見た目に騙されるな
絹の張られた寝椅子に、これもまた絹の衣を敷物にして、屋敷の主である真朱(まそお)が転がっていた。
長い髪を結うこともなく高価な衣装を着崩し、色白の脚を惜し気もなく晒して書物をめくる様は、物事に頓着しない主らしいと言えなくもないが、どう見ても淑女の姿ではない。
「真朱さま!はしたない格好は、おやめください!」
すぐに丁子の非難が飛ぶが、真朱は腹這いのまま本から視線も上げない。
それどころかふてぶてしく茶を要求する始末だ。
「藍、お茶」
「はいはい」
「藍さん!」
いきりたつ丁子を笑顔で宥め、藍は机に積まれた本を床に下ろす。そして空いた場所に盆を置き、給仕を始めた。
彼がのらりくらりと制止をかわすことは、今までの経験から分かっている。
しかし今日の丁子には切り札があった。
「真朱さま、こちらは必要ございませんか?」
大事に抱えていた包みを示して見せる。
「塾から借りて参りました。真朱さまが読みたがっていらした本だと、先生が教えてくださいました」
「貸して」
よほど気になっていた本なのか、驚くべき変わり身の早さで真朱が起き上がった。
「先に衣装を直して、きちんとお掛け下さい」
ぴしりと指摘すれば、真朱が渋々ながら裾を引いて脚を隠す。
延びてくる手から本を遠ざけ、丁子は更に条件を吊り上げた。もとよりこれを狙っての“餌”である。
「お菓子もいけません」
「それは関係なくない?」
「先生に無理を言って借りてきたんです。汚すわけにはまいりません」
「こっちも無理を言って作ってもらったんだけどね」
「では、こちらはお預けですね」
包みから取り出したのは、表紙が革で装丁された分厚い書物。
丁子が通う私塾の師が所蔵しているもので、真朱の代わりに借りてきたのだ。
「どうします?お菓子を我慢すれば、ひとまず夕食までは読めますよ」
「………」
「…真朱、俺も饅頭は夕飯の後の方がいいと思うんだが」
しばし丁子と睨み合った真朱は、藍の言葉にひとつため息をついた。
「藍、お菓子は下げて」
「素直で助かる」
「うるさいよ」
悪態をつきながらも、彼女は居住まいを正すと丁子から得た本を開いた。
近侍の二人は顔を見合わせ、やれやれと肩を竦めた。
世の常などどこ吹く風とばかりに振る舞う一方で、理かなわない行いはしないのが真朱という人間だ。
屋敷内でどんなだらしのない暮らしをしようとも、他人のものをそこに当て嵌めることはないように。
「ほら、お前の分」
「ありがとうございます」
真朱から少し距離を置いた卓で、丁子は藍と向かい、茶のおこぼれに与る。主人を前に堂々と茶を啜るのは本来礼にそぐわないが、真朱が気にしないためにこれも夢見亭の慣習になっていた。そもそも、屋敷のどこへでも顔を出し、用人の部屋で花札片手に賭け事、などということを平気でやってのける少女であるから、これはもう仕える方が諦めなければ仕方がない。
だから余計に、真朱の行いを咎められる丁子が重宝されているのだが。
「お菓子より優先したいなんて、あれは何の本なのでしょう」
「俺に聞くのか?借りてきたのは丁子だろ」
両手で茶杯を持ち上げつつ尋ねると、呆れ顔で返されたので丁子は唇を尖らせた。
「私は貸し借りの代行をしただけです。内容も倭の文字でしたら聞きません」
「あぁ…」
納得して藍は真朱の膝に立てられた本を見る。
こちらを向いた表紙に綴られているのは、倭の国で使われる文字ではなく西のそれだった。
「………まぁ、楽しそうだからいいんじゃないか?」
口許に笑みを浮かべながら項を繰る真朱から目を外し、藍は丁子に饅頭を押しやった。
「これ、冷めないうちに一つ食っておけよ」
「あ、はい。いただきます」
侍女や用人たちの食事は真朱の後と決まっているし、それまでに仕事もあるので丁子はありがたく饅頭を手に取った。
「そう言えば藍さん、真朱さまより虎の方がしつけ易いって仰いましたけど」
「ん?あぁ、言った」
「それ、やっぱり真朱さまの方が簡単だと思います」
「ふふっ…いや、結局のところ丁子は――」
言いながら茶のおかわりを注いでくれる藍に頭を下げて、冷めかけた饅頭にかぶりつく。
そして、
「うぎゃああぁっ」
絶叫した。
辛い。と言うより痛い。
真朱の吹き出す声が聞こえたが、それどころではない。
丁子は藤の椅子から文字通り飛び上がり、転げ落ちた。
「なっ……か、辛い!」
藍が渡してくれる茶を何杯も喉に流し込む。
全く予期していなかった衝撃に、丁子はきょろきょろと辺りを見回した。
「な、何ですかこれ!」
ほぼ反射で放り出した饅頭からは、赤黒い餡が覗いている。
藍は残った茶をすべて茶杯にあけ、あり得ないほど辛い饅頭の正体を告げた。
「唐辛子だ」
「はぁ!?」
「唐辛子。真朱が食べたいって言うから、浩伊に作らせた」
なぜこんな無謀な食べ物を注文するに至ったのか。
そしてなぜ製作の段階で拒否しなかったのか。丁子はひげ面の料理人を恨む。
「近頃は巷で辛いものが流行ってるらしいから、どんなものかと思ったんだけど」
火照った顔を仰ぐ丁子を見て、真朱は本に顔を埋めて笑った。
「……その様子じゃ、食べない方がよさそうだね」
「ひどいです!分かっていて食べさせたんですね!」
「食べさせたのは私じゃないし、勧めたのは藍でしょ」
「責任転嫁です!」
「事実でしょ。私は一度も丁子に『食べろ』とは言ってない」
真朱は本を閉じて寝椅子に横たわる。
菓子を諦めてまで得た割りに、あっさりとした手放し具合だ。
確かに思い返してみれば、直接的に彼女から菓子をもらった訳ではなく、むしろ丁子が本と引き換えに取り上げた形だ。
「………ん?」
自業自得かと落ち込みかけた思考に待ったをかけたのは、藍の何かを含んだ表情だ。
「藍さん、知ってたんですよね?」
「あぁ。先に食べたら夕飯の味が分からなくなるだろうと思って、食後に勧めた」
「……。あの、分かっていてなぜ私には食べさせたのでしょうか」
そりゃあ、と藍が唐辛子入りの饅頭を摘まみ上げてニヤリとする。
「面白いから」




