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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第1章
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知ったかぶりは恥をかく

「『結局のところ丁子は』何?」

卓の上から茶器を片付ける藍に、寝椅子から真朱が声をかける。

仕事で用人に呼ばれて部屋を出るまで、椅子の上でいじけていた丁子の姿を思い出し、彼は言葉を繋ぐ。

「『真朱の手のひらで転がされてるだけ』だろ」

「イヤだな、私が性悪みたい」

「性悪だよ」

侍従と言う役に就きながら、主従よりも友人に近い関係である藍と真朱の間には遠慮がない。

彼は真朱に歩み寄り、寝椅子に投げ出された本をつついた。

「『世界珍獣辞典』ねぇ?そんなに読みたかったとは、初耳だ」

「読めてて黙ってたくせに」

「それが真朱の望みだっただろ」

真朱はいたずらが成功し、上機嫌で眼前に垂れる藍の髪をいじった。

焦げ茶色の髪は邪魔にならない程度に結ってあるが、それでも背中を隠すほどの長さがある。自分とは違う癖のない藍の髪がお気に入りの主は、暇になるとそれをいじり回す。

そのくせ、自分の髪を結うのは好きではないという偏屈だ。

「私のいたずらだって言ってよかったのに」

「真朱が望んでも、行動したのは俺だ。だったら、その責任が俺にあるのは当然だろ」

「丁子には嫌われるね」

「いい薬さ。俺を疑ったところまではよかったんだけどな」

夕食前の間食を丁子が止めること、時間があれば同じ部屋で茶をすることを見越した上で、唐辛子饅頭を食べさせると言う回りくどい計画を立てたのは真朱だ。

一度、丁子に勝たせてから嵌めるあたりが特に性悪だと思うのだが。

真朱をしつけるには、丁子ではまだまだ力不足である。






そろそろ夕食の支度が整うかという時刻。

居間に顔を出したのは給仕の用人ではなく、困惑顔の丁子だった。

忙しない足音が響き、おとないが告げられる。


「あの、真朱さま。お客さまなんですが…」

「客?」

「二頭立ての馬車でいらして……。その、宰相閣下だそうなんです」

「宰相?」

真朱の眉間にシワが寄る。

隣で適当に編まれた髪をほどいていた藍も、手を止めて丁子を見た。

「屋敷に上げたの?」

「あ、いえ。白磁どのが門のところで留め置いています」

優秀な家令の白磁(はくじ)は、相手が誰であれ主の許しなく客に敷居を跨がせはしない。

しかし相手の肩書きが本当であれば、いつまでも待たせておく訳にはいないため、丁子が伝言に走ったのだ。

ところが、主の答えは予想外のものだった。

「お帰りいただいて」

「は?」

「こんな時間に、先触れも寄越さず押しかける礼儀知らずには会いたくない」

「いや、でも宰相ですよ?女王陛下の次に偉い人ではないですか。そんな人がおいでになるって一体…」

「偉いったって、王弟に逆らえない若造なんだろ」

「それは、噂ではそうですけど…」

実際はどんな人物か丁子には分からないが、とにかく一国の宰相がわざわざ訪れるのだから、ただ事ではないはずだ。

それなのに当の真朱は取り付く島もない。

「何の用事か知らないけど、とにかく会わない。こちらの都合を無視して押しかけて、宰相って言うだけで面会が通ると思っているのが気に入らないね」

「でも、断ったりして大丈夫なんですか?」

「なにも丁子に追い返せって言っているわけじゃない。白磁に伝えれば丁重にお帰りいただくよ」

「……じゃあ、何と伝えるんですか?」

「人を訪ねるなら礼儀を勉強しなおしなさい」

青くなった丁子は、それでもよろよろと回廊を戻って行った。高飛車な伝言に、高齢の白磁が卒倒しなければいいが。





結果として、突然の訪問者は馬車ごと引き上げていった。

もちろん、人生経験豊富な家令が主人の不敬な発言をそのまま伝えることはなく、日を改めることを丁寧な言葉と態度で勧めていた。

「ちらっとお姿を拝見しましたけど、宰相閣下って本当に若い方なんですね」

夕餉と湯浴みを済ませた真朱の後ろに立ち、髪を厚めの布で挟んで水分をとる片手間に、丁子は先刻垣間見た貴人の話を振った。

女性の習慣として伸ばしている真朱の髪は、乾くとゆるくうねる柔らかい手触りだ。

茶や赤が混じることが多い倭の国で、なかなかお目にかかれない漆黒の髪を、痛まないよう手入れするのも丁子の仕事の一つである。

「二十歳を少し過ぎたくらいに見えましたけど、それだけ若かったらいくら大公家が名門でも、王弟殿下には敵わないかも知れませんね」

「名前だけのお坊ちゃんには無理だろうね」

「大公家って、他には宰相になる方はいらっしゃらないんですか?」

「あそこは男系だからまず女性は除外するとして、本家に跡を継げる男子は二人だけかな。現宰相の父親は故人だし、祖父にあたる前宰相も二年前に亡くなってる。大公の家は現宰相とその弟がいるだけだね」

病気や事故で若くして亡くなる人がいるのはけして珍しいことではないが、その状況では下手をすると一族が途絶える可能性もある。宰相は大公の家が代々世襲してきた役職であるから、跡を継ぐ者がいなくなった場合はどうなるのだろうか。

それを問うてみれば、真朱は軽く肩を竦めた。

「王弟が喝采を上げて喜ぶよ。いくら若いと言っても、議会の伝統上、王弟も大公を無視できないから、女王の代理なんて地位に甘んじているだけ。大公の歴史は?」

「塾で少しだけ。大公家は創始から宰相を務めてきた一族で、議員の中でも一番発言力が強いって」

「大公がいなくなれば、その後はさっさと女王を退位させて自分が王に、って言うのが目に見えるね」

「王室も、王弟殿下以外に陛下の跡を継ぐ方は?」

「陛下は三人兄弟で、兄王が亡くなって跡を継いでいる状態だね。末子が王弟。陛下には娘がいたけど、十年くらい前に亡くなってる」

布から持ち替えた櫛をあごに当てて、丁子は頭の中で家系図を描いてみる。

「兄王に、お子様はおられなかったのですか?」

「王子が二人いたけど、上はずっと身体が弱くて、陛下の娘より前に亡くなってるね。下は上の王子が存命中に臣籍に下っていて、継承権を放棄してるから除外される」

残るは王弟のみ、という訳だ。

ちなみにその後はといえば、王弟には宰相と同じ年頃の息子がいるため、先々の継承も可能である。

「何て言うか……王族も大公の一族も不幸続きなんですね」

「どうかな。世の流れが、そういうものが不要だと言っているのかも知れないよ。不必要なものは、時間の中で淘汰されていくものだし」

「淘汰、ですか……。あ、でも」

しんみりとした空気になってしまったのを振り払おうと、丁子は塾で耳に挟んだことを口にする。

「女王陛下には孫娘がいるって噂、知っていますか?」

「亡くなった娘に子供がいたって?」

「今の真朱さまのお話からすると、そうなりますね」

「誰との?」

「それは、子供たちの噂なのでそこまでは分かりませんけど」

「噂では宰相は王弟の言いなりで、別の噂では秘密の王女がいる、と。なかなか楽しいね」

まったく楽しくなさそうな真朱の声音に、話題を間違えたかと丁子は焦る。そもそもどこからこの話の流れになったのかを考えて、もともと聞きたかったことを思い出した。

「あ、あの。宰相閣下がいらした理由に心当たりはないんですか?」

当初の反応からは、宰相の来訪を嫌がりはしても驚きはなかったように思う。

「ないけど、面倒事の臭いがする。塩でも撒いておこうかな」

「食べ物を粗末にしてはいけません。知っていますか?最近、税金が上がって商品の値段も上げざるを得ないとかで、物の売買がうまくいっていないんだそうですよ」

仕入れたばかりの情報を披露すれば、真朱は丁子を振り返った。

「へぇ。どこで聞いたの?」

「大通りの八百屋の女将さんと、乾物屋のご主人です」

「そう。それで、丁子はどうして税金が上がると物の値段が上がるか知っている?」

「う……」

痛いところを突かれて丁子が黙ると、真朱は筆と紙を持ってくるよう彼女に言いつけた。



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