七☆夕
「ねぇ、七夕って何の日なのかな?」
「なにを言っているの?七夕は織姫と彦星が一年に唯一会える日なのよ」
「分かってるよ。でも、それってお願い事するのと関係ないよね」
「そうね。それがどうかしたのかしら?」
「うん、お願い事されるのが嫌なんだ……」
「どうして?」
「自分の願いも叶えられないのに、他人の願い事なんて叶えらえるわけないんだよ」
僕と彼女は、お互いにもたれかかる様に背中合わせ。
夜空にはきれいな天の川が流れ、僕たちの周りでは、皆の願いのこめられた短冊が風になびく。
織姫の背中、暖かいな。
このままずっと、一緒にいれたらいいのに…。
そんな願いも叶えられない。
「そうかも知れないわ。でも、私のお願い事は叶えられるでしょ?この一年間、ずっとあなたに会いたいと願ってたら、会いに来てくれたんだから」
背中合わせに座っているから、顔を見られることはないけど、自分でも顔が赤くなってるのがわかる。
「それに、他人の願いなんて、私でも叶えられないわよ。嫌になったりもするわ。けど、あなたの願い事なら、いくらでも聞いてあげる。私が叶えてあげられる願いなら、叶えてあげてもいいわ。あなたは私に何をしてほしい?」
自分の胸に手を当てる。
願い事か……
僕たちはまだ、キスしたことがなかった。
情けない話だけど、僕は好きだと言ったこともない。
なかなか切り出せない僕に、織姫は今みたいなチャンスをくれるけど、僕にはその誘いに乗る勇気はなかった。一緒にいれないことに、耐えられなくなってしまいそうで……
寂しい思いさせちゃってるのかな。
「なんでそんなに楽しそうなの?」
「―――彦星は今日一日楽しくなかった?」
また誤魔化そうとしてるって、思われたかもしれない。
「楽しかったよ…」
「私も楽しかったわよ」
織姫が立ち上がったのか、背中に感じていた温もりが離れていく。思わず振り返りそうになったけど、背中にそっと抱きついてきて、振り返れなかった。
恥ずかしいから、僕は楽しかった悲しい話を続ける。
「で、でも…」
「でも?」
「もうすぐ、離れ離れになっちゃう―――また一年間、君に会えない日が続くんだって思ったら……」
離れ離れ。今日一日、ずっと心に思っていたこと。だけど、言葉にすると今までにより増して胸が締め付けられた。
「私だって辛くないわけじゃないわ。でも、一年後にまた会ってくれるんでしょう?それが分かってるから、毎晩あと何日であなたに会えるんだろうって、一日一日を指折り数えて、その日を楽しみにまってるのよ」
「僕だって数えてるけど、指折り数えてたりしたら物凄く時間がかかっちゃうよ」
「あら、知らないの?指折り数えていくほうが、あなたに会える日が近づいてきてるのが実感できて楽しいのよ」
嬉しいけど、少し馬鹿らしい。
織姫と話しているときは胸がはずむ。一緒に話してると、言葉の節々に僕を好きでいてくれてることを感じれる。
「ありがとう、ちょっとだけ楽になったよ」
ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど、楽になった。
織姫が立ち上がる。
「そろそろ、時間ね」
少し哀愁のこもった言葉。
僕もつられて腰を上げて、織姫と向き合う。
「何をそんな顔をしているの?私を悲しくさせたいのかしら?」
「そうだね。ごめん」
僕は作った偽りの笑顔を浮かべた。
織姫は優しい。僕ができるだけ辛くならないようにと、気を使ってくれている。出来るだけ僕が笑顔でいられるように。
けど、こんな悲しげで寂しげな笑顔を見せる彼女と、このまま別れてしまっていいのだろうか?
「さよなら。一年後には絶対会えるわ。またね」
一年後には絶対会える。それは、僕への言葉なの?それとも……
僕が伝えなくちゃ。織姫は少し強がりなところがあるから、たぶん自分からは言わない。
織姫はずっと待ってるんだと思う。今伝えなくったって、ずっと待ってくれる―――今までみたいにずっと……。
「ちょ、ちょっと待って」
でも、僕は織姫を帰さない。この思いを伝えるまでは絶対に。
呼び止めると、織姫がほんの少しだけ嬉しそうな顔をした。
「僕の願い事なら、いくらでも聞いてくれるって言ったよね―――聞いてくれる?」
僕の懐には僕の願いのこもった短冊が二枚ある。これを渡そう。
「いいわ。聞いてあげる」
嬉しいのか悲しいのか分からない表情で、織姫は言った。
短冊を一枚だけ取り出して、織姫に渡す。
織姫は一瞬だけ不機嫌そうな顔をしたけど、すぐにいたずらな顔で笑った。
「何よ。これじゃ、私が叶えてあげられないじゃない」
僕が書いた短冊、そこには『マイホームが欲しい』と書いてある。
「それに家なら持っているでしょ?」
「ち、違うんだよ。そうじゃなくて……」
伝えたい。
勇気と言葉を絞り出して、君に伝える。
「君と……一緒に、す、住めたらいいなって…思って……」
「ふふ、私もよ」
首をかしげて見せる、優しげな微笑み。
でも、本当に伝えたいことはこんな程度のものじゃないはずだ。伝えたいことはもっと先。
ちゃんと聞かせてあげたい―――僕の思いを。
ゴクリ、緊張する。
「………たい」
「え?」
「君と結婚したい。君と家族になりたい。君と一緒に笑って暮らしていきたい」
言う、言える。伝える!
「―――僕は、君のことが好きです」
ちゃんと言えてなかったかもしれない。舌が回ってなかったようにも思う。
でも、好きって言えた。
これは確かな事実。
人間が短冊に願い事を書く理由が分かった気がする。短冊は自分でその願いを叶える為のきっかけなんだ。自分の願いを短冊に書いて、自分でそれを目指すんだ。そういうものじゃないかなと、僕は思う。
僕は願いをかなえられただろうか。
この思いは織姫にしっかり伝わったのかな?
さっきまで驚いたような顔をしていた織姫は、今は泣いていた。
「全然言えてないわよ。声が小さいわ。それに、噛んでばっかりね。文脈もめちゃくちゃだったわ。そんなのじゃ全然聞こえないわよ。だから……もう一回言って」
涙を流しながら、照れ隠しにしか見えない文句を言って、最後には、こんな頼りない僕に笑って甘えてくれた。
そんな君が好きだ。
けど、ちょっと意地悪。好きは聞こえてたくせに。
そんな僕の大好きな織姫は、二人で過ごした今日の日の中で、一番の笑顔だった。
いつか僕にもう少し覚悟ができたら、このもう一つの短冊も見せよう。今はまだ、恥ずかしくてそんな勇気はないけれど、きっといつか……。
もう一度、この笑顔が見たい。
「織姫、好きだよ」
この笑顔を見るためなら、今日以外の日が、恋しくて恋しくて、耐えられないほど辛くなったとしてもいいと思える。
「私も好きよ。彦星」
織姫はそう言うなり、僕の胸に飛び込んできた。
涙を見られたくないのか、胸に埋めた顔は見せてくれない。
「嬉しい。あなたがこんなこと言ってくれるなんて思ってなかったから…。私、ずっと不安だったのよ。一年に一度しか会えない私を、好きでいてくれてるのかなって」
織姫の服を掴む力が少し強くなって、言葉を続ける。
「あなたの気持ちは分かってたけど、いつまで経っても好きって言ってくれないから、本気で私のこと好きなのか分からなくなったこともあったわ。あなたが私に向けてくるのは、子供の恋と同じようなものなんじゃないかって、私の想いはすれ違ってばかりじゃないかって、ずっとずっと、怖かったのよ」
「ご、ごめん」
織姫は僕の胸襟で涙をふき、まだほほに涙の跡が残ってる顔で意地悪そうに笑った。
「ふふ、いいわ。その代り、こんどはあなたが私の願いを聞いてくれるかしら?」
「うん。いいよ。その願いは今は無理かもしれないけど、いつかきっと僕が叶えてあげるから、僕に聞かせて」
「ありがと」
そう言って、近くにあった水色とピンクの寄り添った短冊の、ピンク色のほうを手に取った。すると、笹に結んであったはずの紐が、魔法のように解ける。その短冊に織姫がそっと息をかけると、『彼氏とずっと一緒にいたい』という字が紙から抜け出して、もう片方の水色の短冊の中に入ると、文字同士が寄り添うように並んだ。
それを見て織姫は微笑した。そして目をつむりながら、文字がなくなった短冊をなぞる。
「これが私の短冊よ」
僕は差し出された短冊を受けとり、それに目を落とす。
あれ?
てっきり指でなぞったときに、文字を浮かび上がらせたのかと思ったのだけど…。
「これ、何も書いてn……」
僕が顔をあげた瞬間、何か柔らかいものが唇に当たった。
一瞬、何か分からなかったはずなのに、もう顔は真っ赤になっている。倒れてしまいそうだ。
しばらくして、いつの間にか織姫の顔は離れていたけど、僕は何も口をきけなかった。
「ふふ、何をそんなにびっくりしているの?私のこと好きなんでしょ?知らなかったのかしら、私はそれ以上にあなたのことが好きなのよ」
少しほほを赤くして、僕の渡した短冊をしっかりと手に握って言った。
「彦星、愛してるわ」
今日がもうすぐ終わりを告げる。
言いたいことは言い終わったのか、織姫は笹とたくさんの短冊に囲まれた中で、幸せを撒き散らしながら光となって飛んでいってしまった。
「僕もだよ」
届くか分からないけど、天に向かってつぶやいてみる。
この短冊、意味なくなっちゃたな。
僕はもう渡さないであろうもう一枚の短冊を、近くにあった笹に結んだ。
「僕も、もう帰らないと」
また、僕の好きな人のいない、長い長い364日が始まる。
「来年、また会いにくるよ。織姫」
あとがきです。はじめまして、初投稿です。本当は連載の序話を初投稿するつもりでしたが、時期的にこれにしようと決めました。七日に投稿すればよかったのですが、このネタに決めたのがすでに9日でしたので、一週間以上遅れてしまいました。近々、連載を開始する予定なので、そちらも目を通していただければ幸いです。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。