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Seven  作者: 如月ちえ
6/7

¥777

「777円のお釣りです」

「あ、ラッキー!俺いいことあるかなあ?」

「うーん、帰り、気を付けてくださいね」

「ありがと、じゃあまたね」

「はい、ありがとうございました」


 いっちゃんからお釣りをもらったときは、気を付けてくださいね。の本当の意味なんてわからなかった。

 その日はボーナスが出た。ウキウキ気分で飲んで、マンションに帰る。俺は見栄を張って、タワーマンションに住んでいる(といっても下のほうだけど)。なんとでも言え、男のくだらない意地だ。


「ん?」

 

もうコンシェルジュが帰ったエントランス。ソファに小学校低学年くらいの男の子がいる。


「ねえ、ぼくどうしたの?」

「ママがね、大事なお話があるからここにいてって。だから待ってるの」


 虐待か?男でも連れ込んでるのか?時計を確認すれば、既に21時を回っている。

 いくらオートロックがかかっているとは言え、うーん。放っておけない。


「じゃあさ、お兄さんとお話しない?」

「うん!」


 男の子の名は(かける)と言った。最近自転車に乗れるようになったけれど、お母さんがいないと乗らせてくれないこと。友達のゆうくんとよく遊んでいること。英語と塾に通っていて、スイミングも始めたこと。

ちゃんと人の目を見て話す子で、時間が経つほどつぶらな瞳が俺を捉えた。


「お兄ちゃんはどこに住んでるの?」

「俺もここに住んでるよ」

「でも見たことない」

「かけるくんが学校に行く前にここを出て、夢のなかのときに帰ってきてるから会わないんだよ」

「へえー、そうなんだあ。パパと一緒だね」

「かけるくんのパパはどんな人?」

「学校の先生!」

「そうなんだ!」

「僕に自転車も教えてくれて、遊園地にも連れて行ってくれた」

「へえーいいなあ」

「この間釣りにも行った!」

「えー、たくさん連れた?」

「うん、三匹も釣った!」

「すげえじゃん!」


 子ども好きということが功を奏し、俺はかけるくんと話を続けた。そのうち、彼は静かになり、そのまま寝てしまった。カーディガンを掛け、そっと頭を撫でる。俺もいつか、こんな素直な子を育てたいな、その前に彼女作らなくちゃな、なんて思いながら。


「おい」

「おーい、起きろ」


 身体を誰かに揺らされている感じがした。ゆっくり目をあけると、そこには警察官が二人がいた。


「なんすか」

「お兄さんちょっと話聞かせてもらっていい?」

「はい?」

「ちょっとだけだから」


 かけるくんは既にそこにいなかった。俺は管理人室に入れられて、話を聞かれた。


 どうやら俺は、誘拐犯だと思われたらしい。かけるくんを迎えに来た母親が、俺を通報した。しかし、警察官も誘拐犯にしては行動がおかしいと疑問を抱いていたようで、「ごめんねえお兄さん」と謝られた。


「変な人多いからね、気をつけてねお兄ちゃん」

「いや、とんでもないです」

「じゃあ、ゆっくり寝なね」

「すんません」


 どっちかって言ったら、母親のほうが虐待を疑われているだろうとイライラして、またアルコールを入れて寝た。でも、アルコールじゃかけるくんのことを忘れられなかった俺は、また七福神に行くことにした。


「この間、ひどい目に遭った」

「あー、やっぱりねぇ」

「どういうこと?」

「お釣り、ラッキーセブンだったんでしょ?」

「うん」

「お釣りとか合計金額に7が揃うと、あんまり良いことないんだよ」

「なにそれ」

「この店、じいさんに呪われてんのかな」


 店長は笑いながら串を回している。


「どういうことよ、詳しく教えてよ」

「最初は俺だって偶然が重なっただけだって思ってたんだけどさ」

「うん」

「お客さんが道で転んでスーツ破ったり、タクシー待ってたら近くで酔っ払いが戻しててそれが移っちゃったり。とにかくいいことがないんだよ。さんざんだったね」

「先に言ってよー」

「いっちゃんはちゃんと気を付けてって言ったはずだよ」

「たしかに」

「でも、気を付けようがないよね」

「そう、それ」

「一体何が起きたの」


 俺は店長に事の経緯をすべて話した。


「はあ、それでその子のことが忘れられないのか」

「うん」

「でもねえ、残念」

「なにが」

「うちは情報屋じゃないんだよねえ」

「そんなことわかってるよ」

「まあ安心して。今日は7がつかない金額にするからさ」

「んー、ありがとう」


 結局心のもやもやは晴れないままだった。

 あれからかけるくんに会うことは当然なく、日曜日を迎えた。もう今日はどこにも行かないで家で過ごそうと決め、昼間からビールをかっくらおうと冷蔵庫を開けたとき、インターホンが鳴った。


「あの、この間は申し訳ありませんでした」

「へ?」

「突然押しかけてご迷惑だと承知しているのですが」


 鍵を解除し、ドアを開けると背広姿の男性が一人立っていた。その人がかけるくんの父親だと一瞬でわかった。彼もまた、つぶらな瞳だったから。


「うちの息子がお世話になりまして。また、嫁も大変なご迷惑をおかけしてしまったようで」

「いや、いいっすよ」


 思っていたより低い声が出て、自分でも戸惑う。


「これ、あの、お詫びと言っては何ですが」


 そういって、かけるくんの父親は紙袋を差し出した。


「いいっす、こんなの」

「いえ、受け取ってください」

「もらえないっすよ」

「いや、お願いします」

「ん、じゃあ、お受け取りします」

「ありがとうございます」

「こちらこそすんません」


 紙袋の中身は羊羹の詰め合わせだった。一人でこんなに食えねえと、あとで七福神に持っていこうと決めた。夜、店長に「最近よく来るね」と遠回しに嫌味を言われながら、七福神を訪ねた。


「これあげる」

「なにこれ」

「かけるくんのお父さんが持ってきた」

「いいの?もらっちゃって」

「うん、俺羊羹食わねえし」

「羊羹ねえ、しっかりしてるパパなんだね」

「へ?」

「詫びの品ってことっしょ」

「なんで?俺は酒のほうがいいけど」

「お前のこと知らねえのに適当に酒もっていくほうが失礼だぞ」


 店長の言っていることが全く理解できなかった。


「昔から、羊羹は詫びの品なんだよ。それなりに重いし」

「そうなんだ」

「で?進展あったの」

「まったく」

「そうなんだ」

「気にはなるけど、そこまで知ることできねえし」

「そうだねえ」


 それから、かけるくんに会うことも、パパに会うこともなかった。俺は、いやな記憶はすぐ忘れる。だって、反復して心の具合が悪くなるのがいやだから。仕事が立て続けにあったのも関係していると思う。

 普段通り働いて、帰宅して冷蔵庫を開けると酒が一つもなくて、俺はしぶしぶスーパーマーケットに行くことにした。仕事終わりのママたちで賑わっているのかと思いきや、子ども連れが多かった。


「ママ、お菓子いくらまでならいい?」

「三百円かな」

「ええー」


「明日、何入れてほしい?」

「玉子焼き!」

「いつも食べてるじゃん」

「じゃあミニトマト!」


 耳を澄ませていると、親子の会話が聞こえてきた。俺も、遠足のときは絶対ミニトマト入れてもらってたなあ。

 いつも以上に混雑しているレジに並んでいると、ふとかけるくんのことを思い出した。


 あいつは、生きているのだろうか。

 ママに、苦しめられていないだろうか。

 大人ぶって、誰にも迷惑をかけないようにしているのではないか。


 気にはなるが、気にしたところで彼に会えるわけでもないし、と考えるのをやめてオートロックを解除してエレベーター前まで歩くと、スーツ姿の男性がエントランスに立っているのが見えた。


「あ」


 声に出した時には遅かった。その男性とバッチリ目が合う。


「あ」


 その人も、俺と同じように声を出し、会釈をする。俺はその人の隣に並んでエレベーターを待つ。


「あの、この間は」

「いいっすいいっす。もうなんも思ってないんで」

「すみません」


 エレベーターが一階に着く。必然的に一緒に乗り込む。


 はあ。……はあ。


 隣からため息が何度も聞こえれば、声をかけない訳にはいかないじゃないか。


「あの……俺でよかったら話、聞きますけど」

「あ、すみません」

「なんかあったんすか」

「ちょっと、嫁のことで」


 チン、とレトロな音が響いて、エレベーターが止まった。


「あ、よかったらウチきます?」

「……いいんですか」

「ほら、早く」


 俺はその人の手首を掴んで、引っ張った。


「すんません、強引で」

「いえ」

「散らかってますけど、どうぞ」

「おじゃまします」


 適当に座ってください、と言って、俺はグラスにお茶を入れた。


「どうぞ」

「すみません、お気遣いなく」

「いいっすよ、今更」

「すみません」

「もう謝んのやめてください」

「……はい」


 実は、とかけるパパが話始めたのは、俺の胸が苦しくなる内容だった。


 今から13年前、かけるパパとかけるママは出会って、3年後に結婚。次の年にはかけるくんが生まれた。幸せ以外の何物でもない生活なのに、かけるパパは同僚の女性と浮ついた関係になった。そして、かけるママも別の男を捕まえて、対抗するように関係を持った。しかし、その男はかけるくんに暴力を振るった。あの夜は、かけるくんをエントランスに出すことしかできなかったのだろう。あの夜以降、ママはこのマンションにさえ、寄り付かなくなった。


「俺が全部悪いんです」


 つい、「でしょうね」と言いそうになる。


「あの、俺、かけるくんと同じ目に遭ってるんです」

「……どういうことですか」

「母親の浮気相手に虐待されてました。父親も家に帰ってこないし」

「そんな」

「全部、全部、俺が悪いって思ってました。俺がいなくなれば父ちゃんも母ちゃんも自由に生きられるのに、って。今は、それが間違ってるってわかりますけど」


「あなたはきっと頭が良いから、俺が説教なんかしなくてもわかると思います。自分が今、何をするべきなのか」


「でもねえ……欲に負けんじゃねえよ。子どもの未来を潰す気か!」


 大きな目が、余計大きくなって、俺をじっと見つめていた。


「すんません。……こういう、理性が効かない大人にならないようにしないと」

「わかってるんです。わかってるんです。……ただ、俺がいないほうが、翔も幸せになれるんじゃないかって思って」

「そんなのは逃げだ」

「本当に、心の底から愛せる人が出来て、結婚しようと思ってたんです」

「それで」

「振られました」

「はは、しっかりしてる相手でよかったですね」

「……ホントですね」

「離婚するんですか」

「本当はしたくないんですけど、離婚するって言われてて」

「はあ」

「でも、どうも親権が取れそうになくて」

「うーん」

「だから、あなたに証人になってほしいんです」

「……え?」


 自分でも思った以上にマヌケな声が出て驚く。


「弁護士さんにそう言われたんすか」

「はい」

「うーん」

「お願いします」

「ちょっと待ってください。まだちょっとしか話を聞いてないし、俺は奥さんからの話も聞けてません。でも、離婚が最善の選択とは思えない」


「まだ、頭が冷えてないんじゃないですか。あなたは浮気相手と別れて少しずつ冷静になってきているかもしれない。でも奥さんはまだ男と別れていないんだったら、……他人の奥さんこんな言い方するのあれですけど、奥さんも、頭冷やしたほうがいいんじゃないっすかね」


「かけるくんを実家に預けて、全部クリーンかつフラットな状態で、やり直すかやり直さないか決めたほうがいいんじゃないっすか」

「……実家が九州なんです。僕も嫁さんも」

「んー、ちょっと待ってくださいね」


 俺がかけるくんを預かってもいいけど、何せ今は一番忙しい時期でいつ帰れるかわからない。……こうなったらあの手しかないな。


「もしもしー」

「あー、あのさあ、時給のいいバイトあんだけど、しねえ?」

「なにそれいくら」

「ちょっと待ってて」


 ミュートを押して、携帯を置く。


「あの、俺の妹が絶賛職探し中なんですけど、いくら払えます?」

「え?」

「ここでよければ面倒みるんで。どっすか」

「あ、あの、……お願いします」

「じゃあ決まりで。いくら出せます?」

「せん、ごひゃくくらい」


 俺はミュートを解除して、電話をつなぐ。それを伝えると、電話を切った。


「あの、ここで預かります。お二人がいないときとか、話し合いしてるときに。ここで、よければですけど」

「本当ですか!ありがとうございます」


 翌週から、かけるくんが来ることになった。物置として使っている部屋を汗だくになりながら片づけて、かけるくんの部屋にした。

 当日。俺は仕事を定時で終わらせて、妹も駆けつけて部屋でかけるくんを待っていた。


「ねえ……遅くない」

「本当だな」


 予定時間から既に三十分経過していた。時計を見れば、七時十七分。嫌な予感がした。いつまで経っても、かけるくんは来なかった。妹は俺に対してものすごく怒ると覚悟していたが、その予想は外れ、再度就活に力を入れ始めた。


 それから、かけるくんにも、かけるパパに会うことも、かなしいくらい、なかった。かけるパパの携帯に連絡しても、ショートメールを送ってみても、何の反応もなかった。


 時折、思い出す。デパ地下で、スーパーで、水羊羹を見ると。彼の幸せを願うしかできないけれど、どうか、どうか笑って生きていてくれと。


最終更新日 17/08/05

お久しぶりすぎました。今回は見栄を張ってしまう男性と、とある男の子の話でした。

次回が最終話です。このバラバラのお話、実は……という展開です。がんばります。

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