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ヘイヨーさんの短編集

人間再生工場

 この時代、働かない者が問題となっていた。

 いい大人なのに学校にも行かず、全く働く気がない。仕事を探そうとすらしない。そんな者たちは、ニート、無職、落伍者などといわれ、世間からさげすまれる存在と化している。

 特に大問題だったのは、働かざる者たちの高齢化が進み、今や30代や40代でも労働経験が全くないという者も珍しくはなくなりつつあるということであった。


 そんな現状に、ついに政府が重い腰を上げる。

 働かざる者たちは、一般市民の通報によって、摘発てきはつされるようになっていく。警察によって強制的に連行され、いずこかへと連れ去られるのであった。

 そこは、無能な人々を更生させる施設。通称“人間再生工場”と呼ばれていた。


         *


 そんなわけで、この僕も、人間再生工場へと送られてきたのだった。

 まさに、ここはこの世の地獄。血も涙もない鬼教官たちによって無理矢理に働かされる…わけではなく、施設で働く職員さんたちは、実に気のいい人たちだった。意外なコトに、ここは地獄などではなかった。むしろ、天国!この世の天国だ!


 では、これから、ここでの僕の生活を紹介していこう。


「おはようございます。そろそろお目覚めの時間ですよ」と、やさしい声で起こされる。

 まだ寝ぼけまなこの僕の前には、まるで天使のような若く美しい女性の姿がある。古代ギリシャ人が着ていたようなゆったりとした衣装に身を包んで。これが、この人間再生工場の制服なのである。

「おはようございます」と、眠そうな声で僕もあいさつをする。

「今日も1日よい日になりますように」と、かわいらしい声が返ってくる。


 時計を見ると、まだ朝の6時半だ。

 実家に住んでいた頃は、寝る時間も起きる時間もバラバラ。午後2時を過ぎてから、ようやく布団から抜け出してくるなんてこともザラにあった。

 それが、この施設のやって来てから、規則正しい生活が続いている。

 夜の10時には消灯時間となり、朝は6時半にやさしく起こされる。こんな暮らしが、毎日続いている。


 それから、パジャマを脱ぎ、普段着に着替える。顔を洗ってトイレに行く。

 その後は朝食だ。もう、みんな食堂に集まってきている。

「おはよう」

「おはようさん」

「おはようございます」

 と、あちこちで声が飛びかっている。

 この人間再生工場では、積極的にあいさつをすることが推奨されている。コミュニケーション能力をはぐむためだ。社会に出てからも、人と気軽に会話ができ、円滑な人間関係を築けるようにと、早くから指導されているのである。


 朝食はビュッフェ形式。

 好きな物を好きなだけ取って食べることができるようになっている。

 今朝は、洋食の気分だったので、トーストにバターとブルーベリージャムを塗って食べた。それに、スクランブルエッグとサラダ。もちろん、和食も選べる。ミソ汁や焼き魚だけではなく、味つけノリや納豆、生卵なども用意されている。


 そこからは、基礎訓練の時間だ。

 社会に出てから困らないように、ひととおりの基本的なスキルが身につけられるようになっている。パソコンの組み立てや、梱包作業などの単純な仕事に加え、営業や交渉の基本なども学べる。

 他にも、英語やフランス語やドイツ語や中国語といった語学。数学や物理などの基礎学問を選択することできる。

 パソコンのプルグラムを学び、プログラマーになる人も多かった。


 お昼ご飯は、午前11時半から。そこからたっぷり2時間のお昼休みがある。

 その間に食事をとり、残りの時間は好きに過ごせるようになっている。囲碁や将棋などの娯楽にきょうじる人も多いし、お昼寝をしても構わない。僕は、この時間によく外に散歩に出かけた。

 施設の敷地内には広い公園があり、池や小さな滝なども作られている。施設の外には広大な森も広がっており、自由に散歩にでかけてよいことになっている。

 高い壁や厳しい監視などもない。そもそも、ここから逃げ出そうとする者など、ほとんどいないのだから。なにしろ、天国のような場所だ。何もしなくても、温かい食事がいくらでも出てくる。こんな理想的な環境から逃げ出すだなんて、よっぽどのバカか酔狂な人物だけしかいない。


 お昼ご飯を食べ、ゆったりと休憩すると、午後からの作業だ。

 ちなみに、今日はカツカレーだった。それに、サラダがついていた。お昼は給食のような感じだったが、内容の方は子供の頃に食べた小学校の給食なんかよりも格段にいい!品数は少なくとも、味が全然違っていた。絶品だ!

 こういうところも、この施設は充実していた。

「なるべく理想的な環境で、人を育てる。それが、社会に出てからも必ずよい影響を与えるだろう」

 それが、この人間再生工場の基本方針だった。

 この施設に送られてくる人の中には、かつて過酷な環境に従事し、心や体を破壊されてしまった者も多かったが、ここでのゆとりある暮らしでほとんどの人は無事に回復していくのだった。


 午後からも基礎訓練を続けることはできる。

 だが、多くの人たちは別のことをやっていた。創作の時間だ。

 絵を描いたり、歌を歌ったり、ダンスを踊ったり。他にも、望めばいろいろとできる。彫刻や書道や俳句。詩を作っている人もいたし、プラモデルに塗装している人もいた。中にはアニメを作ったり、映画を撮ったりしているグループもある。

 そのための道具は無料で貸し出されている。

「人の心をゆたかにする活動は、長期的に見れば大きな利益になる」と考えられていたからだ。事実、大きな利益をもたらせてくれることもあった。ここの人たちが作った創作物が高値で売れ、施設に還元されるということがよくあるのだった。

 仮にそれらの利益がなかったとしても、この活動は継続されるだろう。

 この人間再生工場という施設を運営するのに莫大な資金が投じられていたが、それをはるかに上回るくらい大きな利点があったからだ。

 それは“人”だった。元々、全く働く気のないどうしようもないクズのような人間たち。それを社会に出て立派にやっていける“人材”へと育て上げる。それだけで大きな価値がある。国家の資産となる。ひいては、世界のためにもなる。

 それはお金には換えられない大きな成果となっていたし、お金の面から見ても充分に投資額を回収していたといえただろう。


 夜は、好きな時間に食事をすることができた。

 午後5時には、その日の作業は切り上げられ、各自自由に夕食をとることができる。自分で料理をして食べる者も多かった。そうやって、料理のスキルも磨くのだ。

 午後の10時には消灯時間となるが、その間は何をやってもいい。お風呂は、巨大浴場が用意されており、いつでも入ることができる。


 1日のスケジュールは、大体、こんな感じだ。

 それが平日の暮らし。それ以外に、週に2日は休みの日があって、その日は作業はお休み。だが、自主的に作業に参加する者も多い。それは許可されている。

 こうして、数ヶ月をここで過ごし、ある程度の能力を身につけて人々は社会へと送り返される。まさに、人間再生工場の名にふさわしかった。


         *


 ところが、ここで1つの問題が発生する。

 人間再生工場の環境が、あまりにも理想的すぎるのだ。それで、施設を出ていきたがらない者が続出した。

 社会は厳しい。あまりにも過酷すぎる。地獄は向こうの方だ。そんな世界へと、誰が望んで出ていくだろうか?

 仮にここを出所しても、再び舞い戻ってくる者も多かった。それも、何度も何度も!


 そんな時、人間再生工場は、真の姿を見せる。

 甘く理想的な世界は、ここまでだ。ここから先は一転し、天国は地獄へと変貌へんぼうげる。

 では、そちらの姿も見ていってみよう。


 施設の地下に作られた労働場では、今夜もあちこちから叫び声が聞こえる。朝から晩まで働き通し。決して逃げ出すことは許されない阿鼻叫喚あびきょうかん地獄。

 何日も徹夜が続くだなんてことも日常茶飯事だ。ブラック企業も真っ青の強制労働。食事もロクな物が出されはしない。味も最悪。最低限の栄養素だけ摂取できるのが、せめてもの救いか?


 理想的な環境下ですら何も学ぼうとはしないなまけ者や、何度も何度も舞い戻ってくる愚か者は、この地下で強制労働に従事させられていた。

 地上での理想的な暮らしとは対照的に地獄の苦しみが与えられる。そんな環境に、誰もがすぐに根を上げる。

「こんなことなら、社会に出てマジメに働いた方がまだマシだ!出してくれ!元の世界へ帰してくれ!あの方がまだマシだった!これからはマジメに働きます。どうかお願いいたします!」

 そのように叫び、みんな改心する。

 こうして、人々は2度とこの施設に戻ってくることはなくなるのだった。


 この2重構造により、人間再生工場は、働かざる者を働く者へと更生させ、社会を浄化させるという役割を物の見事に果たしたのである。

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