壁の花、その名はヘタレ
結果から言えば、真朱はその具体的な企みを月白に明かすことはなかった。
『王弟を謀ろうとしても、すぐに気付かれるよ』
だってあなた、分かりやすいし。
鼻で笑った彼女は、その後にこう付け加えた。
『あなたは状況に流されるお飾りの宰相でいればいい。ただし、提示された切っ掛けを見逃さないで』
その切っ掛けとやらが何なのかすら教えられていない月白は、深々と息をつく。
それを見逃したら、あの口達者にどれだけ罵られるか、考えたくもなかった。
「お疲れのご様子ですな、伊勢どの」
笑いを含んだ声に、月白は落としかけていた肩を強ばらせる。
声の方へ振り返れば、王弟がいつものように余裕と取り巻きたちを纏って立っていた。
その向こうには、着飾った男女が行き交う広間が見える。
定期的に行われる、女王主催の夜会のただ中に月白はいた。
女王主催と銘打ってはいるが、当の陛下が姿を見せたのは仙斎の存命中だけである。宰相が月白に代替わりして以降、その名代として王弟が会を仕切っていた。
まぁ、実際のところがどうであれ、この夜会は貴族たちにとっては月に一度の公式な社交場であり、誰しも人脈作りと情報収集に余念がない。
「少々、場の空気に酔ってしまいました。今宵は特に人が多いので」
「あぁ、今回は王家とも関わりの深い商人も招いているのだが…さすが、弟君は人脈作りに熱心なようだ」
もちろん皮肉だ。
王弟の視線を追えば、華やかな女性達に囲まれた淡藤が見えた。
夜会での淡藤はたいていあんな調子で、年齢国籍問わず周囲の女性が切れることがない。
「女性を楽しませる弟君の手腕はもはや才能だな」
「私にも弟のような才があればと、羨むばかりです」
「ほぅ、何なら親類をご紹介差し上げるが?ちょうど年の頃もよい娘が…」
冗談じゃない!
王弟の乱心にぎょっとした月白は、思わず一歩後退りした。
「お気遣い痛み入ります。しかし殿下のご親類でしたら、私には高嶺の花。より相応しい方がおられるかと」
何とか平静に、できる限り冗談めかして答える。
真朱は流されろと言ったが、まさか王弟の息のかかった娘を押し付けられては堪らない。
王弟にとっては月白に首輪をつけた上で、次代の宰相も手中に入れられて一石二鳥だろうが。
だらだらと背に汗をかきながら、弱りきった顔の月白を王弟はしばし見つめていたが、ふっと表情を和らげて彼の肩を叩いた。
「伊勢どのと縁が続くのもいいかと思ったのだが。まぁ、冗談だ。気にしないでくれたまえ。君のお眼鏡にかなう令嬢が現れることを祈っているよ」
王弟が足を返すと、こちらを窺っていた議員どもも月白から離れていく。
最後にはっきり冗談として話題を流したのだから、外堀を埋めたい訳ではなさそうだ。
まだしばらくは彼を泳がせるつもりらしい。
「他人の墓穴はせっせと掘ってそうだけどな」
短い会話の間に王弟から発せられた不穏な空気を肺から吐き出して、月白は相当本気で帰りたいと思った。
王弟が離れれば、来場者の意識が月白に向けられることはほとんどない。
時おり声をかけられはするが、彼らは陽慶と経済的な交流のある商人たちで、領主としての月白と挨拶程度の会話をするだけだ。
顔見知りの商人と挨拶を終えると、月白は広間の壁際へと移動する。
立場上、早々に帰る訳にもいかない彼の指定席だ。
放置されているのをいいことに、ぼんやり人の波を眺めながら思考に耽る。
彼女が言った、三つの方法。
一つ、軍部を味方につけて王位を簒奪する。
まずこれは無理だ。
力で押したところで、王弟は揺るがない。政治の腐敗を糾弾し是正を掲げても、今の議会を前にしては簡単に潰されてしまう。
そして、こちらの味方につくことが前提条件の軍部は、政治とは完璧に別系統なため、動きが全く読めないのだ。
この夜会にも軍の幹部が何人か顔を出しているが、彼らは社交に興味がないのか、身内で集まり議員らとの接触も避けている。
王都を守る警備軍は閉鎖的であり、政治からも距離をおいている。
月白が宰相に就任したときも、何だかんだと理由をつけて挨拶をかわされ続けた。
避けられているならと無理矢理の召喚はしなかったが、こんなことなら、無理を通してでも警備軍の総司令と話をしておくのだった。真朱の言葉が耳に痛い。確かに月白は果たすべき役目を放棄していた。
二つ、不慮の事故で王弟が急逝する。
不慮の事故なんて言っているが、つまりは王弟を暗殺しろと言うことだ。
権力者を事故や病が襲うことは多々ある。子供の頃から何度か危ない目に遭っていれば、いくら月白でもそれくらい理解していた。
しかし、ままあることだからと言う理由で、そんな手段が選べるはずもない。
「……やはりヘタレというやつなのか」
二度目のため息とともに、視線が床に落ちた。
ーーでは、三つ目は…?




