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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第1章
3/31

廊下は原則早足で

個人宅としては不用心に開放されている夢見亭の門を潜り、まず丁子は野菜を厨房に届けた。

そこで主人の居場所を尋ねれば、午後は部屋から出ていないと言う。

「ついさっき、藍さまが茶を取りに来たところだ」

「もしかしてお菓子も出しました?」

麻袋を厨房の隅に下ろしながら聞くと、料理人がひげもじゃの顎を引く。

「あぁ、もう。こんな時間から間食したら夕食が入らないって、いつも申し上げてるのに」

この屋敷の者は皆、主人に甘い。

丁子は頭を振って厨房を飛び出した。


夢見亭は四角い敷地の中、南向きの庭を囲むようにいくつかの棟が建てられている。

厨房は西北の端、主人の部屋がある棟は東南の端なので、狭くはない屋敷を対角線に横断しなくてはならない。

ややもすれば駆け足になりそうなほどの早足で回廊を歩いていると、建物の角から桜の木が見えてきた。


数々の樹木が植わる庭園でも、ひときわ目を引く桜は樹齢二千年と言われ、夢見亭の名前の由来となっている。

今はまだ季節ではないが、春になれば薄墨を広げたような花が咲くのだ。


角を折れて東棟が見えたところで、回廊を行く背中を発見した。

「藍さん!」

呼び掛ければ、盆を両手にした男が振り返る。


「丁子」


駆け寄ってくる丁子に笑みを見せた男は、神鳥藍(かんどり らん)と言う名で、丁子と同じくこの夢見亭の主人に仕える侍従であるが、他の用人とは少々毛並みが異なっている。

名前や容貌は間違いなくここ倭(やまと)の国の人間だが、身にまとっているのは西の国の者が着るような黒服。そして、藍は異教徒だった。


「おかえり、遅かったな」

「八百屋のおかみさんに野菜をもらっていました」

「気前のいい女将だな」


象牙の留め具が二つほど外された胸もとに、信仰の対象だと言う十字の首飾りが見え隠れしている。

何度か教義を聞かせてもらったが、残念ながら丁子にはよく理解できなかった。


「藍さん、この時間にお菓子なんか出しては駄目ですよ」

「あー…腹が減ったって、うるさくて」

藍が苦笑して視線を下ろした。

紫檀の盆には、茶器と饅頭が載っている。

「夕食が食べられなくなるではないですか」

「お前は母親か」

「誰も言わないから私が言うんです。藍さんもしっかりしつけて下さい」

「まだ虎をしつける方が簡単だよ」


おかしそうに肩を揺らした藍は、それでも菓子を下げる気はない。

主人の意に反するのが嫌なのではなく、ただ何を言っても無駄だと分かっているからだ。

それでも言わなければ気がすまないのは、丁子の性格だろう。





「真朱さま、丁子です」


扉の前で伺いをたててから、丁子と藍は東棟に入る。

主人の私室と言える東棟には、居間と書房、寝房に控えの間の四部屋があるが、たいてい主は居間にいる。


入室してすぐ目につくのは、床や机に積み上がる書物だ。

足の踏み場がないと言うほどではないが、それでも片付いているとは言いがたい。書物を左右によけ、歩き回るための細い道だけができている状態だ。

その道を辿った窓近くに置かれた寝椅子に、夢見亭の主人はいた。



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