7歳差の男と女
「俺より髪ないじゃん」
「みんなボブで嫌だったから」
「お前らしいな」
そういって、おじさんは、わたしの頭をくしゃくしゃした。
「おじさんわぁ、スマートだからイケメンですっ!」
「今日酔ってんな」
「おじさんだって酔ってるでしょー」
「ばか、今日は一滴も飲んでねえから」
そう言っておじさんは振り返ったけれど、夜道に照らされる外灯のせいで、おじさんの顔は逆光してしまって、表情は見えなかった。
「見てらんねえな」
おじさんは、わたしの右手をスッと掴んだ。
「おじさん、手小さいね」
「身長ないからな。てか、お前女の割にはでけえな」
「そうなの、指が長いの」
グッ、と指を絡められて。
「おじさん、だめだよお、好きな人にしかこういうことしちゃだめだよー」
「嫌いじゃないから、いいだろ」
繋がれた手は、おじさんのポッケに入った。
「嫌いじゃないだろ?」
「うっさい」
おじさん、なんて呼んでいるが、わたしより七つ歳上なだけ。ただ、仕草とか大声で笑うところとかがおっさんくさいのだ。まあ、そんなところが好きなのだけれど。
わたしは女だ。だけど、酒が入るとどうしても身体の内側が熱くなってくる。加えて、枯れかけのすすきが強く揺れる季節。人肌恋しくなる女性は少なくないはず。
「ねえおじさん」
「んー?」
「うち来ないー?」
おじさんからの返事はなかった。
「お前さあ」
彼の指が、痛いほど水かきの名残りにくい込んでくる。そして数歩歩くと、楔はそっと外れた。
「ごめんなさい」
駅までの道を、おじさんはどんどん進んでしまう。あー、捨てられたな、これはお酒のせいに出来ないな、記憶がないという言い訳は効かぬものか。
「ねーおじさん待ってよ」
「ん」
ぶっきらぼうに差し出された手を見て、不思議になった。どうしておじさんはこんなわたしに付き合ってくれるのか。わたしは手を取らず、言葉をぶつけた。
「あたしのこと、どう思ってんの」
「どうって」
「いもうと?コンパニオン?」
あー、これって、おじさんが嫌いなタイプの女の子だ。おじさんがため息を一つついたとき、心の距離がスッと離れていくのがわかった。
「とりあえずお前の家連れてけ」
「は?」
「早く」
おじさんに急かされるまま、その手を握った。
「どこで降りんの?」
「八王子」
「おっけ、行こう」
わたしは定期を、おじさんはペンギンを改札に通し、ホームに出た。
あぁ、おじさん電子マネー使えるんだ。わたしは、おじさんをバカにしすぎていたのかもしれない。
ちょうど来た通勤快速に乗ろうとすると、おじさんはわたしを止めた。
「一本遅らせよう」
「なんで?」
「いいから」
もう、おじさんのことがわからない。高尾行きの快速に乗って、八王子で降りた。わたしより、ほんの少し後ろを歩いてくるおじさん。北口にそのまま向かって、駅を出た。
「さび」
「寒いね、コンビニ寄っていい?」
「何もねえの」
「うん」
おじさんは、わたしの部屋に泊まるつもりなのだろうか。話をしたいだけ?ねえ、目的は一体なに?
酔いが醒めて来た。これは、おじさんを終電までに帰さなければ。
「ねえ」
返事はない。
「ねえってば」
「なに」
「うち来てすぐ帰るの」
「ううん」
「え」
「誘ったの、そっちでしょ」
おじさんはお酒の入ったカゴを私から奪って、パンツやら歯ブラシやらを入れている。
「待って、勢いで言ったけどさ」
「けどなに」
「うーん」
わたし、おじさんとそういう関係を望んでいたのかな。もう自分の家に帰るつもりはないのだろう。今のわたしなら、流されるまま、してもしなくてもいいと思うけれど、うちには今、近藤さんがいない。
おじさんはささっと会計を済ませて、外に出た。やっぱりこういうとこ、スマートだなあ。わたしも後を追った。
「あの、ありがとうございます」
「だいぶ醒めてきた?」
「はい」
あ、これお説教タイムだな。
「酔った勢いで言うんじゃありません」
「すみません」
「今までもこうやって誘ってきたのかよ」
「それはない、断じて」
「あそう」
「とりあえず家行こう。お前が嫌ならファミレスでもどこでもいいけど」
「いえ、ご案内します」
駅から十五分ほど歩いた住宅街のなかに、わたしのアパートはある。一軒に二世帯しか住めない貴重物件。しかも、下に住んでいた大学生が引っ越して、今は完全にわたしのアパートのような感じ。
「ちょっと待ってて、掃除するから」
「わかった」
急いでゴミを片付けて、軽くフローリングを掃除した。玄関に向かうと、もうビールを開けて飲んでいる。
「終わった?」
「はい、どうぞ」
リビングを見渡したあと、ラグの上にそのまま座った。わたしが寝室で着替えていると、わたしを呼ぶ声がした。
「終わった?」
なるべく一緒の部屋にいたくない、というのはわたしのエゴなのか。
「もう終わるよ」
「わかったあ」
ものの数分でかなり飲んだのか、あまったるい話し方になっている。これはおじさんやばいやつ。
ドアを開けると、神妙な顔つきで正座をして、こちらを見ている。
「どしたの」
「お風呂を借りてもいいですかっ」
「あ、ああ、お湯張ってないからシャワーだけど」
「ありがとうございます」
へへぇ、と声を出しながらわたしのあとをついてきた。
「タオルはそこの使って」
「ん、サンキュ」
この物件と駅に近い物件を最後まで迷っていたけれど、やはりバス・トイレ別のこの部屋を選んでおいてよかった。
さて、おじさんをどう帰そうか。
いや、それはもう無理に近い。
こうなったら、別々に寝る?
うちにはお客さん用の布団も毛布もない。
……困ったなぁ。何が困るって、近藤さんがいないこと。
「はあ」
ため息しか出ない。
「シャンプーとか借りちゃった」
「いいよ、わたしもシャワー浴びてきていい?」
「うん」
着替えを取りにいくついでに、ちょっと大きめのスウェットを出した。
「よかったら、これ着て」
「マジ、ありがと」
シャワーを浴びて、髪を乾かして。もしかしたら、もう寝てるかも。
「お待たせ」
「ん」
何がお待たせなんだ、自分。わたしはゆっくり彼の隣に座った。
「あんさあ」
「なに」
缶ビールのプルタブを開けて、二口飲んでも、彼の口は動かない。
「なに」
「俺と」
わたしは缶をテーブルに置いた。
「……付き合ってほしい」
「それって、なん」
それって、何の確証があって?って訊こうとしたら、くちびるとクチビルがぶつかった。わたしの頭を抱え込みながら、ぐいぐい押してくる。わたしの下唇を挟みはじめた。
あ、これ、流されるやつだ。やばい。近藤さん持ってるのかなあ。
彼がそっと離れた。
「ごめん」
しばらくの無音。
「ゴムは?」
「は?」
「うち、ゴムないよ」
「持ってる、けどしない」
「なんで?」
「朱梨の返事、聞いてない」
変なとこくそ真面目だな。
「自覚ないけど、酔った勢いでもああいうこと言ったのは、きっと達哉さんの存在がラブ寄りなんだろうなあとは思う」
「うん」
「好き、だよ」
「うん」
あからさまに肩が落ちた。
「なんでだよ」
「なにが」
「俺、できねえ」
「なんで、しよ?」
「大事にしたいのに」
初心すぎる、なにこのちっさいおじさん。
「いつしたって一緒だよ、お見合いする人たちって早いんでしょ?」
「これはお見合いじゃない」
「据え膳食わぬは?」
「いや、我慢する」
そのあとはお酒飲みながら、テレビを見て。好き同士のはずなのに、なんだか気まずい。500ml缶が三本空いた頃。だいぶ欲が抑えられなくなってきたわたしは、彼の肩を押してみた。
「へっへっへー」
彼は笑わなかった。鞄のなかから箱を出すと、わたしの手を引いて寝室に入った。
「もうどうなっても知らねえぞ」
「どうなってもいい」
「なあ、ホントに好き?」
「うーん、好き」
気が付いたら、欲にまみれる彼が居て。普段へらへら呑気に暮らしている男だと思っていたら、大違いだった。強引に抱かれるの、嫌いじゃない。
「ごめ、帰る」
「え」
「本当にごめん、今日のことは忘れて」
彼は部屋を出て行った。
半年前、吉祥寺のハモニカ横丁の居酒屋、七福神でおじさんとわたしは出会った。たまたま隣になって、仕事の愚痴を吐くわたしのに、うん、うんと相槌を打ってくれていた。そして、知らぬ間に寝てしまったわたしの飲み代を支払ってくれていた。次に会ったときに、わたしが払うと強く言ったけれど、おじさんはそれを許さなかった。こっそり仕返ししたら、「もうやめよう、お互い普通に飲もう」ってなって。それから、月に二回以上は一緒に飲んでいる。
彼が七福神にいる確率が高いのは、金曜日の夜。おじさんを探して、毎週七福神に行ったけれど、いなかった。店長に聞くと、あの日以来ここに来ていないようだった。
もう、一か月が経った。何が苦しいかって、一緒にお酒が飲めないことが。自分がいけないのに。酔った勢いであんなこと言っちゃったから。それでも、自暴自棄にはならなかった。彼が、わたしのことを大事にしてくれていたから。
それでもね。やっぱり会いたいよ。電話もメールも反応なし。一体どこに行っちゃったの。
なんだか気分が落ち込んで、七福神に行かなかった金曜の夜。ピンポン、とチャイムが鳴った。インターホンを押すと、彼の姿。何を話すわけでもなく、突っ立っている。
「こんばんは」
「……こんばんは」
すごく嬉しかった。でも、今更感がすごい。
「なんの用ですか」
「謝りに来た」
「上がります?」
「できたら」
彼を家に上げて、コーヒーを入れる。ちょこんとソファに座る彼は、あの日の別人のよう。
「で?謝りたいこと、とは」
牽制のつもりで、敢えて対面に座る。
「この間は、帰ってごめん」
「うん」
「俺、嘘ついてて」
「うん」
「実家暮らしは本当なんだけど、正社員をクビになったフリーターじゃなくて」
「うん」
なるべく、無関心に聞こえるように。
「フリーペーパーの会社でイラストレーターやりながら、たまに路上で絵を描いて売ってる」
「うん」
「そこで店長といっちゃんに会ったこともある」
「へえ」
「もう、俺のこと好きじゃない?」
何も答えられなかった。無言の反抗じゃない。これは、もうどうしようもない。どんどん涙が溜まっていって、それはついに重力に負けた。
「ふざけてる……そんなのふざけてるよ」
「本当に、申し訳ないと思ってる」
こんなんだったら、へらへらされていたほうがマシだった。
「見て」
彼はテーブルの上に通帳を置いた。それを手に取って開いてみると、右下の数字が七桁。
「さんびゃくまん……」
「自分で言うのヤなんだけど、結構売れてんだぜ」
知らなかった。彼は絵描き界隈で有名だったなんて。それだけで生活しているなんて。
「ちゃんと伝えたくて」
わたしを抱いていなくなった日から、預金額はかなり増えていた。
「自分の力だけで、本気で売ったらどれだけになるのか試してた。もう俺自信持って言える」
「朱梨が好きだ」
「ずるい」
「ずるいよ、達哉さん」
「ごめん」
「わたしも、嘘ついてた」
「何を?」
「わたし、本当はアパレルの店長じゃなくて、つたないプログラマーなの」
「へえ、それって頭よくないとできねえ仕事だよね」
「そう、かな」
「少なくとも、俺には無理だ」
「わたしも絵は描けないよ」
初めて彼に会ったとき、彼はわたしの髪色とピアスを見て、下北沢の古着屋の店長だと言った。面倒くさくて否定しなかった。
結局、真実を知っていたのは、七福神の店長といっちゃんだけだったみたい。
最終更新日 17/03/19
イメージは、マトモじゃない男性と、自立している女性。
でも、何がマトモでマトモじゃないかなんて、考えること自体がちょとおかしい、この国じゃぽん。
七福神絡みなので、これからのお話も、酒臭さ満載だと思います。




