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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
19/31

世間話は秘密がいっぱい


講義後、丁子は回廊の欄干に凭れて同じく休み時間の子供たちを眺めていた。


鬼ごとなのか、広い庭園を走り回る集団の中に、ひときわ目立つ子供がいる。

出身地域の習慣らしい、頭髪を布で覆った男の子。ヒースガルド人のクラウス・アベルだ。

今のところ、大陸の言語はは古代ノルス語を語源とするものにほぼ統一され、倭、ノルスシュヴァイツ、レノン、ヒースガルドの四ヶ国間であればたいてい通じるとされている。しかし実際は、小国の集合体であるレノンやヒースガルドの地方になると、いまだに言葉が違うことも珍しくなかった。吐晏などは国ごと別言語である。

その点クラウスは、両親が国を越える商人だけあって、言葉に不自由している様子もなく生徒たちに馴染んでいた。

ガキ大将の昌騎が上手く巻き込んでいる効果もあるだろう。


楽しげに遊びの輪に入っていくクラウスを目で追いながら、丁子は信濃の言葉を振り返った。


『貴族をまとめて、何をするかが問題なのです』


王弟が何をするか。何をしたがっているか。

信濃はそれを分かっているような言葉を発したものの、屋敷勤めの侍女と言う身分の丁子に話すことではないと判断したか、詳しくは語らなかった。

言い方からして、王弟をよく思ってはいないようだ、と言うくらいは分かる。ただ、最後の問いに関してはどう解釈していいか悩むところだ。

国は変わるか、と訊いた丁子に、信濃は王弟に代わる人物の存在を匂わせた。

あれは単なる彼の望みか、それとも誰か――言ってしまえば真朱――を示しているのか。

信濃が何をどこまで知っているのかが判断できない以上、あの場で迂闊なことを口にするのは憚られた。


だけれども、と丁子は欄干についた頬杖を右から左に変えて、ついでに考える方向も変えてみる。


丁子を信濃に紹介したのは、他でもない真朱だ。彼女は幼い頃から、信濃に学問を学んだと聞いている。

では、真朱を彼に引き合わせたのは誰か。

彼女に高い教養が必要であると判断し、かつ高位である伯爵に教育を依頼できる人物。


「侯爵さまくらいしか、思い付かないなぁ……」


浅葱なら、いつかのために真朱に知識を付けさせたいと思っても不思議ではないし、元王族だったことを利用すれば伯爵相手にも多少の無理は利く。

そうなると、信濃が真朱の生まれを知らないと言うのは、仮定として苦しくなる。浅葱から真朱を任されたなら、彼らの関係は容易に想像できるからだ。

やはり、承知の上で黙っているのだろうか。


「……大人って複雑」


深いため息をついて、丁子は空を仰いだ。


もう半月もすれば短い雨季に入るだろうが、今日は穏やかな晴天である。

吸い込まれそうな青い空を、切れ切れに雲が流れていく。


二年前、地面に横たわって見上げた空は雪が舞うねずみ色だった。

真朱は丁子を『拾った』と浅葱に言ったが、出会いはそんな優しいものではなかった。

門扉の前に倒れていた丁子を、真朱は堂々と踏みつけたのである。

弱っているところに、思い切り体重をかけられて丁子は呻いたが、彼女は全く悪びれる様子なく『あれ、生きてた』と言っただけだった。

全くもって非人道的だ。

結局、後から来た藍が事情を聴いて屋敷に上げてくれたのだが、あの時ほど自分の選択に自信をなくしたことはない。

しかし、それから二年間もこうして真朱の元にいるのだから、人間何が起こるか分からないものだ。



閑話休題――。



「何してんの、ねーちゃん」

「先生に怒られて反省中?」

「……違う!」

うっかり失礼な言葉を聞き流しそうになり、慌てて過去に飛んでいた意識を戻す。

見れば、欄干の向こうに先方の三人組がいる。クラウスは昌騎と敬の後ろから、丁子を窺がっているようだ。

そう言えば、まだきちんと挨拶をしていなかったと思い当たった丁子は、欄干を乗り越えて子供たちに歩み寄った。

「こんにちは、クラウス・アベルどの」

まだ背の低いクラウスの目線に合わせて屈み、にっこり笑いかける。

子供とは言え、他国の民だ。敬意をもって対するべきだと丁子は知っていた。

「私は王都の外れのお屋敷で侍女をしている、丁子と言うの」

「こ、こんにちは。クラウスって呼んで、いいよ」

クラウスは背中で手を組み、はにかみながらも挨拶を返した。

幼いながらも、両親か周囲のしつけがよいのが分かる。

「分かった。私のことは好きに呼んでね。昌騎たちはたいてい――」

「貧乳ねーちゃーん!」

「貧乳ー!」

「誰が貧乳だ!」

狙ったように囃し立てる昌騎と敬に、ほぼ反射で叫んだ丁子はついでに鉄拳を見舞う。そして、ハッと振り返れば、クラウスが無垢な笑顔で首を傾げた。

「ひんにゅー?」

「変な言葉を覚えなくていい!」

丁子は昌騎を捕まえると、その頬をギリギリとつねり上げた。

「小さい子に変な言葉を教えるんじゃありません!」

「いたたた…ねーちゃん痛い!」

「私塾で教わったなんて知れたら、先生のお名前に傷がつくでしょう!」

「分かったよ!」

「全く…」

昌騎を放して、丁子は再びクラウスに向き直った。

「クラウス、それは女性にはとても失礼な言葉だから、使ってはダメ。皆は私を『お姉ちゃん』と呼ぶけど、ヒースガルドではそれを何と言うの?」

『とても』と言うところに力を入れた丁子に感じるものがあったのか、クラウスが若干後ずさりする。

「……エルマナ」

「じゃあ、そう呼んでくれる?」

「うん。僕ね、ほんとのエルマナがいるんだよ」

「そうなんだ。どんな方?」

クラウスは小さな眉間にシワを寄せて考え込み、丁子を眺めてからパッと顔を明るくした。

「おっぱい大きい!」

「明らかに私と比べたでしょう!」

『貧乳』の意味は通じなくとも、この年頃の男の子は目の付け所が同じらしい。

「悪ガキには鉄拳制裁」も世界共通だと信じ、丁子はげんこつを振り下ろした。


「乱暴だよなぁ」

「乱暴だよね」

頬と頭を撫でながら、昌騎と敬が囁き合う。

「女の人ってさ、もっとおしとやかなものじゃないの?」

「敬、女に理想を持っちゃだめなんだぞ。父さんが言ってた」

「それにしたって、ねーちゃんのげんこつ痛すぎ」

聞こえているのだが、と思いながら聞いていた丁子だが、次の昌騎の言葉に仰天する。

「言えてる。絶対にねーちゃんは王女さまじゃないよ」

「王女さまって?」

予想外の方向から飛び出した話題に、思わず声が大きくなる。

「昌騎、それは何の話し?」

丁子が勢い込んで尋ねるが、その焦った様子がまたも彼らのいたずら心に火をつけた。

「ひーみーつー」

にやりと笑って昌騎と敬が駆け出し、すっかり二人に慣れたクラウスが後に続く。

「ちょっと待ちなさい、昌騎」

「教えてあげなーい」

もちろん追いかけた丁子だが、授業の再開を告げる教室に逃げ込まれてしまった。


邪魔をする訳にもいかずに戸口で地団駄を踏む丁子に、しかし折よく顔見知りの講師が通りがかり、声をかけてきた。

「冬眠明けの熊みたいですよ、丁子さん」

「誰が腹を空かせた猛獣ですか!」

貧乳の次は熊。それも講師にまで言われるとは。

丁子は肩を落とす。

「冗談です。どうしたのですか?」

「子供たちが、私は王女さまじゃないと言ったので、どう言う意味かと……」

「あぁ、それ」

若い講師は苦笑いで答えた。

「今、子供たちの中で“王女さま探し”が流行っているのですよ。誰が始めたか分かりませんが」

「王女さま探し?」

「えぇ。朱華殿下には実は姫君がいて、やむにやまれぬ事情で平民に身をやつしておられる。と言う話で。女子と見るや『実は王女さまじゃないか』と問うて遊ぶのです。今や市井の子供にも広がっているそうです」

「それはまた…」

心臓に悪い遊びだ。

前提の話がほぼ真実であるから、余計に。

だが講師は、丁子とは違った方向に捉えていた。

「朱華殿下に対する、侮辱と見られても仕方のないことなのですが。信濃さまは、子供の遊びだからと静観の構えです」

「まぁ、通らない言い訳ではないですね」

丁子が信濃に同意の姿勢を見せると、講師は弱りきったように肩を竦めた。

「私は王弟殿下の耳に入りはしないかと、戦々恐々です」

「それまでには、先生が手を打つと思いますよ?」

信濃も痛い腹を探られたくはないだろうし、王弟との間に波風を立てても、私塾ごと潰されるだけだ。

「そう願いたいものです。私はここで、子供たちにものを教えるのだけが取り柄ですから」

では、と去る講師を見送って、丁子も夢見亭へ帰るべく踵を返した。

「知ってはいるけど、自分から動くつもりはないってところかな」

信濃の書房がある棟に視線をやる。

「本当に、大人って複雑」



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