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夢見亭のお嬢さん  作者: かじひろ
第1章
10/31

第一印象は大切です

午後一番で、月白と浅葱は夢見亭へ赴いた。


門で出迎えたのは、やはり青磁と瓜二つの顔を持つ家令で、彼は浅葱を見ると恭しく頭を下げる。

「お帰りなさいませ、旦那さま」

「久しぶりだね。変わりはないか?」

「はい。おかげさまをもちまして」

相好を崩した老人は、次に月白へ向き直る。

「昨夜は大変失礼をいたしました。本日は心ばかりで恐縮ですが、おもてなしをと言い付かっております」

「いや、私こそ先触れもなしに失礼した。心遣い、感謝する」

自分に非があることを理解すれば、相手が誰であれ謝罪するのに抵抗は無い。貴族としては貴重な性質を持ち得るのは月白の美点であった。


「上がろうか」

「お嬢さまは客間でお待ちですので、ご案内いたします」

「白磁どの、刀は佩いていても構わないか」

王宮では武官でも許可が無い限り武器の持ち込みは禁止されているが、今は外を歩いて来たため、月白は太刀を一振り提げている。


他人の屋敷に上がる場合は、その主の意向に沿うことが礼儀とされていた。

「えぇ、構いません。むしろ、お持ちいただいた方がよろしいかと」

「?」

怪訝な顔で浅葱を見ると、彼は曖昧な笑みを浮かべて先を促した。


猛獣でも待っているのかといぶかしみながら、月白は先導する白磁と浅葱に続く。


夢見亭と呼ばれる屋敷は、倭王朝の伝統を踏襲した造りになっていた。門から家屋までは石畳の床に屋根のついた回廊が続き、平屋の棟が左右対称に並ぶ。回廊の周りには紅葉やツツジが植えられ、庭から引かれた小川も流れていた。そして突き当たりを折れたところで、月白は思わず足を止めた。


「……あれは、桜ですか?」


前庭のほぼ中央に、どっしりとした老樹が根を張っているのに目を奪われる。葉も落ちかけているとはいえ、その風格に圧倒された。

「そう。見事だろう?」

「あれほどの木は、他ではなかなか見られません」

「桜の別名は夢見草という。この屋敷の名前の由来でね」

回廊の手すりに寄って、浅葱は目を細めた。


「ここがまだ離宮だった頃、幼少の兄上はよくここで静養されていて、あの桜をご覧になっていたそうだ。私が臣籍に下る時、素晴らしいものがあるからと私に下さった」

「この離宮は、払い下げられたと聞きましたが?」

「私の立場を考えて下さったんだよ。臣下になる身で、過分に目をかけられたとやっかみを買わないために」

「……屋敷の所有が浅葱だったから、『旦那さま』なのですね」

「今は、管理だけしかしていないのだけれど」

月白が知るのは王宮近くにある屋敷だけで、他に浅葱が家を持っているとは初耳だった。

出仕するには距離がありすぎて不便な屋敷を、それでも手放さないのは兄から譲られたものだったからだろうか。


感傷的になっていると、控えめに白磁が声をかけてきた。

「旦那さま、そろそろ」

「あぁ。あまり待たせてはこちらの身が危ないね」



だからどんな猛獣だ。









「お嬢さま、白磁でございます。旦那さまがお出でになりました」

「どうぞ」


客間の戸口で声をかけると、すぐに応えがある。

想像していたより若い声に驚きながら、月白は浅葱の後について部屋に入った。

明るい室内は隅々まで人の手がよく行き届いており清潔で、調度は派手ではないが使い込んだ落ち着きを持ち、飾り立てたものよりよほど上品に思えた。


待っていたのは三人。一人は壁際で茶のしたくをする地味な少女。一人は上座の後ろに控える、珍しい服装の優男。そして最後の一人、上座に納まるのはこれもまた若い女だった。


艶やかな黒髪を上半分だけ結い上げてべっこうの簪を挿し、朱と白で揃えた衣裳をまとって座す姿は、良家の子女として十分な落ち着きを醸している。しかし、その顔にはまだあどけなさが残り、二十歳は超えていないように見えた。


「この子供がここの主人ですか?」

「礼儀も弁えぬ青二才に、子供扱いはされたくないね」

浅葱を振り返った月白は、淡い唇から放たれた言葉にぎょっとする。

過去にこんな奔放な口を利く女と出会った経験がなく、しばし呆然と彼女を眺めた。


「随分とごゆっくりの到着だね。いつからここの回廊は王宮のような迷路になったのかな」

「すまなかったね、庭の桜につい見入ってしまって」

浅葱は慣れた様子で椅子を引き、腰を下ろすと壁際の少女に顔を向ける。

「彼女は初めて見る顔だけれど」

「ちょっと前に屋敷の前で拾ったの。行き倒れていたから。私の侍女にした」

「それは気の毒に」

「運がいい方だよ。この屋敷の前で行き倒れて」

「そうではなく、君の侍女になったことだ」

「それは私に対する挑戦?」

「正直な感想を述べたまでだよ」


軽い調子で進む会話に、優男が吹き出した。口元を押さえて顔を逸らすが、堪えきれない笑いが漏れている。

その声で我に返った月白は、決まり悪そうに用意された椅子に腰を下ろした。


「では、紹介しようか。真朱、彼は王宮で宰相の位に就いている、大公の伊勢(いせ)月白閣下だ」

「知っている。先触れもなしに、夜遅く目立つ馬車で乗り付けた挙句、面会を断られてすごすご退散したヘタレ宰相」

「へ、へたれ?」


今度こそ、月白は卒倒しかける。

仮にも王の右腕として政治を仕切る宰相に向かって、言うに事欠いてヘタレとは。だが言われたことは事実なだけに、名誉回復の術もない。

そして政治を仕切るのは自分でなく、王弟だと言う現実に、月白は椅子の上でそっと落ち込んだ。


そんな彼をよそに、女主人はそちらの紹介を始める。


「そこの侍女は丁子」

浅葱と月白に茶杯を出した少女が、ぺこりと頭を下げる。くりくりとした目はしっかり客人を捉えており、利発そうだ。


「こっちは侍従の神鳥藍」

涼しげな目元が印象的な優男は、外国の装いだった。襟のついた白い衣に黒の上着を着て、腰の帯に小太刀ほどの剣を吊っていた。その服装は、剣さえなければ西国の宗教者に見える。そして儀礼用ではない剣が、彼が護衛の役目も負っていることを示していた。


「それから私は、倭(やまと)真朱」

『やまと……?』

疑問の声は、月白と丁子の両方から上がった。


国内で、家名を名乗れるのは貴族に限られている。貴族社会では、よほど親しい間柄でなければ名前を呼ぶのは不敬とされ、公の場では家名に敬称をつけて呼び合うのが慣わしだ。そして上流階級の中でも、国名を家名として使用できるのは更に限られた一族、王族だけであった。


浅葱が一つ瞬きをして、静かに告げる。


「彼女――真朱は、私の娘だ」


侍女の手から、真朱の茶杯が滑り落ちた。





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