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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第2章
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調教は子犬のうちから



昨日の騒動がなかったかのように、いつも通り朝の仕事を終えた丁子は、ある伯爵の邸宅を訪れていた。

夢見亭より遥かに立派な門構えは、積み上げた石垣が屋敷の辿って来た歴史を誇るかのように、見る者を威圧する。


しかし一歩邸内に足を踏み入れれば、丁子を迎えるのは家令でも侍従でもなく、

子供たちの歓声だった。


「丁子お姉ちゃん!」

「姉ちゃん、おはよー」

まだまだあどけない子供たちが、丁子を見つけて飛び寄って来る。

丁子は挨拶を返しながら、一人ひとり頭を撫でてやった。

どの子も我が家のようにはしゃぎ回っているが、その中に誰一人として、伯爵家の子供はいない。

彼らは皆、下級貴族や庶民の子供であり、ここは伯爵が長を務める私塾であった。


この私塾は文字の読み書き、算術などを教えることを目的としていて、対象は家庭教師を雇う余裕のない下級貴族や、庶民の子となっている。集まるのは大抵、十歳前後までの子供だ。

丁子がここへ通い始めたのは、侍女として雇われた後。真朱に紹介され、週の半分は講師に教えを乞うようにとの言いつけだった。

もちろん、年少の子供たちに混じって教科を学ぶ訳ではないが。


教室として解放されている離れに入ると、こちらにも子供が溢れていた。

講師役の大人の姿も見えるが、まだ授業が始まる時間ではないので好きにさせているようだ。

板張りの回廊を、数人の男の子が駆けて来る。

服や帯の形などが異なり、親の身分に差があることが見てとれるが、子供たちは一様に楽しげな表情だ。

「姉ちゃん、おはよー」

「きゃあっ」

追い抜きざま、先頭を走って来た子供に尻を叩かれ、丁子が悲鳴を上げる。

「昌騎(しょうき)!」

「なんだよー。ねーちゃん、胸揉まれた方がよかったかー?」

「どちらも止めなさい!」

昌騎は商家の息子で、ここではガキ大将である。

「揉むほど無いくせにー」

「やかましいわ!」

注意したところで、遊びたいばかりの子供が聞くはずもない。笑い声を響かせながらバタバタと遠ざかって行った。

「く、屈辱……」

ため息をついて見ていると、子供たちが行く先に男が現れた。

彼は驚いたように瞬いた後、走って来た昌騎の首根っこを掴み上げる。

ぎゃ、と昌騎が猫のような声を上げ、他の子供たちも雷に打たれたかのように立ち止まった。

「おはようございます、昌騎。今日も元気ですね」

「お、おはよう、ございます。先生」

「おはようございます!」

「ます!」

子供たちも口々に挨拶をするが、男はにっこりと笑む。

それを見て、途端に子供たちが竦み上がった。

「廊下は走ってはいけないと、何度も言いましたよね」

「ごめんなさい!もうしません!」

「それも何度も聞きましたね。お仕置きは何がいいですか?」

『ひぃっ』

子供は危険に敏感らしい。

摘まみ上げられたまま震える昌騎が哀れになってきて、丁子は彼らに近付いた。


「おはようございます、先生」

「おはようございます、丁子」

今度は普通の笑顔で応えて、男は昌騎を下ろす。

「昌騎、敬(けい)、クラウス。全員、自分の名前を百回書いて提出しなさい。授業が終わってからで結構です」

子供たちは声を揃えて返事をすると、ぎくしゃくと去って行った。一人だけ、頭に布を巻いた男の子が遅れを取り、転がるように前方の二人を追いかけた。

それを見送って、男が丁子に向き直る。

「子供はいつでも元気ですね」

「はい。……あの、さっきの子は?布を巻いた子」

「あぁ、クラウスですか?」

「クラウス…」

見送った子供たちの中に、丁子が初めて見る顔があったのだ。

回廊を歩き出した男は、丁子にも先を促した。

「クラウス・アベルと言う名前で、ヒースガルドの商人の子です。仕事でしばらく倭に滞在するとのことで。その間、交流をさせてくれと、ご両親に連れて来られたんですよ」

「ヒースガルド、ですか」

「とてもいい子ですよ」

昌騎につられなければ、と続けて、男はたどり着いた部屋の扉に鍵を差し込んだ。


子供たちに先生と呼ばれ、恐れられながらも慕われているのは、私塾の長である信濃(しなの)だ。

伯爵と言う高位が王弟の鼻についたのか、信濃は任官当初から教育大臣に任ぜられている。

現在の倭では、教育とは貴族の子弟が家庭教師から受けるものである、との考え方が一般的なため、特に仕事のない教育大臣は閑職と名高い。

それでも思うところがあったのか、彼は子供向けの私塾を立ち上げた。

貴族が私的に弟子を持つことが、特に珍しくないことを知った上での逃げ道である。

その信濃が、真朱に紹介された丁子の師であった。


「先日お貸しした本は、お喜びいただけましたか?」

「はい。……とても」

おかげで酷い目に遭った、とは信濃には非がないので黙っておく。

招き入れられたのは、離れの隣に建つ棟の書房だ。

夢見亭よりのそれより広く作られた室内には、国内外を問わず様々な書物が収められており、真朱に貸し出されたのもここの所蔵物である。


信濃が向かったのは、畳が二畳敷かれた一角だ。

ゆったりとした袖と袴の裾を払い、彼が円座に腰を下ろすのを待ってから、丁子も畳に正座した。


「さて、今日は何をお話ししましょうか」




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