近くて遠い
「ーー宰相閣下であられます?」
甘やかな声に続いて、下がった視界に鮮やかな赤色が映り込んだ。
フワフワと足先まで広がる衣装の裾をつまみ膝を屈める礼は、ヒースガルドの貴族式。
「どうか無作法をお許し下さいませ」
長い金の髪を大粒の宝石で飾った頭を上げたのは、青い目が非常に愛らしいーー少女であった。
薄い布を幾重にも重ねた衣装から伸びる繊手をいただき、恭しく口付ける。
ヒースガルドの挨拶で応えるのは、隣国への友好を示すための礼儀だ。
本来なら、宰相である月白に紹介者もなく話しかけるのは本人がいう通り無作法である。
しかし彼にだって、まだ社交界に慣れていないような少女の失敗に目を瞑り、恥をかかせない程度の分別はある。
「我が女王陛下より宰相の位を預かっている、伊勢月白です。お嬢さま、よろしければ私に名前をお教えいただけますか?」
「あら、わたくしったら!」
上気した頬を手で押さえ、少女ははにかんだ。
「わたくし、ジュリアン=ラスと申します。以後、お見知りおき下さいませ」
「お会いできて光栄です」
「どうぞジリーとお呼び下さい、宰相閣下」
月白が鷹揚に頷けば、少女ーージュリアンは組み合わせた両手を豊満な胸に抱いて、花が咲くように微笑んだ。
◇
「ーーそれで?我らが未熟な宰相閣下に声をかけたと言う、奇特な娘の身元は」
喧騒も遠ざかった宴の後。
王弟は城の中にある自身の執務室で、肘掛け椅子に座っていた。
宴の最中「それ」を目撃し注進した蘇芳が、可能な限り集めさせた情報を明かす。
「名はジュリアン=ラス・アベル。今宵招かれたヒースガルドの豪商、アベル家の娘です」
「アベル家…」
「ヒースの主要国、リトニアの王室にも親い家柄で、主に宝石や貴金属の国内流通と輸出を手掛けています。各方面への人脈は父上も『有益』と判断されていたかと」
「あぁ」
思い出したように王弟が相槌をうつ。
今宵の夜会には、国内外から数多くの商人たちを招いていた。目的は、ヒースガルドと事を構えるとなった時、彼らがどの程度利用できるかを見極めるためだった。
もちろん、表面上はごく親しい隣国の賓客としてもてなしながら。
「彼女は伊勢どのに個人的な会食を持ち掛け、伊勢どのも応じていました。すぐに別れ、その後の接触は見られませんでしたが」
「娘の父親は」
「伊勢どのとの接触はありません。恐らくは…」
「娘の独断か」
蘇芳は無言で顎を引く。
彼はたまたま月白の近くにおり、少女が声をかけるところから一部始終を見ていたが、王弟は群がって来る貴族連中の相手でそれを見逃していた。
「一目惚れをして迫ってきた、と言うのも笑えるが」
「国が違えば、女性の好みも変わるものですかね」
長椅子の上で足を組んだ蘇芳が、自分で言いながら笑う。
王弟に目をつけられているという立場と、持ち前の頭の固さがが災いして、月白は弟ほど女性に人気がなかった。
特に貴族の娘など、はなから月白を相手になどしないので、彼が女性に声をかけられるなど、夜会が始まって以来の珍事である。
「陽慶の金山に目をつけた父親の差し金、と考えるのが妥当だろう……しかしヒースガルドとは、厄介なものを引っ掻けてくれる」
「ですが父上、これは好機なのでは?」
息子の問に、王弟がニヤリと口許を歪める。
蘇芳が見る父の笑みは、常にそう言った類いのものだ。
「確かに。敵国の娘と関係のある者が宰相では具合が悪い」
「それを理由に、伊勢どのの排除も可能かと」
「それはそれで愉快だな」
肘掛けに頬杖をついた王弟は、しかし気のない返事を返しただけだった。




