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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
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そいつは予想外

前日にどれほど劇的な出会いがあっても、王宮ではいつも通り冷遇される日常が待っていた。

馬車の窓から夜の闇を眺めながら、一日を振り返って月白は嘆息した。

朝議こそなく、面と向かって嘲笑されることはなかったが、任される仕事は報告書に押印と署名をするだけ。内容を吟味することを求められていない事実は、王宮で宰相と言う役が、いかに軽視されているかを嫌でも月白に知らしめる。


「お帰りなさいませ、若旦那さま」

外門につけた馬車の扉を、家令の雲井(くもい)が一礼して開いた。


家令は常に月白の側に控える従者とは違い、伊勢家の財政や所領の管理をする役である。

貴族は自分の領地と王都を行き来するのが常で、伊勢家も王都に近い陽慶ようけいと言う都市を拝領している。しかし月白はあまり王都を離れないので、頻繁に雲井が陽慶と王都を往復しているのだ。

ちなみに月白は、王宮などに伴う常磐からは公的な肩書きである“大公”と。一方で家政に携わる雲井からは、“若旦那”と呼び分けられている。


「変わりはないか?」

決まり文句を口に出してから、浅葱が昨日、白磁に同じように問うていたことを思い出す。

雲井の答えもまた定型だった。

「はい、若旦那さま。詳しいご報告は後ほど」

そして、いつもならすぐ月白を邸内へ促す家令は、軽く会釈をしてから御者台の常磐を見上げた。

「常磐どの、馬車はそのままで。すぐに若さまがお出掛けになります」

「藤が?」

顔をしかめた月白が屋敷を振り返ると、玄関から弟が出てくるところだった。


敢えて地味な装いを選ぶ彼と、常に流行を意識した衣装を纏う弟は、見た目からして正反対だ。

次男と言う気楽さからか、弟は最低限の教養だけを身に付けると、遊学と称して国内外を飛び回り、夜会を渡り歩いている。

おかげて、世間の流行や噂話など、月白より詳しいことが多々あった。

その噂話の当事者に、弟自身がいることが多いのは、月白にとって頭の痛いことである。


佳人と名高かった母譲りの甘やかな美貌と、人を魅了することに長けた性格で数々の女性を籠絡し、弟は十八にして既に十分すぎるほどの浮き名を流しているのだ。

それも軽薄なものではなく、どこの令嬢にも熱烈な歓迎を受けているらしいと言うから業腹だ。

とまれ、実直だけが取り柄の月白とは違い、弟は自分をいかによく見せるかを心得ている。


柄入りの襟に、細かい刺繍の施された白い袍に薄紫の帯を締めた弟は、長靴(ちょうか)の底を鳴らしながら、従者を伴って歩いてくる。

「やぁ、兄さん。お帰りなさい」

「あぁ。淡藤(あわふじ)はどこへ行くんだ?」

「夜会にね。ヒースの宝石商がわざわざ来ているって話なんだけど」

「お前、宝石に興味があるのか?」

帯を飾る石などは確かに高価なのだろうが、と思いながら尋ねると、淡藤は「まさか」と首を振る。

「興味があるのはお嬢さんたちさ。贈り物にいくつか見繕いたくて」

いくつか。

弟のことだから、送り先は全て別の相手だ。

「宝石商も家族を連れて来ているらしくてね。令嬢が大層な美人だとかで、噂になっているんだ。ヒースの豪商の、手中の珠を垣間見るのも悪くないでしょう?」

「お前は…」

さも楽しそうに言う弟に頭を抱えたくなる。

「兄さんも、つまらない仕事ばかりしていないで恋人の一人でも作ったら?」

「つまらないと言うな」

「本当に頭が固いな。何なら紹介してあげるよ。どんな人が好み?それか、出会いはないの?」

「出会いと言ったって…」

月白は一番最近会った異性を思い返す。


歯に衣着せぬ言動で、月白をヘタレと称したあの女。

確かに容貌は浮世離れした美しさがあったが、中身があれではこちらから願い下げだ。

どちらかと言えば、控えていた侍女の方が常識がありそうだった。

いやしかし、あの女を主人に持つくらいだから、侍女の方も一癖二癖あるかもしれない。


「……女に幻想を持つと痛い目をみる」


ぼそりと呟けば、淡藤は驚いたように瞠目した後、大声で笑い始めた。

「兄さんにそれを悟らせる女性がいた訳だ。どこの誰?その様子じゃあ、フラれたんでしょう」

「フラれるほどの関係にもなっていない!」

「親しくなる前に袖にされたんだ。大丈夫だよ、兄さん。女性はその人だけじゃあないからね」

ねぇ、と淡藤が水を向ければ、達観した年齢の雲井と常磐は、ほくほくした笑みで頷いた。

「あぁ、でもどうかな。わざと冷たくして、兄さんの気を引く作戦かもしれないよ。兄さん顔はいいんだし、その人も押せば意外と…」

「いい加減にしろ、色ボケが」

肩に腕を回してくる淡藤に肘うちをして、月白は息をついた。


「若さま、そろそろお時間が…」

まだ若く、主人たちの会話を聞いているしかなかった淡藤の侍従が、そろりと促す。

「あ、そう。じゃあ行こうか」

嬉々として兄に絡んでいた淡藤は、あっさり切り上げて馬車に乗り込んだ。

よほど夜会が楽しみだと見える。

黙って見送ろうとした月白だったが、短い逡巡の後に窓から声をかけた。

「藤」

「何?」

ガラスの嵌め込まれた窓を押し上げて、淡藤が顔を出す。

「……あまり、ヒースガルドに深入りするな」

今はまだ交易が保たれているが、浅葱の話を聞いた後ではかなり不安がある。

何とか王弟の思惑を潰したいとは思っているが、最悪の場合、ヒースガルドと戦争になる可能性も否定できなかった。

「それはまぁ、向こうのお嬢さん次第かな」

「藤!」

「はいはい、気を付けます。じゃあね」

窓が閉まり、常磐と交代で侍従が御者台に上がる。

「全く……」

遠ざかる馬車を眺めていた月白は、後ろから妙に生暖かい視線を感じて振り返った。

「……何だ?」

門の前で、雲井と常磐が笑顔で月白を見ている。

雲井はひとつ咳払いして、

「古来より、女性は男性より数が多ございますからな」

「は?」

「若旦那さまは確かに若さまと違い、少々バカ正直なところがございますが」

「待て。今、私をバカと言ったか?」

「しかし、実直であるのは間違いなく若旦那の美点でございます」

「えぇ、その通りですとも雲井さま。大公さま、それを認めて下さるお方が、必ずや現れますよ」

「希望を捨ててはなりません」

「人の話を聞けぇ!」

うんうんと頷き合いながら、常磐たちは勝手に話を完結させている。

公の場では完璧に月白を立てる彼らだが、内輪だけになると途端に孫でも見るような目になるのだ。

こうなった彼らを止めることは不可能である。

「藤のヤツ、いつか見返してやる」

それが兄の言う台詞ではないことに気が付かないまま、月白はようやく屋敷の門をくぐった。









伊勢家の家長として、月白がこなさなければならない仕事は、宰相のそれとは別にある。

最たるものが領地の経営だ。

陽慶は交通の要所である立地に加え、腕のいい金細工の職人が多く集まる地域であるため、潤沢な収入がある。

しかし領地を生かすも殺すも、領主である月白次第。恵まれた条件に胡座をかいていれば、領民はたちまち背を向けるだろう。そうならないよう、王都にいる間も領地との連絡は欠かせなかった。



書房の机には、雲井が届けた経理関係の報告書や領民からの上奏が積み上がっている。

雲井を下がらせた後、月白はその全てに目を通し、必要な上奏には返信をしたためて――いなかった。



「問題は、どうやってあのわがまま娘を引っ張り出すかなんだ」

「なかなか、気難しそうなお嬢さまでございますね」

重ねられた報告書を枕にして、月白は机に伏せる。

話し相手は常盤だ。

「傍若無人なんだ、あれは」

「しかし大公さまは、その方を王弟殿下の対抗馬となさるお心積もりなのでしょう」

「そうだ。今はとにかく王弟の目を逸らしたい」

「では、いかがなさいます?」

それが問題なんだ、と月白が唸る。

まさかいきなり朝議に連れ出す訳にはいかないし、かと言って非公式に王弟に引き合わせようなら即日、消されかねないのだ。

適度な証人が必要だが、今の段階で王弟を敵に回してまで、真朱を認める者は限りなく少ないだろう。

「一度、王宮で認められれば話は早そうなんだがなぁ」

あの強烈さは、昔を懐かしむ老臣たちの目に、朱華の再来と映るかもしれない。

「とにかく。次の話し合いは向こうから日程を指定してくるだろうから、それまでに改めて浅葱と戦略を練らなければ」

「戦略なのですか」

「あぁ。あの娘に口で勝つのは相当難しい」

「ご武運を」

常磐が頭を垂れたところで、下がったはずの雲井がおとないを告げた。

「若旦那様、文が届きましてございます」

「入れ」

雲井が持って来たのは、文箱もなく畳んだだけの簡素なもの。

宛名は流れるような筆跡で『白どの』とだけあった。

「誰からだ?」

「誰何いたしたのですが、結局名乗られず…。若い男の方でございました。容姿は倭の方なのですが、ノルスの宗教者に似た長衣と首飾りを」

「いい、分かった」

条件に合致する人物には、昨日会ったばかりだ。

しかし、個人を特定されたいのかされたくないのか。

名前を名乗らないのが用心ならば、服装も目立たないものを選ぶべきだ。それを失念するとは到底思えないだけに、彼の思惑が分からない。

更に、昨日の今日で文を出してくる理由も分からない。

「若旦那さま、いかがいたしましょうか?」

「構わない、こちらへくれ」

「はい」

恭しく差し出された文を一通り観察し、月白は包み紙を外す。

随分と薄い、と感じたのも当たり前で、中身は二つ折りにされた質の悪い雁皮紙だった。

粗末な紙はどこにでもあるような物で、それから差出人を推定するのは不可能だろう。文自体はどこに落として来ても問題ない訳だ。

文面も余計なことは一切なく、簡潔極まりない。


『再びお会いしたく候。

三日後、お一人で来られたし。

真』


「……雲井、これは何に見える」

「果たし状かと」

「応じなければどうなると思う」

「闇討ちでもされるかと」

「大公さま、どちらでこんな分かりやすい恨みを買われたのですか?」

「…………」



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