ご近所付き合いは難しい
「あのぅ」
実に気まずそうに、丁子が手を挙げた。
一同の視線を集めた彼女は、恐縮しながら言う。
「今さらなのですが、私は出ていた方が……」
一介の侍女である自分が、国家の秘話など聞いていては障りがあるだろう。これまでもえらく重大なことを聞いてしまったが、この先は更に重そうな予感がする。
答えたのは浅葱だった。
「構わないよ。真朱が許しているのであれば、問題ない」
「真朱さま…」
「貴方がいなければ、誰が客にお茶を出すの」
私はそんな面倒なことは嫌だよ。と、やや変則的な許可の言葉に、丁子は安心して部屋の隅に下がった。
真朱の後ろでは、藍が相変わらず直立不動で控えている。
彼は今までの主人たちの会話を、常に微笑みを浮かべて聞き流していた。
さて、と浅葱は仕切り直す。
彼にはここからが本題だ。
どう伝えても、真朱の機嫌を損ねることは間違いないのだから、正面から行くしかないだろう。
「この先、高齢の陛下では、形式上の王であることも難しくなる」
「そうだろうね」
興味無さそうに、真朱は皿に盛られた砂糖菓子をつまんだ。
ぽりぽりと音を立てる色とりどりの菓子は、緊張感など皆無である。
「もう何年も叔父上を抑えてはおけない」
「ふぅん」
「叔父上は近く、隣国と戦争をするつもりだ」
「………」
「それは本当ですか!?」
菓子をつまむ真朱の手が止まり、隣で月白がたじろぐ。
その驚きように、宰相である月白にはもう少し勉強をさせなければと浅葱は感じた。
単純で正論好きの若造。そう判断されていれば、とりあえず命の危険はないと思ったが、いかんせん彼は経験が少なすぎるのである。
「叔父上は次の朝議で、増税を決定するつもりだ。それはそのまま軍事費に充てられるだろう」
「城壁の修繕ではないのですか?」
「月白、一口で城壁と言っても場所は様々だ。どの部分をどの規模で修繕するのか、知っているかい?」
月白は朝議で配られた書類を思い返すが、修繕の範囲について、具体的なことは記されていなかったように思う。
「宰相閣下、貴方は自分の目で城壁を見て回ったことがあって?」
「それは……」
一度もない、とは情けなくて口に出せなかった。
王宮の執務室で雑事に追われる日々に、国境まで出かけて行く時間などない。と言うのは言い訳にしかならないのだろう。
「お話にならないね。そんなだから王弟に舐められるんだよ」
鼻で笑い、真朱は浅葱に顔を向けた。
「今うちが戦争するとしたら、東のヒースだね。王弟は海洋貿易でもしたくなったの?」
「そのようだね」
倭は世界で最も大きな大陸の中心に位置し、東西南北にそれぞれ四つの国と接している。
西は歴史と宗教の国であり、中立を謳って大陸のどの国とも一定の交流を持つ、聖ノルスシュヴァイツ皇国。観光地としても有名で、単にノルスと略されることが多い。
北は膨大な地下資源を誇るレノン連邦で、過去その資源を狙った侵略に晒された経験から、屈強な軍隊を作り上げて軍事大国となっている。
南は吐晏(とあん)王国。東西に細長い国土の半分近くが砂で覆われ、どの国からもあまり干渉を受けずに、独自の文化を守る謎の多い国だ。
そして王弟が戦争を仕掛けようとしているのが、東のヒースガルド共和国連合。港を有し海運業に強い国と平野を利用し農業に強い国とが、いくつか集まって連合し、安定した発展を遂げている。
倭は周囲の国から資源を輸入し、加工したものを輸出する方法で成長して来た技術国なので、今から他国を侵略したところで、大した成果は見込めない。
「王弟としては、ヒースを属国としたいのだろう。レノンから輸入する燃料は値切りがきかないからね」
「だからヒースを脅して、そっちの輸入額を抑えようって?」
馬鹿馬鹿しい、と真朱が頭を振る。
「今はまだ、叔母上の勅命がなければ軍を動かせないから、叔父上も準備段階までしか進めない。けれど万一、叔母上が倒れれば」
「開戦一直線?」
「それを許す訳にはいかない。だが、私には叔父上を止められる力はないんだ」
無言で肯定した浅葱は、束の間沈黙してから真朱に頭を下げた。
「恥を忍んで頼む。真朱、君に次期女王として、王宮に戻ってほしい」