敵情視察
昼の会食を終えると、王弟は仕事の残る執務室へ向かった。
王弟に会食を申し込んでくる貴族は数多く、一つに応じればまた別の貴族から声がかかる。
相手が変われば、会話が変わるかと言うとそうでもない。皆一様に王弟の政策を称え、賛同し、終いには自分の地位の向上を遠回しに訴えるのだ。
王弟が議会で権力を握るため、手っ取り早く足掛かりとしたのがそういった矮小な者たちだ。自らの利益と保身のために、権力のある者に追従する彼らは、いかにも扱いやすい。
餌をチラつかせればすぐに寄ってきて、上手く手綱を握れば思う通りに働いてくれるのだ。
ただし、そういう者らこそ、自分に利益がないと思えば簡単に寝返ることも、王弟は心得ている。
だからこそ、無駄な時間と分かっていながら貴族たちとの会食に応じるのだ。
甘い蜜を吸おうと群がってくる貴族たちには、今しばらく餌が必要になる。
回廊を渡る王弟に気付いた従僕が、恭しく執務室の扉を開けた。
室内は広く、昼間でも格子窓から差し込む光だけではすべてを照らすことができない。窓とは反対の壁際は、いつも影ができていた。
その影に、ひっそりと膝をつく者がいる。
王弟は肘置きのついた椅子に腰かけ、その者に発言の許可を与えた。
「宰相と駿河侯爵が、共に王都の外れの離宮へ入りました」
「浅葱か……若造を取り込んで何を企んでいるのやら」
「他の者が集まる様子はありません」
影から現れたのは、王弟が動かしている密偵だ。
あちこちに放っている中でも、柏木(かしわぎ)というこの男には浅葱を観察させている。
何の未練もなく王族の籍を捨てた甥を、王弟は観察し続けてきた。
王弟の取り巻きたちは、臣下となり朝議での力を持たない浅葱を、とるに足らぬと嘲るが、彼はその動向から目を離したことはない。
今、王弟が姉から王の地位を奪えば、足枷のなくなった浅葱は迷いなく王弟に刃を向けるだろう。
いくら籍を捨てていようが、浅葱が直系の血を引いているのは事実。より先王に近い血筋だとして、軍部を味方につける公算も高いだけに、王弟にとっては面倒な相手だ。
逆に言えば、女王をこちらが抑えている限り浅葱は動けない訳だが。
何せ実の叔母である上に、愛した女の母親だ。
「無下にはできまいよ」
うっそりと笑った王弟は、しかしすぐに口元を引き締める。
浅葱が年若い宰相と懇意なのはもちろん承知していた。
あえて放置しているのだが、その浅葱が月白を自宅に招くことは初めてである。
「ようやく老いぼれが死んだと思えば、次は孫。よくよく兄上の血筋は大公家がお気に入りと見える」
王弟は苦々しく吐き出して、机を指で叩いた。
密偵らしく気配を消して、柏木は心内だけで同意する。
先王が病に倒れた後。次の王に誰を据えるかで貴族社会は大きく揺れた。
選択肢は三つ。すぐ下の妹君か、末の弟君。そして臣籍にある元王子。
実質的には、気弱な王女を除いて王弟と浅葱の一騎討ちかと思われたが、そこで声を上げたのが前宰相だった。
先王が王太子の頃から、全幅の信頼を寄せられていた前宰相は、貴族たちを前に理を説いた。
『駿河侯爵は既に我らと同じく王の臣下であり、継承権も自ら放棄している。よって、王族としての復権は認められない』
では、と色めき立つ周囲に、老境をとうに過ぎた老宰相は、
『また、兄弟の間において、王位は年齢の序列にのみよって継承されるべきものである』
として、王弟の姉である王女を次期女王として推したのだ。
筋の通った言葉に、反論できる者はいなかった。
じゃじゃ馬な娘とは正反対に、大人しくて気の弱い姉が前宰相の申し出を受諾したのも、王弟にとっては予想外のことである。
姉の後ろ楯に納まった前宰相はその後、朝議の場でことごとく王弟と対立した。
「宰相は、熱心な民主主義者でしたね」
「あぁ。自ら貴族の頂点にいながら片腹痛い」
王弟と前宰相が対立したのは、主にその思想の違いが理由だ。
伝統に則った専制君主制を支持する王弟と違い、前宰相は国民を主体とした、民主主義への移行を主張したのだ。
民主主義が実現すれば、議会は国民のものとなり貴族は特権を失う。
そのため、半数近くの貴族から反発を受けて実現はしていないが、前宰相が世を去った今も一部貴族の間では賛成の声も根強くあった。
現在、王弟に反発するのはほぼ前宰相が唱えた民主主義に傾倒する派閥である。
「あの二人が組んで、派閥を率いるつもりでしょうか?」
「今のままのあやつらに、求心力はない」
従僕の問いを一蹴し、王弟は白くなりつつある顎ひげを撫でる。
「貴族や軍部を納得させられる大義がなければ、状況は動かぬ」
「仮に、大義を掲げた場合は…?」
「……私は、望むものは自らの手で得ることに決めたのだ。二年前にな」
邪魔はさせぬ、と目に力を湛え王弟は柏木に退出を命じた。