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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
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世界は未完のまま進む

別件で寄るところがあると言う伯父と別れた少年は、一人で西内殿の端を歩いていた。

すぐ右には居院(すまい)の高欄があり、左手には遠くに塀が見える。

立ち入りを制限されているために人気のない庭は、西内殿を横切るのに最適なのだ。

見習いとは言え、少年も密偵の端くれ。官吏が通る道を堂々とは歩かない。


「そこのお前」


突然降ってきた声に、少年は砂利を踏みしめた足を止める。

「え?……え?」

「こちらだ」

辺りを見回すと、また上の方から呼び掛けられた。

見上げた高欄に寄り掛かり、男が一人立っている。その顔を確認して、少年は飛び上がりそうなほど仰天する。

「い、和泉さま!?」

「喧しい」

顔をしかめたのは、王弟の息子だった。



「お前、柏木の身内だな。名は?」

「……霞でございます」

「上がって来い」

その場に平伏した少年――霞を、蘇芳は高い回廊の上に呼び寄せる。

「いえ、それは……」

「構わぬ。早くしろ」

「……はい」

礼節と命令を天秤にかけた上で、霞は軽い動作で回廊に登る。

礼は相手に敬意を表すもので、拘りすぎて相手を不愉快にさせたのでは本末転倒だからだ。

上がってからも再び平伏するべきか迷ったが、呼び寄せられたからには話があるのだろうと拱手にとどめる。


正直なところ、霞にはこの蘇芳と言う青年の立場がよく分からなかった。

父は女王の弟で、母も遠縁ながら王家の血を引くと言う生粋の王族のはずなのに、蘇芳は倭の姓を名乗っていない。

そこだけ見れば蘇芳は王子ではない。ところが彼は王弟と同じく、王族の居住区である西内殿に自由に出入りしているのだ。

定まらない身分に困惑しているのは貴族たちも同様で、蘇芳の敬称は“殿下”でも“どの”でもなく“さま”であると、暗黙のうちに決められていた。


その蘇芳は右手を顎に当て、上から下まで霞を眺めている。

「お前は近頃、よく禁裏で見かけるが……密偵の身内が役所に勤めている訳ではあるまい」

「左様にございます」

「では何をしている」

「それは、その……和泉さまはご存知なくとも、差し支えなきことでございますゆえ」

霞が言葉を選びながら答えると、蘇芳は表情を翳らせた。

「お前も、そう言うのだな」

「は……?」

「私の周りの者は、口を揃えて言う。下々のことは知らぬままでよい。父上に任せればよい。とな」

首を傾け、目を伏せる様は悲哀に満ちていて、霞の罪悪感を煽る。

「私も父上のお役に立ちたいのだが……まだまだ力不足だと言うことであろうな」

力なく呟かれた言葉に、霞は深く同調した。

伯父の役に立ちたいのに、現状ではむしろ足を引っ張っている自分が情けない。

同時に、高すぎる身分のせいで目や耳を封じられている蘇芳に同情もした。

王弟の一人息子である蘇芳は、将来の王位を期待されている。そのために今は下手な役職にも就けず、飼い殺しに近い状態なのだ。

そんな中で、耳くらい自由になってもいいのではないかと霞は思った。

「――王弟殿下の命により、八咫鴉を捜しております」

「八咫鴉と言うと、譜賢内侍の?」

「はい。八咫鴉は世代交代をすると、声を封じる習慣がございます。現在は譜賢内侍の身内が、その役を負っているかと思われますので、それを内密に探し出すようにと」

「何故?」

「は……?」

蘇芳の問いが、霞には分からなかった。

密偵は主の命令によって動く駒。命令の理由など考えない。詮索しない。ただ主の与えられた役目を遂行するのが使命だからだ。

よって、霞も王弟が何を思って八咫鴉を探すのかなど、考えたこともない。

「王弟殿下は、ヒースガルドとの開戦を望んでおられるとのこと。一刻も早く王位を欲しておいでなのではございませんか?」

王弟の立場では大臣たちを動かせても、軍は動かせない。勅命を出すには王位が必要なのだ。

「姿の分からぬ者を探すより、伯母上を脅して譲位させた方が早かろう」

そもそも、八咫鴉の役目は次の王を決めることであり、今の王が決定した譲位を覆すことはできない。

尤もな意見に頷きながらも、霞はそっと異論を挟んだ。

「それは……鴉が浅葱どのを次の王に指名するのを防ぐためでは?」

「浅葱は臣下の身ではないか」

「しかしながら、前王の実子である浅葱どのが指名される可能性も……」

霞の言葉を、蘇芳が片手を挙げて制す。

「伯母上が即位した時、譜言は浅葱ではなく伯母上を認めた」

当時、既に人格の優れていた浅葱を臣下とした仙斎の意見を黙認し、気弱な松葉の即位を承認したのである。

その経緯から考えても、今さら八咫鴉が浅葱を指名するとは考えにくかった。だとすれば、次の王位は順当に王弟に回ってくるはずだ。

しかし彼は、水面下で八咫鴉を探している。

それはまるで――。

「……どうあっても自分は選ばれぬような態度だな」

不穏な呟きの後、蘇芳はしばし沈黙した。



(選ばれない……?)

王弟は、自分が王になれないと思っているのだろうか。

それでは、王になるために画策を巡らせている行動と矛盾する。

どう言うことかと首を傾げた霞に、更に蘇芳が尋ねた。

「霞、父上が鴉を探し始めたのはいつ頃か、知っておるか?」

「確か……二年ほど前かと」

霞が伯父について王弟に拝謁してすぐのことだ。彼が最初に命じたのが霞であれば、それは二年前だ。

「王太后がお隠れになった頃か」

先々代の王の正妃――つまり松葉の母であった王太后は、夫が崩御した後に王宮を離れ隠居していたが、離宮で逝去している。

数人いた王の妻たちの中でも、正妃ながら目立つ存在ではなく、最後まで控え目な存在だった。

生前の希望で密葬だったこともあり、恐らく国民の大多数が喪中だと言うことも知らないだろう。

蘇芳でさえ、父が王太后の今際に呼ばれなければ、その最期も知らなかったはずだ。

「そう言えば、その頃からであったか。父上がヒースガルドとの開戦を進め始めたのは」

その頃を思い出しながら、蘇芳は指で顎をなぞる。



「……分からぬな。父上は何をお考えなのか」

唸って、蘇芳はため息をつく。そして高欄に凭れかかり、霞に退出を許可した。

「苦労であった」

「失礼いたします」

下がれと命じられたからには、抱いた疑問もそのままに下がるしかない。

霞は礼をとって庭に降りた。

「あぁ、霞」

「はい」

思わず見上げた蘇芳は、高欄に肘をついて手を振っている。

「私はこの刻限であれば、大抵ここにいる。また手が空いたら参れ」

「は……」

「せっかく“耳”を手に入れたのだ。重宝させてもらうぞ」

「は、はい」

最後に王弟そっくりの笑みを見せた蘇芳に、霞は口元がひきつった。


王弟は自分でなく、よく似た息子が王に指名されるのを恐れているのかもしれない。



脳裏に浮かんだ霞の思考は、正に事実の一端として正しいものだったのだが、彼がそれを知るのは後のことだった。




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