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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
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意識するから競いあう

「カラス?」

丁子の呟きを拾ったのは、一人だけ我関せずで茶を飲んでいた淡藤だった。

彼はちらりと丁子を見遣り、小さく笑う。

真朱に向けていた笑みと比べれば、若干ぎこちない気もする。が、範囲外でもそれなりに扱おうと思い直したらしいところは、評価するべきだろうか。

先ほど見事に存在を流された身としては、これしきのことでほだされたくない。しかし美形が放つ微笑みは、丁子のささやかな意地など簡単に吹き飛ばしてしまった。

「……何ですか?」

丁子は淡藤がこちらを見たことに対して訊ねたのだが、彼は『カラスとは何か』と言う問いだと解釈したようだ。

愛でていた茶杯を下ろすと、淡藤は片手を後ろについて半身に構える。

「八咫鴉。王族の真贋の判別を司っている……役職と言うのか、人物と言うのかは微妙なところ」

「…偉い人なのですか?」

「王の戴冠式にはその人の印が必要だと、法律に書いてあるんだ。ただ、偉いと言う概念では括れないかな」

「淡藤、国家の機密をあっさり喋るな」

こそこそと交わしていた会話は、そう広くない客房ではしっかり聞き取られていた。

たしなめられた淡藤は、開き直って兄を仰いだ。

「貴族ならたいてい知ってることだよ、兄さん。機密と言うほどでもない」

「……侍女どのは貴族ではないだろう」

月白が眉間にシワを寄せる。

ぼそりとした呟きは、丁子の生まれをあげつらってのことではなく、それを指摘するか否かをためらった結果だ。

淡藤は月白の物言いが気に障ったようだが、迷いながらでも事実を正そうとする姿勢は、彼の四角四面な性格をよく表している。

丁子は苦労しそうな性格だと思っただけで、不快ではなく、月白の発言については黙っていた。

だけれども、刺客はすぐ側にいた。

「別にいいじゃない。それくらい」

「……貴方はまた余計なことを」

うんざりした表情で月白が真朱を見る。

彼女はそれを無視して後ろに控える藍に同意を求めた。

「私自身が国家機密のようなものだしねぇ?」

「今さら一つ二つ増えたところでなぁ?」

「確かに言えてる。それに、郎女どのが許可したことなら、兄さんが口を挟むことじゃあないでしょう」

終いには淡藤まで加わり、数の上でも敗色濃厚となった月白は、これ見よがしに嘆息した。

丁子としては、信濃から教えられていないことだったので、八咫鴉に関することは確かに機密なのだろうと思った。が、教えてもらえるのならばもちろん聞きたいので、敢えて口を挟まない。

そして淡藤の言葉通り、真朱が『よい』と言ったことに対して、臣下である月白が抗議することはできなかった。

「どうぞ殿下のご随意に」

月白は難儀な思考に覆せない身分で折り合いをつけ、せめて快く思っていないことを示すよう捨て鉢に言った。












「では譜言(ふげん)内侍、また何かあれば来る」



姉である松葉が暮らす大慧(だいけい)殿の門前で、王弟は一人の老人に告げた。

暗い色目の袍を身に付けた小柄な老人は、黙ったまま首肯で王弟に応える。

彼は自分の宮に引きこもる女王と外との取り次ぎ役を担う、唯一の内侍であった。

王弟の手には、緻密な螺鈿細工が施された漆器の文箱。中身は今朝がた可決された、増税法を公布する勅書だ。

正式な法の公布には王印が必要であり、王弟は松葉にそれを捺させに来たのである。

捺させに、と言っても無理強いしている訳ではない。

父王や甥、娘が相次いで逝き、前宰相の伊勢仙斎(せんさい)まで喪った松葉はここ数年で老け込み、弟と争おうなどと言う気概を失ってしまっていた。

もとより気の弱さには定評のあった姉である。弟から王位をかっ浚ったのも仙斎の後ろ楯があってこそ。

それがなくなった今、姉は信の置ける者たちだけを側に配し、王宮の奥にある小さな宮から出てこなくなった。

時折訪れる王弟を恐れている節さえあり、彼が何も言わなくとも王印を差し出すのだ。


そんなに嫌ならばさっさと譲位してしまえ、と歯噛みしているのだが、姉は弟に玉座を明け渡すつもりはないらしい。

その気になればいつでも廃位を迫れる立場の王弟である。しかしそれをするにはもう一人、どうしても首を押さえなければならない者がいるのだ。




大慧殿から南に下り、本来の王族の私的空間との境である西内殿の門を潜ると、二人の密偵が出迎えた。

この門から大慧殿の側へは松葉の許可がなければ立ち入れないため、門の外で待っていたのだ。

まだ十代半ばほどの少年と、もう一人は柏木である。

「浅葱の動向は」

「はい。本日は体調が優れないとかで、屋敷から出ておりません。また、外出の予定もないとのこと」

「決議は必ず“病欠”だな。小賢しい」

王弟は彼らを横目で見て、優先事項を訊ねた。

「鴉はまだ見つからぬのか」

「申し訳ございません」

「どれほど時間を与えたと思っている」

冷やかな叱責に、少年が肩を強張らせる。

「畏れながら申し上げます」

「何だ」

柏木が言葉を挟むと、王弟は鷹揚に応じた。

「八咫鴉は倭の身分制に関わらぬ身。次代を捜すことは容易ではございませぬ。譜言内侍がそうであると言うことも、陛下の即位の折りに判明した次第でございますゆえ」

「譜言め……」

王弟は袍の袖を翻し、たった今自分が歩いて来た方向を見遣った。



倭には何百年にも及ぶ王族の系譜を記録し、王位の継承順位を正しく定める役を負う家系が存在する。

八咫鴉とは、云わばその生ける王家の家系図だ。

また、新しい王の即位には八咫鴉の印を捺した証書がなければならないと古からの法で決まっていた。つまり王弟が即位するためには、八咫鴉の印が必要なのだ。

それだけ聞くと王をも凌ぐ権力を持つようだが、鴉はその二点以外で政治に関わることはできないとも決められている。

表舞台に立つこともなく、個人については一切その情報を公開されないため、王族の自作自演ではないかと、存在自体を疑問視する声も少なくなかった。

しかし姉が即位するにあたり、王宮で舎人(とねり)を務めていた男が鴉の印を持って現れた時は、どの貴族も驚愕したものだ。


その舎人であった男と言うのが、先ほど大慧殿で王弟を見送った、譜言と号する老人である。

では譜言を押さえればいいかと言えば、厄介なことにそうではなかった。

肝心の印綬を、譜言はもう持っていないのだ。


「譜言内侍が声を封じてしまわれた以上、しらみ潰しに捜すしか方法はございませぬ」

「今しばらくの猶予をいただきたく……」

まるで小さな子供が親の背に隠れるように、少年が柏木の陰から願い出ると、即座に王弟から睨まれた。

「……柏木」

「はい」

「身内の不始末はお前の責任だ。浅葱の監視と共に鴉の捜索も申し付ける」

「仰せに従います、殿下」


王弟を見送った後、作揖を解いた少年が柏木を窺う。

「ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません……」

柏木はため息混じりに少年の額を突いた。

「お前には荷が勝ちすぎたのは事実だ。後見としての責任は取る」

「伯父上ぇ……」

「情けない声を出すのではない。どこまで調べたのだ」

柏木が大股で歩き出すと、少年もそれを追いかける。

「譜言内侍に婚姻歴はありませんでした。鴉は一子相伝なので次代は子か孫だと思われますが、私生児ですと特定が難しく……」

「それで?」

尻すぼみになる言葉に固い声音で促すと、柏木の甥は慌てて先を続けた。

「ただ役柄、王族に近い人間かと思われるので、まずは陛下の即位と同時期に仕官を始めた者と、不審な異動があった者から調査を行っています」

「……分かった。お前はそのまま続けろ」

「はい。……伯父上は?」

「私は別の方面から捜す」




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