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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第1章
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見た目に騙されるな

絹の張られた寝椅子に、これもまた絹の衣を敷物にして、屋敷の主である真朱(まそお)が転がっていた。

長い髪を結うこともなく高価な衣装を着崩し、色白の脚を惜し気もなく晒して書物をめくる様は、物事に頓着しない主らしいと言えなくもないが、どう見ても淑女の姿ではない。


「真朱さま!はしたない格好は、おやめください!」

すぐに丁子の非難が飛ぶが、真朱は腹這いのまま本から視線も上げない。

それどころかふてぶてしく茶を要求する始末だ。

「藍、お茶」

「はいはい」

「藍さん!」

いきりたつ丁子を笑顔で宥め、藍は机に積まれた本を床に下ろす。そして空いた場所に盆を置き、給仕を始めた。

彼がのらりくらりと制止をかわすことは、今までの経験から分かっている。

しかし今日の丁子には切り札があった。


「真朱さま、こちらは必要ございませんか?」

大事に抱えていた包みを示して見せる。

「塾から借りて参りました。真朱さまが読みたがっていらした本だと、先生が教えてくださいました」

「貸して」

よほど気になっていた本なのか、驚くべき変わり身の早さで真朱が起き上がった。

「先に衣装を直して、きちんとお掛け下さい」

ぴしりと指摘すれば、真朱が渋々ながら裾を引いて脚を隠す。

延びてくる手から本を遠ざけ、丁子は更に条件を吊り上げた。もとよりこれを狙っての“餌”である。

「お菓子もいけません」

「それは関係なくない?」

「先生に無理を言って借りてきたんです。汚すわけにはまいりません」

「こっちも無理を言って作ってもらったんだけどね」

「では、こちらはお預けですね」

包みから取り出したのは、表紙が革で装丁された分厚い書物。

丁子が通う私塾の師が所蔵しているもので、真朱の代わりに借りてきたのだ。

「どうします?お菓子を我慢すれば、ひとまず夕食までは読めますよ」

「………」

「…真朱、俺も饅頭は夕飯の後の方がいいと思うんだが」

しばし丁子と睨み合った真朱は、藍の言葉にひとつため息をついた。

「藍、お菓子は下げて」

「素直で助かる」

「うるさいよ」

悪態をつきながらも、彼女は居住まいを正すと丁子から得た本を開いた。

近侍の二人は顔を見合わせ、やれやれと肩を竦めた。


世の常などどこ吹く風とばかりに振る舞う一方で、理かなわない行いはしないのが真朱という人間だ。

屋敷内でどんなだらしのない暮らしをしようとも、他人のものをそこに当て嵌めることはないように。



「ほら、お前の分」

「ありがとうございます」

真朱から少し距離を置いた卓で、丁子は藍と向かい、茶のおこぼれに与る。主人を前に堂々と茶を啜るのは本来礼にそぐわないが、真朱が気にしないためにこれも夢見亭の慣習になっていた。そもそも、屋敷のどこへでも顔を出し、用人の部屋で花札片手に賭け事、などということを平気でやってのける少女であるから、これはもう仕える方が諦めなければ仕方がない。

だから余計に、真朱の行いを咎められる丁子が重宝されているのだが。

「お菓子より優先したいなんて、あれは何の本なのでしょう」

「俺に聞くのか?借りてきたのは丁子だろ」

両手で茶杯を持ち上げつつ尋ねると、呆れ顔で返されたので丁子は唇を尖らせた。

「私は貸し借りの代行をしただけです。内容も倭の文字でしたら聞きません」

「あぁ…」

納得して藍は真朱の膝に立てられた本を見る。

こちらを向いた表紙に綴られているのは、倭の国で使われる文字ではなく西のそれだった。

「………まぁ、楽しそうだからいいんじゃないか?」

口許に笑みを浮かべながら項を繰る真朱から目を外し、藍は丁子に饅頭を押しやった。

「これ、冷めないうちに一つ食っておけよ」

「あ、はい。いただきます」

侍女や用人たちの食事は真朱の後と決まっているし、それまでに仕事もあるので丁子はありがたく饅頭を手に取った。

「そう言えば藍さん、真朱さまより虎の方がしつけ易いって仰いましたけど」

「ん?あぁ、言った」

「それ、やっぱり真朱さまの方が簡単だと思います」

「ふふっ…いや、結局のところ丁子は――」

言いながら茶のおかわりを注いでくれる藍に頭を下げて、冷めかけた饅頭にかぶりつく。

そして、


「うぎゃああぁっ」


絶叫した。



辛い。と言うより痛い。


真朱の吹き出す声が聞こえたが、それどころではない。

丁子は藤の椅子から文字通り飛び上がり、転げ落ちた。

「なっ……か、辛い!」

藍が渡してくれる茶を何杯も喉に流し込む。

全く予期していなかった衝撃に、丁子はきょろきょろと辺りを見回した。

「な、何ですかこれ!」

ほぼ反射で放り出した饅頭からは、赤黒い餡が覗いている。

藍は残った茶をすべて茶杯にあけ、あり得ないほど辛い饅頭の正体を告げた。

「唐辛子だ」

「はぁ!?」

「唐辛子。真朱が食べたいって言うから、浩伊(こうい)に作らせた」

なぜこんな無謀な食べ物を注文するに至ったのか。

そしてなぜ製作の段階で拒否しなかったのか。丁子はひげ面の料理人を恨む。

「近頃は巷で辛いものが流行ってるらしいから、どんなものかと思ったんだけど」

火照った顔を仰ぐ丁子を見て、真朱は本に顔を埋めて笑った。

「……その様子じゃ、食べない方がよさそうだね」

「ひどいです!分かっていて食べさせたんですね!」

「食べさせたのは私じゃないし、勧めたのは藍でしょ」

「責任転嫁です!」

「事実でしょ。私は一度も丁子に『食べろ』とは言ってない」

真朱は本を閉じて寝椅子に横たわる。

菓子を諦めてまで得た割りに、あっさりとした手放し具合だ。

確かに思い返してみれば、直接的に彼女から菓子をもらった訳ではなく、むしろ丁子が本と引き換えに取り上げた形だ。

「………ん?」

自業自得かと落ち込みかけた思考に待ったをかけたのは、藍の何かを含んだ表情だ。

「藍さん、知ってたんですよね?」

「あぁ。先に食べたら夕飯の味が分からなくなるだろうと思って、食後に勧めた」

「……。あの、分かっていてなぜ私には食べさせたのでしょうか」

そりゃあ、と藍が唐辛子入りの饅頭を摘まみ上げてニヤリとする。

「面白いから」



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