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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
22/31

あるのは自信、そして見栄

二度目の内談は、初の顔合わせから四日後の夜と決まった。

真朱が文を出して、月白が応じる形である。

その文の内容など、侍女である丁子は知る由もないことだ。

ついでに、その内談を当日まで知らされていなくて、準備に追われたとしても本来は文句など言えない。



「丁子、私にはそれが凶器に見えるのだけど」

「嫌ですね、真朱さま。ただの櫛でございます」

鏡台の前に座る真朱に、丁子は笑顔で返す。

手には象牙の梳き櫛があった。

鏡越しにしばし無言で見つめ合い、白旗を上げたのは真朱だ。

「……分かった。予定を伝えなくて悪かったよ」

「全くです。お客様がおいでになるのなら、仰っていただかなければ困ります」

侍女は主人の予定が滞りなく進むよう、先回りして働かなければならない。

だと言うのに、真朱から来客の予定を告げられたのは昼食後。準備の計画すら立てていない状況に、絶望したのも無理からぬことだった。

とにかく真朱を湯殿に叩き込んで、その足で妙に指示を仰ぎに行った。

さすがに年の功と言うべきか、妙は「あらあら」と目を丸くしただけで、特に動じる様子もなく準備を請け負い、丁子には真朱の身支度を頼んだ。

細かなことは妙や白磁に任せておけば間違いないので、丁子はこうして一つのことに集中していられる。


「髪飾りはどれになさいます?」

緩い巻き毛を頭頂部に寄せながら尋ねると、真朱は鏡台に並べられた飾りを選び始める。

その間に丁子は、香油を髪に馴染ませ、根本を括ってから拳大の玉を作る。

癖のある髪は、まとめるのにコツが必要だ。

初めは梳るだけでも髪を絡ませ、丁子に任せたら半月で禿げ上がると嘆かれたが、近頃では手慣れたものである。

わざと残した後れ毛を肩に流し、真朱が選んだ銀の釵を挿して終わりだ。

「完了です」

「ありがとう」

「ああ、くれぐれも形を崩すようなことを、なさいませんように」

「はいはい」

椅子から立ち上がる真朱に釘を刺して、丁子は道具を片付ける。


「真朱さま、藍さんはまだ戻られないのですか?」

月白との会談に、控えるのが自分だけと言うのは不安があった。

藍が時間までに戻らなかったら、白磁は代わりに立ち合ってくれるだろうか。

「藍なら、もう戻るよ」

答える声が、屈んでいた耳元で聞こえて丁子は驚く。

何故だか真朱がとても近くにいたらしい。上げようとした頭に微かな重みが加わった。

「真朱さま?」

振り返ると、その動きに合わせて何かが視界の端に揺れる。

何かと思って鏡を見れば、藤を模した歩揺が髪を飾っていた。

「貸してあげるよ」

「こ、困ります……」

慌てて外そうとするが、伸ばした手は真朱に掴まれる。

「気に入らないって?」

「違います。こんな高価なもの、つけられません」

歩くと音を立てて揺れることから名付けられた歩揺は、繊細な細工なだけに値が張る。当然、質素な服に合わせるようなものではないし、侍女が身に付けるものでもない。

それでも真朱は、何のかんのと歩揺を外すのを許さなかった。


「良家の子女は、歩きの訓練で書物を頭に載せると聞きますけれど、そんな気分ですね。緊張します」

「歩揺一つで何言ってるの。本物のお嬢さまは皆、釵やら歩揺やらをいくつも挿すんだから」

「世のお嬢さま方は、肩こり持ちだと思います」

「緊張で?」

「はい」

丁子が真面目な顔で言えば、真朱は声を上げ笑った。

「落としたらどうしよう。私、とても弁償などできませんからね」

「大丈夫、給金から天引くから」

「えぇ!?」

「冗談。――ほら、誰か来たよ」

明るい声に、回廊の床板の軋みが重なる。

真朱の居室を囲む回廊は板が僅かに浮いていて、踏むとキシキシと軋むのだ。

白磁に訊けば、「古いお屋敷ですからね」と苦笑され、特に支障もないのでそのままになっている。


丁子は扉まで出迎えに立つが、頼りなく揺れる飾りが気になって、つい足取りが慎重になった。

それを見て、また真朱が肩を揺らす。

ムッとしながら扉を開けると、三日ぶりの藍の顔が現れた。

「楽しそうだな」

「あれ、藍…さん?」

言い淀んだのは、藍が見慣れない出で立ちだったからだ。

いつもはノルス風の衣装を好んで身に付けている藍が、どうしたことか今日は倭の平服である。

彼が選ぶノルスの服は白か黒が多いため、鮮やかな色目の袍は違和感すらあった。

「お帰りなさいませ」

「あぁ。随分とめかし込んでるな」

ちょうど目線の高さにあるのに気付いたのか、藍が指で歩揺をつついた。

「これは真朱さまが…」

「あぁ」

軽く相槌を打って、彼は丁子から真朱へ視線を移した。

「どうだった?」

真朱は三日も外に出していた藍に労いの言葉もなく、用件を口にする。

しかし藍の方も、そう言うことを気にしない性格なのか、それに対して不満はないようだ。

「とりあえず了承した。言われた通り、弟の方を連れて来たけど、先に会うか?」

「その方が面倒がないね。――丁子もおいで」

「……はい」

またしても丁子の予定が狂う。

彼女たちの間で、丁子の預かり知らぬ事態が動いているのは、特に珍しいことではない。

滅多に屋敷から出ない真朱が世情に疎くないのは、藍を目や耳のように使って情報を得ているからだ。そして時に、彼は遣いとして真朱の手足となる。

藍が他の用人から一目置かれているのは、そうした特殊な役を負うに値する、真朱からの信の篤さもあってこそらしい。

今のところ、丁子は真朱からその手の仕事を指示されたことはなく、自主的に私塾や市場で噂を集めてくるのが精々だった。


「よく三日で了承を取り付けたね」

「真朱がやれと言うからだろう。それに、思ったより話の分かる奴だった」

真朱と藍が、軋む板張りの回廊を抜けて母屋に向かう。

「藍さん、弟さんがいらっしゃるのですか?」

二人を追いながら尋ねると、藍は「いやいや」と手を振る。

「俺の弟じゃない」

「では、どなたがおいでに?」

「どこぞの宰相の弟だよ」

引きずる袴に辟易した様子で、真朱が裾を摘まんだ。

本当に、自分の屋敷では体裁を気にしない人である。

「閣下の?どうしてまた」

「必要だからね」

短く答えて、彼女は客間の扉に手をかけた。




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