレイを押し返す勢いだ。
だが、それでも止まらない。
「グゥゥゥゥゥガァァァァァ!!」
「なっ! ふざけるよこの野郎!」
レイの叫び声に弾かれるように、腕が壁を無視して前に進み始める。効力が働いているせいかゆっくりと、そして弱い進みだが、着実に手が前に出ていた。そのまま、左手も同様に進み始める。その様子は、まるで反発しあう磁石を強引にくっ付けようとしている、そんな言葉が浮かぶような現象だ。
やがてレイは、さらに地面を蹴る。全力で、差を縮める様に。
その願いが届いたのかは分からないが、地面を蹴ることで浮いたレイの体は真っすぐ少年へと飛んでいく。次の瞬間、胸ぐらをつかんだ。
「なん……で……」
「ガァァァァァァァァァ」
獣のような方向を上げ、言葉を無視して拳を振るう。
正面、それも至近距離からの攻撃に対し、少年は学生服の襟を犠牲にして回避行動を取る。ぎりぎりと裂ける音が聞こえた。瞬間的にレイと少年の間に何かを発生させ、後退したのだろう。
少年は眼鏡の位置を直しつつ、レイを睥睨。そんな反応を受け、レイは唸り声を上げながら瞬時に地を蹴る。今度は正面ではない。背後へと回る動きだ。
「────速い」
少年の呟きを受け、レイは背後を取った。
瞬時に振り返るが、少し遅かった。目にもとまらぬ速さで少年の膝裏を蹴り、距離を取る。
「ぐっ────これほど痛いとは……」
少年は痛みに呻き、その場で膝をついてしまった。
わざわざ足を狙って攻撃したのは、僅かに残ったレイの理性からの攻撃だからなのか。はっきりとはしないが、それは少年も気づいたようで、「皮肉だな……!」と悪態をついていた。
膝をついた獲物を逃がす余裕と正常な心は、今のレイにはない。
地を蹴りタイルを破壊しながら、相手を翻弄するかのような動きでゆっくり近づいていく。理性はなくとも、暴れている能力には、戦闘の知恵があるらしい。
少年は動き続けるレイにすっかりたじたじだ。
目の前に居るかと思ったら次には横に移動しているレイを、目線でしっかり追っている。まだあきらめていないのだろう。
しかし、速度故か目線が追い付いていないような気さえする。まさに刹那の行動。
やがて少年の目は限界を迎える。肉眼で追いつける速度───────というよりも、単純に高速で動くレイを目線で捉えるだけの集中力がなくなり、現在の位置を把握できなくなったという事。一度見失えば再度認識するのは不可能に近い。集中力と精神が疲労してきているのだから、猶更だ。
見失った少年を尻目に、レイは懐へ潜り込む。通常状態よりも踏み込みが早いのは、暴走し、本能で行動しているせいだろうか。能力をより原始的に扱えているのだ。
当然、回避は出来ない。懐に入り込んだ時、ようやく少年はレイを捉えた。
「シネ」
「ッ!」
拳を握る腕が少年を捉えようとする。数秒足らずで脇腹を穿つ、そんな結果は、
「──────強風!」
唐突に訪れた風によって、永遠に訪れることはなくなった。
「────────」
ただの風ではない。速度と能力により発生した、殺傷能力のある風だ。
それは少年とレイの間に────正確には、ややレイ寄りに風が吹き荒れ、二人は吹き飛ばされた。風が当たっただけの少年は後方に吹き飛ばされ、直撃を受けたレイは、全身を風によって切り刻まれ、自身の血で真っ赤に濡らされながら。
背後に数メートル吹っ飛び、地面に背中を打ち付け、起き上がる。全身からぽたぽたと血が滴るものの、そんなことは気にしていられなかった。
「なんダ、せっかく『アイツサマ』が面白いことになってるとか言うから、興味を持って来たって言うのにヨォ……駄目だな、これじゃあ……ああまったく、何でいつもこんなことになるんだ。なるんだ? なるんだ! なるんだ!? 唾つけておいたエサはいっつもこうだ! なんでどいつもこいつも期待外れの結果になるかなぁ!!」
────それは突然、少年とレイがいた位置から響いた、耳にねばりつくような声だった。
何か、嫌な気配が全身を支配していく。暴走という生ぬるい感情を丸ごと塗りつぶし、レイの心が正常へと引っ張り出される。
濃い緑色の髪を短くそろえ、背丈の高い男だ。その眼は同じく緑に染まっており、言動と同じく異常な何かを感じさせられる。細い体付きなのに、しっかりと筋肉があるのが感じられる。だが、その体のほとんどは身に纏う服によって隠されている。どこまでも緑尽くしなようで、その緑を主体とした服装は、日常ではあまり見ないものだった。
「お前は……あの時の!?」
声を震わせ、喉を鳴らし、レイは頬を伝う汗を感じながら男を見つめる。伝う汗が地面に落ち、ぴちょんと音を立てた。
同時に、少年も構え始める。異常な気配を感じ取ったのだろう。
男は二人の言葉と行動を見送り、ゆらりとその全身を奮い立たせる。曲がった背骨をまっすぐ立たせ、首の骨を鳴らしながらぎょろりと動く目は、ハッキリ言って気持ち悪かった。
「歓迎、ありがとうぅ」
狂人は嗤う。それは、美鈴が撃退したはずの能力者。レイが能力を施行するに至った原因を作った人物。
「魔法軍、ウィンディス・クリアス」
旋風が、吹き荒れた。
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「しまっ!?」
言葉など等に遅く、無慈悲なウィンディスの拳が振るわれる。腹に真っすぐ突き刺さり、レイは背後の柵を破壊し、数十メートル吹き飛ばされ、建物の屋上からはじき出される。
次の瞬間、ふわりと浮遊感。屋上から外れ、身を空中へと投げだしてしまった。だが、それぐらいなら問題はそこまでない。強化された身体能力なら数十メートル上空から落ちたところでどうってことない。
「どっこみてんだよ!?」
「はやっ─────」
言葉を最後まで紡ぐことなく、ウィンディスの拳が振るわれる。空中へ放りだされたレイを追うようにして、追撃してきたのだ。その拳を受け流そうと手を伸ばすが、ウィンディスは空中で体を捻り、それを回避。勢いよく腕を振るったせいか、レイは空中で一回転し、ウィンディスに背中を曝け出してしまう。
「しまっ」
「はいどーんッ!」
ドンッ!
ウィンディスの口から出た音と同じような鈍い音が響く。
振るわれた拳は狙い違わずレイの背骨を直撃し、その体を地面へと追いやる。回避する暇も、腕を突き出して受け身を取る暇もない。早すぎる速度でレイへと振われたのだ。
下がコンクリートだったせいで、打ち付けられた瞬間にボキボキと骨の音がする。確実に折れた、そう思う瞬間には再生している。回復する力は健在のようだが、そんなことは気にしていられない。すぐさま直って腕で体を支え、首を捻れば────予想通り。ウィンディスが降ってきた。
「────しゃッ!」
「ラァァッ!」
短い呼吸と叫び声を交え、レイとウィンディスの体は交差する。
眼前、重力と加速を伴ったウィンディスの拳が目に映る。レイはそれを回避しようとし、間に合わないと判断。腕をクロスさせて衝撃に備えた。
「く、ぃぃいぃぃっぃぃ!」
「ほらほらほら!」
声が掻き消える程の衝撃がレイを襲う。
交差させた腕に拳が激突した瞬間、地面がミシリと音を立てて少し砕けた。レイの腕よりも、ウィンディスの拳よりも先にコンクリートが根を上げたのだ。直撃した腕は少し拉げるも、ウィンディスの拳を受け止めていた。
「────っ!」
「いいねいいね! まだまだ感じろッ!」
「────癪だが、しょうがない」
「「っ!?」」
激突した腕と拳の間に何かが差し込まれる。それと同時に、ウィンディスの体が横にずれるが、瞬間突風。ウィンディスがその風に乗り、体勢を立て直して地面へ着地する。
レイは思わず風に驚き手で顔を覆うが、不意に視界に少年が映った。彼は柵から身を乗り出し、掌を開いてこちらへ向けて能力を発動していた。その結果がこれだ。
「ちっ、めんどくせえなッ」
「─────っ」
そのまま、ウィンディスは跳躍して少年と同位置まで移動する。風という名の暴力が限界まで蓄えられ、今放出された。手加減など存在しない一撃は、等しく人体を破壊する一撃だ。
少年が咄嗟にウィンディスの両腕を掴み、矛先を別の方向へと差し向ける。風の弾丸は着弾点を大きく変え、建物の壁を抉った結果に終わった。
「しっ────」
「らっ───!」
短い呼吸の刹那、少年とウィンディスの腕が交差する。
─────だがそこには、技術、力、速度。すべてにおいて差があった。交差した瞬間、少年の腕が押し負ける。能力を発動させるより前に拳が直撃し、その痛みによって発動が中断された。
「ぐっ────」
「ハハッ……他愛、なぁい!」
バッッッッゴンッ!!
少年が痛みに震え、指先を抑えるのも束の間。すぐにその顔面に拳が突き刺さる。風による勢いが乗った拳は、鈍いを通り越して炸裂音を響かせ、少年の体を遥か彼方まで吹き飛ばす。空中に放り出された少年の加速は止まらない。空中に鼻血をまき散らしながら、到着したのは道路沿いの街路樹へ激突する。その衝撃で大気が震え、風圧を巻き起こし周囲の葉を巻き上げた。
その体が地面へ落ち、赤い湖がそこ彼処へ広がっていく。周囲に人がいないせいで騒ぎにはなっていないが、下手したら死んでいる。そう思えるほどの威力だった─────否、死んではいないだけで重症なのは事実だ。もしかしたら死んでいるかもしれない。
「っ────っ────っ」
体が震えあがるのを感じる。先ほどまで元気だった少年が、殺されかけた、もしくは死んだのを見て、脳裏に楓の最後がちらつく。魔王の攻撃が這いより、心臓を貫く瞬間まで、スローモーションの如きスピードで脳を犯していく。ちらつく記憶のすべてがそれに代わった。
「あ”あ”あ”っ”!」
それが嫌で、頭を掻きむしりながら呻く。喚く、叫ぶ。そうしなければあの時は蘇ってきそうで、心身ともに恐怖で染まっていく。
どこまでも醜く憎悪に紛れた『クソッタレ野郎』の嘆き。そんな状態を、そこに至らしめたウィンディスが逃がすわけもない。
拳に大気が巻き付き、風が拳中心に吹き荒れる。それが放出された瞬間、弾丸はレイに命中した。痛みを感じる間もなく、地面へ叩きつけられた。その勢いがあまりにも強く、コンクリートであるにもかかわらずバウンドしてしまう。
それを追撃するかの如く、地上へ降り立ったウィンディスの蹴りが炸裂。わずかに浮き上がったレイの脇腹を、狙い違わず蹴ったのだ。
当然その衝撃で、空中を立て回転しながら吹き飛ばされる。血が出ないものの、空中を色々な液で汚しながら、少年以上に遠くへと吹き飛ばされた。
傷は途中で治った。だが空中を舞う恐怖感、何時地面へ激突するのかという不安感が枷となり、心を縛り付ける。
「げぶッ! おご……ぅ……」
受け身らしい受け身を取る暇もなく、レイは地面─────公園の階段の角へ体をぶつける。その衝撃で一番最初にぶつけた個所、右半身が大きく凹む。爪が剥がれ、肘が九十度に曲がり、脇腹が衝撃に耐えきれず裂け、鮮血が飛び出す。
「───あ”────」
グシャグシャになった半身からは骨が飛び出し、嘘みたいに腫れあがっている。速度があったことにより鮮明に訪れた痛みは、そしてダメージは、レイに叫び声を上げさせないほどだ。
そのまま階段を地で濡らしながら、レイは地面で止まった。べちょりという嫌な音がする。ダメージを受けているのは一部のはずなのに、全身が痛い。そう感じた。
右目が真っ赤な何かで染まり、黒い何かにさえぎられる。目がつぶれたかもしれない。痛い、痛いと嘆いても、その痛みは一向に晴れないばかりで──────
ゴウッ
「────なんだなんだよ。最初はまだ可能性があると思っていたのに、結局駄目じゃねえか。混ざってるって言うから、少しは期待していたんだぜ? けど箱を開けてみれば俺に一撃も入れられない! 入れられ、ない。まあ、『アイツサマ』が間違っているわけないから、多分死なないだろ」
「─────」
「さっき見た限りでは結構弱いよな。俺の風に一方的にやられるし、あんな雑魚に手間取っていた。ああ、ほんと面倒。すべて溶けてしまえッ……て、話だな。ふむ」
「─────────」
「大体俺は戦闘好きだけどさ、別に嬲るのが好きなわけではないんだよ。戦って死んだ相手の肉をどうにかするのが好きなのであって、その過程が無様だとこっちもやる気になれない。さっきのは戦いとも呼べないお粗末なものだったし、だからと言ってどうにかしろというわけでもない。というより、なにがそもそも戦いなんだ? 混ざったお前と戦う事か? 殺し合う事か? ていうか俺が戦闘好きなのって──────」
ふと、左耳に声が聞こえる。
動かない体を動かそうとして、やはりだめ。意識だけでもそちらへ動かしてみれば、僅かに体を風が撫でる気配がした。いつの間にか、ウィンディスがいる。
次に浮遊感に襲われる。
髪の毛が引っ張られ、ウィンディスの握力によって持ち上げられているのだ。本来なら髪の痛みに叫ぶはずだが、感覚がマヒしていてそれすらわからない。
ぽたぽたと、血が地面に落ちる音だけが聞こえる。
「─────聞いたぜ? なんでも『アイツサマ』に幼馴染を殺されたんだってな」
「────ぉ」
「反応したな。いやぁ、聞いた限りでは無様だったらしいじゃねえか。とことこ駆けて来てようやくたどり着いた時、目の前で殺される。いやぁ~、アイツサマも嫌みなことするねえ。その挙句怒り狂って襲い掛かり、返り討ちにされたと」
自分の過ちが、後悔が、一つ一つ目の前で紡がれていく。
カメラが切り替わるかのように、それが脳裏に映っていく。この口ぶり─────『アイツサマ』とは魔王のことで、ウィンディスは魔王の仲間なのだろう。その仲間に言われているという事実が、よりレイを追い詰めていた。
確かにウィンディスの言っていることは事実だ。レイの力不足故に楓は死に、レイの精神の幼さゆえに今こんな結果になり、レイのすべてが悪い故に後悔が生まれた。
全身を掻きむしりたくなる衝動に駆られて、両腕を動かそうとする。だが左手は感覚がマヒしている故に動かず、右手はプラプラと、千切れそうなほど脆くなっていた。
精神が露出され、肉体が死んでいく。回復など起こらず、何もかも手遅れになってしまった感覚を覚える。
「なあ、加古川レイ。決定権。お前さ、全部自分のせいなのに幼馴染に押し付けて、挙句の果てに諦めて。ようやくどうにかしようとなったら幼馴染が死んで、それでまた諦めて。何しようというわけでもなくただ命をむさぼって、能力に怯えて人間らしく生きようとして、死んでいるか生きている分からない状態を彷徨って───────」
言葉が一つ一つ紡がれていく。
それは嘲笑っているかのようで、失望しているかのようで─────ひどく愉し気だ。生き恥を晒し、何一つ償わず、まるで命を捨てるかのように生きる。今この瞬間、レイの内にある物が壊れた。精神だとか、肉体だとかそういう問題ではない──────例えるのなら、レイという人間の存在意義。それが今──────
「──────お前、本当に人間か?」
壊れた。
さて、もう少しです。あ、終わりではなく、レイ君の変化という意味で。




