発言は手を挙げてから
朝議が執り行われる議場は、王宮の一角にある。
本来ならば女王の臨席を賜り、厳粛に進むべき朝議の場は、しかしどこか気だるい空気に包まれていた。
「かねてより問題となっていた、国境の城壁の修繕費ですが――」
滔々と報告書を読み上げる大臣の話など、誰が聞いているのか。
大抵の議員は居眠りか、近くの席同士で雑談に耽っているか、ひたすら沈黙を貫くかだ。
国民が見れば激怒しそうな議会も、参加できるのは子爵以上の爵位を持つ貴族とその子弟、そして軍の上層部に限られていた。
その権利を持つ議員も、近頃では軍の上層部を筆頭に欠席が珍しくない。
「現在の財政状況を鑑みた結果、関税と商人の所得税を上げた中より捻出したいと……」
議場を見渡せる玉座はもう長く主を迎えておらず、今は布の覆いがかけられていた。
さすがにそこへ座らない分別はあるのか、王弟は議長席で腕を組み瞑目している。何を考えているのか定かではないが、その泰然とした存在感は誰も無視できない。
「――私からは以上です」
書類を下ろし、ぼそぼそと告げた財務大臣が席に座る。
「意見がなければ、決を採りたいと存じます」
弱々しい言葉は、王弟に席を追われた元議長だ。
女王が政治を執っていた頃は、取り次ぎと議事の取りまとめを任されてきた老侯爵であるが、今の体制になってからは朝議の進行のみが仕事となっている。
「では、国境の修繕費を関税と所得税より捻出することに――」
「相模(さがみ)侯爵」
張りのある声が響き、侯爵は言葉を止めて顔を上げた。
仰ぎ見たのは、玉座のある壇上。
玉座のすぐ脇。覆いのされたそれより、よほど豪華に見える椅子から立ち上がるのは、この場で二番目に若い男だった。
「あー、宰相閣下。何か」
「発言の許可をいただけますか」
まっすぐに自分を見つめる若者から視線を逸らし、侯爵は王弟の様子を窺う。
彼が相変わらず目を閉じたまま微動だにしないのを確認して、そっと頷く顔には哀れみが浮かんでいた。
「関税も所得税も、引き上げれば商人ばかりか国民の生活を圧迫することになります。また現在、周辺国との関係は良好であり、国境の修繕が急務とは思えません。時間をかけ、国庫に余裕ができてから着手すべきです」
正論の手本のような発言に、まず交通大臣が口を開く。反論はたいていが、この交通大臣から始まる。
「平和な今だからこそ、城壁を築いておくのですよ、閣下」
「それとも、いざ戦争が始まってから、城壁を直すまで侵攻を待ってくれとでも頼むおつもりですか?」
横から外務大臣が挟んだ言葉に、あちこちから笑いがこぼれた。
「開戦を前提にしておいでのようですが、そもそも戦争を回避するのが貴殿の仕事でしょう、陸奥(むつ)外務大臣」
「こちらがどれほど手を尽くそうと、相手が聞き入れなければどうしようもない。その場合のことを申し上げているのです」
「起こる可能性の低い事柄より、まず国民の生活に目を向けるべきです」
父親や祖父ほど歳の離れた大臣や貴族を相手にしながら、なお退かない宰相に周囲の反応は冷たい。
彼が朝議の場で、青臭い正論を述べることが習慣になっているからだ。
「戦争が起きれば、その国民の生活が脅かされるのですぞ」
「しかしこれ以上、税を上乗せするのは…」
「解せませんな」
低い声音が議場を打った。
ぴしりと空気が引き締まる。
議長席の王弟が、腕組みを解き薄い笑みを浮かべていた。
「既に相当の税が、かけられているような口ぶりですな」
「……一部の商人から、税が上がったと言う話を聞いています」
「ほう、それは初耳だ。閣下は民ともよく交流をお持ちのようで、感服致します」
議長席を見下ろす位置にいる宰相を、態度で王弟が威圧するのもいつものこと。
「しかしあまり民に近付きすぎるのはいかがかと。流言に惑わされ、貴族としての正しい目を曇らせることになりかねません」
おおらかに構えているようで鋭い眼光を向けてくる王弟を、大蛇のようだと宰相は感じていた。
そしてじりじりと締め上げられているのに、年若く力のない自分には抜け出す術がない。
「とは言え、商人の報告も捨ててはおけぬ。税については、こちらで調べさせましょう。増税の件は次の議会まで持ち越しと言うことで、よろしいですかな?」
「………。結構です」
両手を握りしめ、いくつもの反駁を飲み込んで了承すると、王弟は朝議の閉会を告げた。
◇
「毎度毎度、よく飽きもせず正論ばかり叩けるものだ」
石造りの回廊を行きながら、王弟が言う。
彼の後ろを歩くのは、宰相より一つ年下で、朝議に参加する議員の中では最も若い男。
王弟の息子である和泉蘇芳(いずみ すおう)だ。
「民に寄った物言いも、先代によく似ている。腐ってもあやつの孫か」
宰相の祖父。先代宰相と王弟が、数年前まで王宮での権力を二分していたのは有名な話だ。
朝議でも思想の違いから意見が対立することがほとんどで、先代が亡くなった当時など、王弟による暗殺疑惑がまことしやかに囁かれた。
「父上は、なぜ宰相を放逐なさらないのですか。面倒な口など塞いでしまえばよろしいでしょう」
さして興味もなさそうに、蘇芳は尋ねる。
大人のやりとりをさめた視点で眺めている彼には、何度丸め込まれようと懲りずに理想を主張する宰相の姿は、いっそ哀れに思えた。
祖父が亡くなり、彼を気に入り重宝していた女王が表舞台から消えた今、宰相には後ろ楯がいない。
ただ宰相への任命式が、女王が自身で行った最後の公式行事だったことだけが、今の彼の地位をなんとか保たせているのだ。
だが、そんなものは父が本気になれば簡単に潰せてしまうことを、蘇芳は知っている。
「必死な様が可愛いではないか」
「……それだけですか?」
王弟は横目で息子を見ると、また口角を上げた。
「下手に若造を潰して、女王の息のかかった軍部に動かれると厄介だからな。沈黙している者たちこそ、警戒が必要だ」
「軍部ですか。言われてみれば近頃、元帥らは朝議に不参加でしたね」
「だが逆に、若造が宰相として無能を晒し続ければ、そういう者たちも動けぬ。担ぐ御輿が馬鹿ではたまらぬからな」




