剣と誓い
深く頭を下げる父親を前にしても、真朱は昨夜のように淡白だった。
「拒否する」
「この国の先のことだ。考えてくれないか?」
深刻な話題にようやく背を伸ばす月白とは反対に、真朱は体ごとそっぽを向いて断固拒否の構えだ。
「嫌。絶対に嫌」
「そう言わずに」
「いーやーだ」
「話だけでも」
「嫌」
「真朱」
「…………」
終いには顔を逸らして返事もしない真朱に、我慢できなかったのは月白だ。
「いい加減にしろ!」
両手で卓を叩いて立ち上がる。茶器が音を立てるが、そんなことは気にならなかった。
今、この国を正す力が自分にあると言うのに、それを使おうとしない彼女に腹が立つ。
完全に言い負かされていることは棚上げだ。
「さっきから聞いてりゃ、嫌嫌ばっかり言いやがって!この国はお前の国だろう!?王弟に好き放題させてていいのか!」
「………」
荒い言葉で怒鳴ったのにおののいたのか、真朱は大きく目を見開いて月白を見る。
もしかしたら泣くかと一瞬怯んだが、残念ながら彼女はそんな可愛いげのあるタマではなかった。
見る間に真朱の目が据わる。
「冗談じゃないね!」
こちらも椅子を蹴倒して立ち上がった真朱は、袴の裾を跳ね上げ片足で卓を踏みつけた。細かな刺繍の施された革靴と、たおやかな脚が月白の眼前に晒される。
「真朱さま!」
何てはしたない!と侍女が目を剥くが、彼女は更に両手で月白の襟を掴む。
そのまま引き寄せられ、月白は反射的に己の刀を目で探した。
椅子に座る時に外した刀は、卓に立て掛けてある。
白磁の忠告は、まさかこれを見越してのことではないだろうな、と思いながらその目を真朱へ戻した時――喉元に鈍く光る剣が突き出されていた。
「……何のつもりだ」
「女とのケンカに、そんな無粋なもんは駄目でしょ、大公の旦那」
風変わりな優男は、穏やかな表情で物騒な剣を握っている。
「私は手にしてもいないが?」
不覚にも乱れた動悸を宥めつつ、月白はすぐ脇に立つ藍を見た。
それまで全く気配を感じさせなかった彼が、今は確かな殺気をまとって存在している。
「目で刀の位置を測っていた」
「確認するのも駄目か」
「俺的にはイエスだ」
「……優秀な護衛だな」
襟を掴まれたまま月白が肩を竦めると、ようやく藍は剣を引いた。
そして真朱の額をぺちりと叩く。
「あう…」
「お前も。武器を持ってる相手に、素手で戦いを挑むんじゃないよ。俺が余計な気を回すはめになる」
「だって…」
「いいからその手を離して座れ。話が進まない」
不承不承、真朱が椅子に腰を戻すと、藍は何事もなかったようにその後ろへ立つ。
その際、月白に笑って見せた藍は、“腕はいいが食えない男”と言う印象を彼に植え付けた。
藍に叱られて席についた真朱は、タンタンタンと指先で卓を打つ。
「私の国?馬鹿を言っちゃいけない。うちの侍女の方が余程わきまえてるよ」
主の苛立ちが及ばぬうちに、卓の茶器を回収しようかどうか決めかねていた丁子が、突然遡上に上げられて固まる。
「うちの侍女は、王弟に牛耳られている現状を『私たちの国なのに』と憤った。その通り、この国は国民のものだよ」
「……それは理想論だ」
「理想論だと、その口が言うの?」
真朱は容赦なく、月白の指摘を叩く。
事実、朝議では正論や理想論ばかりと嘲られている彼には、堪らない言葉だ。
それでも、月白には真朱の態度があまりに無責任に思えた。
「王女としての責任はどうなる」
「そっちの都合で王宮から遠ざけておいて、今さら王女だから責任を果たせなんて、筋が通らないんじゃない?むしろ貴方こそ、宰相としての責任を放棄してきたんでしょう」
いちいち耳に痛いことを言ってくれる。
「宰相の権限で議員を解任することもできるのに、貴方は宰相になってから、誰一人として王弟側の議員を辞めさせていない」
「王弟側に対して強く出れば確実に潰される。そうなれば、議会で歯止めがなくなるんだ」
「結局そうして日和ったんだね。潰されるほどの改革はしない。でも睨まれない程度には正論を吐く。いい心がけだこと」
「真朱、言い過ぎだ」
浅葱が間に入ると、真朱は不快を隠さない顔を逸らす。
始めに交わしていた会話では、特段不仲には見えなかった。何がそこまで彼女を頑なにさせるのか。
「結局貴方たちは、他人には王弟と戦えと面倒を押し付けるんだね」
「違う!」
その恨み節は、月白は迷わず否定した。
「何が違うの?」
「浅葱は貴方を、一人で戦わせようとはしていない。私もだ」
浅葱がこの企みに月白を巻き込んだ意味。それは大公家の名前で釣れるであろう味方を、娘の勢力として取り込むためだ。
月白自身が必要ではないのは、彼女とのやり取りで十分理解した。それでも彼は真朱と言う存在に、確かな力を感じている。
関わりたくないと態度で示してはいるが、真朱の見識の高さは世間を疎んでいる者にはあり得ない。常に世の中の動きを観察し、世界情勢まで注視している証拠だ。
深窓の令嬢とはとても言えたものではないが、この気の強さなら旗印となっても折れはしないだろう。
「私も浅葱も、本気でこの国を変えたい」
卓に両手をつき、真摯に述べる。
無力と侮られようが、月白は大家の嫡男としてそれなりの教育を受けてきた。大局的なものの考えも、できない訳ではないのである。
「今さら貴方を引っ張り出すこと、本当に勝手だと思う。申し訳ないとも。だが、戦争で国民に被害が出るなら、私は次期女王に貴方を推す」
「…政治的判断と言うこと?」
意外にも、真朱が月白に視線をくれた。
「国は民のものだと貴方は言った。だとしたら、私は民のために、無理矢理にでも貴方を王弟にぶつける」
その代わり、と月白は言葉を続けた。
「貴方はどれだけ私を責めても構わない。乞うた以上、私はさいごまで、貴方に対する責任を負い続けると誓う」
「さいご?」
「私の一生の、最期まで」
月白は顔を上げる。
相当必死な顔をしていたかもしれない。同情めいた表情で、丁子が真朱を見た。
彼女は腹の上で両手の指を組み、眼を閉じて修験者のように動かない。
「それはつまり――」
やがて瞼を震わせた真朱が、ぽつりと溢す。
固唾を呑んで言葉を待つ月白に、彼女ははっきりと微笑んだ。
「貴方が一生、私の下僕になると言う宣言だね」
「断じて違う!!」
思わず叫んだ月白の隣で、浅葱が額に手を当てて肩を落とす。
「君は本当に……」
「見事なほど父親の遺伝を無視したよな」
途切れた言葉を、藍が正確に引き継いだ。