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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
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転がるご機嫌つかまえて

丁子が帰宅した時、珍しいことに真朱は母屋で縫い物をしていた。

母屋にいることもそうだが、丁子の記憶では裁縫は主人の苦手なものの三番目までには必ず挙げられる。

それなのに真朱は、厚い敷物を床に広げ、その上に用人の老女と一緒に座り込んで手を動かしている。

「真朱さま、丁子です。ただいま帰りました」

声をかけると、老女の方が顔を上げた。

真朱は眉を寄せて布地と格闘していて、丁子に構っている余裕はなさそうである。

「まあまあ、丁子さん。お帰りなさいまし」

「ただいま帰りました、妙どの。何ですか?この着物と布の山は」

「お嬢さまのご衣裳でございます」

丁子が隣に腰を下ろすと、老女――たえは楽しげに大袖を広げた。

「それは、確か昨年仕立てたものでは?」

「えぇ。そろそろ暑くなりますから、昨年の夏物を直しているのですよ」

「へぇ」


以前から感じていたことだが、真朱には自ら着飾ると言う概念がない。

女性――特に貴族には、装いで豊かさを示すところがあった。高価な生地を使って流行りの意匠を凝らし、次の年には新しいものを仕立てるのだ。酷い時には一度着た衣裳は二度と袖を通さない、なんて話もあるらしい。

その点、真朱は衣裳の新しさや派手さにこだわりがないらしく、衣としての体裁に問題がなければ何年前のものでも構わないと言っている。

その言葉を支えているのが、白磁の妻である妙だ。彼女が衣裳に手を入れて、まめに襟を変えたり刺繍をしたりするので、流行りのものではなくとも彼女の衣裳は充分着回しが利くのである。


「その大袖は、どうなさるのですか?」

「こちらは、袖口に刺繍をお入れするのですよ」

「袖口だけ?」

「えぇ。控えめの方が、かえって上品に見えるものですわ」

ふくよかな顔を和らげ、妙は年齢を感じさせないほど正確に、針穴に糸を通して見せた。

「では、私も――」

「痛っ」

手伝おうかとしたところで、真朱が声を上げた。

何事かと二人が目を向けると、渋い表情で親指をくわえている。

「……刺した」

「あらあら、お嬢さま。何度目です?」

先端が細いので刺し傷もささやかなものであるが、これ以上、荒れのない手に傷をつける前にと、妙が真朱から針を取り上げた。

「ですから、これは妙がすると申し上げたでしょうに」

「一体何を縫っておられたのですか?きれいな絹ですけれど…」

丁子は、さらりとした手触りの布を受け取り、広げて矯めつ眇めつした後、恐る恐る尋ねた。

「これは……雑巾、で、ございますか?」

「手巾だよ」

「は……」

「手巾」

「………」

じと目で不満を訴えられるが、丁子の常識が手の内のものを手巾とは認めない。

百歩譲って縫い目の荒さと不揃いは目を瞑るとしても、四隅からほつれが目立つし、均一の力で縫わないからか布地にシワが寄って全体の形が崩れている。そして、中央を縫い目が交差するようなものは、手巾とは呼ばない。そのまま、子供が母を真似て作る雑巾であった。


「もったいない。せっかくの絹が……」

丁子は一反の値段を考えそうになって嘆息する。

しかし職人が丹精込めて仕立てた衣裳を駄目にされるくらいならば、絹のはぎれでも与えておこうと言う妙の判断は正しい。非常に正しい。

「こう言うものは、気まぐれに手を出されても上手く行きっこありませんわ。そうでなくとも、お嬢さまは裁縫が得手でらっしゃらないのですから」

丁子から見ても驚異的な速度で針を進めつつ、妙が諌めると、真朱はプイと明後日を見た。

「妙を手伝おうと思ったんだよ」

「そのようなことを仰っても、妙は分かっておりますよ。藍さまがおいでにならないから、退屈してらっしゃるのでしょう?」

子供の言い訳にしか聞こえない主人の言い分に、話題が横滑りした。


そう言えば、と丁子が辺りを見回す。

「藍さんはお留守なのですか」

「えぇ。朝食の後すぐに」

道理で、丁子が帰宅してから藍の顔を見ていなかった。

とは言え藍が外出するのは、実はそれほど珍しくない。屋敷にいる間こそ主に付きっきりの彼だが、時折ふらりと姿が見えなくなる。長い時には一月近く帰らないこともあった。

そうして藍が不在だと、真朱は暇を持て余していつも以上に丁子を構い倒し、用人たちにちょっかいをかけて回ると言う、困った習性を発動させる。

いっそのこと、書房で本でも読み漁っていてくれた方が平和だ。

「どうせね、私は不器用だよ」

へそを曲げた真朱が、裁縫を諦めて房室を出て行く。

丁子はそのまま手伝うつもりでいたのだが、妙は首を振った。

「こちらは結構ですよ」

「でも……」

「藍さまがおいでにならないのですから、貴方がお側に。唯一の侍女どのですもの」

優しく重ねられて、丁子は自分の仕事を思い出す。

どれほど和気あいあいとしていても丁子は侍女であり、用人ではない。その本分は常に主人の側で控え、不自由がないか気を配ることだ。

「…失礼致します」







「走ると白磁に叱られるよ」

「走ってはおりません。早歩きです」

追い付いてぺろりと舌を出すと、丁子は居間の扉を押し開けた。

相変わらず書房から溢れる書物を避けながら、真朱は寝椅子に腰を落ち着ける。

丁子も下衣にシワを作らないよう気を付けながら、小さな椅子に座った。

「今日、少し先生とお話ししました。先生は、真朱さまのことをご存知の上で黙っておられるように思えましたけど…」

「そうだね。存外あの人腹黒いし、何考えているのか分からないけど」

「あぁ……黒いですね」

子供に恐怖を植え付ける笑みは、一度見たら忘れられない。

「まぁ、バレることを見越して浅葱が教育を頼んだんだから、口外の心配はしていないよ」

「先生はそう言ったことはなさらない方ですしね」

「もう少し野心って言うものがあれば、十分出世できるのにね」

肘置きに頬杖をついて、真朱は苦笑した。

その様子から、信濃に対して特に警戒する必要はないのだろうと判断する。

「伯爵に余計なことを言わないんだよ。確かなことを言わないから、知らぬ振りもできるんだから」

一人で納得した丁子を見越したように、真朱が釘を刺した。

「……気を付けます」

「よろしい」

尊大に頷いた真朱と、二人で笑い合う。


「……あ、そうだ真朱さま」

「何?」

「結局、宰相閣下の件はどうなさるおつもりですか?」

「む……」

眉根を寄せて、真朱は寝椅子に倒れ込んだ。

「いっそ来なければいいのに」

「でも真朱さま。昨日の閣下の言葉は素敵でしたよ」

『人生の最後まで責任を持つ』なんて、捉え様によっては口説き文句だ。

「バカ正直な天然が言うことだよ。そんなこと全く思ってないだろうね」

「でも、玉の輿ですよ」

「丁子、私はあのヘタレより高貴な生まれなんだけど」

「そうでした。逆玉の輿です」

「あんなのこっちから願い下げ!」




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