建前と本音
【宙蹴り】を使えば地面と並行にだって飛べる。重力から解放されたレイを遮るものは空気抵抗のみ。
接地の直前に【宙蹴り】で衝撃を殺し、再び跳躍、さらに【宙蹴り】で自らを魔王城の方角へと射出する。それを数十回と繰り返すうちに、何やら家のようなものが見えてきた。
何もない荒野にぽつんと建つそれは、近くで見るとなお一般的な借家にしか見えない。だがそれは場所が場所だけに異彩を放っていた。
「...やっぱり雪音じゃないか。あ、こっちに来たときはまだ記憶もそのままだったんだっけ。」
ピンポーン。玄関前に備え付けられている呼び鈴を鳴らす。ただそれだけの動作なのに、どこか手馴れた印象を受ける。
やがてしばらくすると、扉を隔てた向こう側に気配を感じるようになった。
「雪音、きたよ。」
「...帰れ。」
「帰れも何も、ここは『僕の家』だよね。もうその辺のことは思い出してるんじゃない?」
前の世界でレイが生活していた、いかにも家賃が安そうな借家。雪音はほぼここに寝泊りしていた。何かと言い訳をならべながら。
「私の使命は人類を滅ぼすこと。そのためには君が邪魔なんだよ。帰ってくれないと、殺す。」
「お、開いてるじゃん無用心な。お邪魔しまーす。」
「ちょ!勝手に入らないでよ!」
「今更そんなの気にしたって仕方ないでしょ。はい、どいたどいた。」
両手を広げてレイを通すまいとする雪音。だが、抵抗虚しくそのまま押し入られる。
「さてと、僕が来た理由は分かってるよね、雪音。」
この世界では見なかった、畳の上に足を投げ出して寛ぐレイ。
「...記憶なんて、取り戻して無いから。」
「しょーもない嘘つかないの。それで、これからどうするつもり?」
以前相対した時、既に『雪音』としての記憶が蘇りかけていた。そしてしばらく考える時間があったのだから、少なくとも自らの記憶に違和感は覚えたはずなのだ。
「...人類を滅ぼさないと、帰れない。」
「どーせ帰れないよ。君にそれを言った神様、自称神様な悪魔は君を返すつもりなんてはなから無いから。」
「っ!じゃあ、私はどーやったら帰れるの!帰ってしたいことだってまだまだあるし!零が買い物に連れていってくれるって約束だって、まだだし!」
そう言えば確かそんな約束もした気がする。こちらに来てから数ヶ月が経っており、それどころではなかったのですっかり忘れていたが。
「でもさ、買い物ってこっちの世界じゃだめ?」
「私は帰らないと...帰らないと『魔王』のままなんだよ!?魔王がデートだとか、出来るわけないじゃん!」
昔から雪音は、周りの目を気にしすぎる傾向にあった。こればかりはレイでも覆すことが出来ずに手を焼いたものだ。
クラスでスカート丈を短くするのが常識、という風潮が流れるとそれに従おうとレイの家まで訪ねて来、客観的な審査をお願いする。
新しい服やら靴を買った時にもわざわざ訪ねて来、これまた客観的な意見を聞きたがる。
今だって、魔王が男にうつつを抜かすなどと...とでも考えているのだろう。
「だから、雪音は気にしすぎなんだよ...ほら、おいでよ。あの時みたいにのんびりしよう?」
仰向けに畳に倒れ込み、自らの隣を叩く。だがーー
「...私は『魔王』だし、しかも零は『勇者』になっちゃってるし...もう、無理だよ。」
仰向けに寝転がるレイと一定の距離を保ち、前も見せた二刀流の構えでこちらを睨みつけてくる。
「まぁ、こうなることはわかっていたんだけどさ。」
雪音が求めているのは『建前』。
自分より強い者の命令ならば受け入れざるを
得ない。自分への言い訳が欲しいのだ、とレイは解釈する。一見自惚れのような思考だが、それが自惚れではなく事実であることは確信している。
「雪音の魔法、からくりはもう分かったからさ。安心して負けにおいで。」
この世界において、攻撃魔法の燃費はかなり悪い。ましてや雪音が使った魔法などは威力から鑑みてかなりの消費があるはずだ。
そして、『雪音の魔力量はそこまで極端には多くない。』
全人類へ声を届けたのだって、魔力量にものをいわせてしまえばもっと簡単にできたはずだ。空を液晶画面のように使うなどといった、そんなスケールの話だって可能なのだろう。莫大な魔力量さえあれば。
それをわざわざ個人単位で届けた。それは魔力の節約のためにほかならない。
そして、初めに言った通り攻撃魔法は燃費がかなり悪い。軍隊1つ消滅させるような威力の魔法など、常識的に考えてありえない。
しかし、それは制約を設けることによって節約が可能だ。攻撃魔法ならば、威力を抑えれば勿論消費も減る。同じように、厳しい制約を掛けることによってそれを可能としたのだろう。
そしてその条件とはーー
「よっと。」
刹那、起き上がりざまに外へと飛び出すレイ。後を追ってきた雪音へと宣言を一つ。
「【イレギュラー】剣撃無効。さぁ、魔法しかないね。」
肉弾戦ならば躱しきる自信がある。雪音もそれが分かっているからこそ腕に魔力を集中させる。
「私に魔法を許せば、零に勝ち目はないのに。所詮勇者、魔王に一人で相対したところでこうなる運命だったんだね。」
鈍い紫色の力が雪音の腕から射出される。
まだ。まだ雪音はレイに期待している。口には出さぬもののそれが分かっているからこそ、
レイは『前に出る』。そして魔法の直撃。しかしーーー無傷。
「...なんで分かったの。」
レイが放った剣撃を、長剣で受け止める雪音。
「雪音のことなら、分かるよそりゃ。どれだけ一緒にいたと思ってるのさ。」
雪音が魔法に掛けていた制約ーーーそれは、発動距離の設定。過程で物に当たれば爆発するわけではなく、ただすり抜ける。
対象に当たるまでの距離を目測で測り、回避行動まで予測して設定していたのだ。
蹴りが飛んでくるのをバックステップで回避、再度急加速して雪音の右腕を柄で突く。
「っぐぅぅ!」
右手に力が入らないのか、長剣を取り落とした。そのまま首へ短剣を突きつける。
「もう、いいでしょ?負けを認めてよ。」
敗北という建前は完成した。これで全てはーーー
「...零。時間設定が制約なら、即時発動もまたそれに該当するんだよ。」
「っまさか!」
退避しようとした刹那、短剣を突きつけていた右腕を左手で掴まれる。そして二人の頭上に鈍い紫色の光球が。
「魔王は全ステータスが高い。能力はないぶん安定して強い。勿論VITもMDFも零より高い。」
次の瞬間、雪音とレイを巻き込んだ爆発が起こるーーー直前にレイは雪音を庇うように押し倒して多い被さる。
「!?なんっ...」
雪音の視界に広がったのは爆発の光ではなく、優しい笑みを浮かべたレイの顔。
そして数秒経ち、光が止むと同時にレイは横へと倒れ伏した。