魔王なのに最強勇者から逃げられない
勇者と魔王。
それは絶対的な正義と悪の象徴。相対する以外では決して交わることのない運命に選ばれし二人。
―――のはずだった。
「お前のようなツノなしが魔王だと? 私は認めんぞ! お前には死んでもらおう」
次代の魔王と勇者が選ばれる仕組みは単純だ。先代が死ねば次が選ばれる。
だから仲間であるはずの強ーい魔物にポイっと捨てられたのである。
それも勇者のいる村に。
魔王は現実逃避した。
ああ、空って青いな。魔界は赤黒い不気味な色なのに人間界はこんなにも綺麗な空が広がってるんだな。
「こんなところに子供? 親はどうした?」
ぼんやりしていた魔王は親切な村人に発見された。
「ひ、え、あ……。び、びえぇぇぇええ‼︎ じ、じにだぐないよぉぉ‼︎」
魔王は脇目も振らずに泣いた。オロオロと困惑する親切な村人に抱きつき、えぐえぐとひたすら泣き続けた。
勇者のいる村なんてすぐに殺されてしまう。魔族というだけで何もしなくても殺されてしまう。そう考えると吐きそうだった。
そして泣いている間に現実を受け入れ、人間のふりをして生きていくことにした。
勇者に殺されないために。
幸い、魔王には魔物の象徴たるツノがなく、見た目は人間に近かった。
「あ、ありあと。おじちゃん。も、だいじょーぶ」
「そうか。何か訳ありなんだな。良ければウチの村に来るといい。今は国から報奨金が出て少し余裕があるんだ」
「ほーしょーきん?」
「ああ。勇者が誕生したからな」
「うえっぐ、おえっ」
こみ上げるものを飲み込む。
——私は人間。
——私は人間。
「そ、それは……嬉しいね」
少し間があいた。
「え、今——」
「なってないよ」
かぶせるように言った。
「嬉しくて、ちょっと……」
トミーは一度だけ頷いた。
それ以上は何も聞かなかった。
「ルル、ここが勇者の誕生した村だ。アジール村って呼ばれてるんだ」
道中、魔王と村人は自己紹介し、村人はトミーと名乗った。魔王は名前がなかったためトミーにルルとつけてもらった。
余談だが、魔界では「おい」「ちび」「まぬけ」「ガキ」と呼ばれていたと伝えるとトミーは泣いていた。
「おーい。帰ったぞー」
トミーに気がついたたくさんの村人が寄ってくる。皆ルルのことが気になっているのだ。
「見つけたから拾ってきた」
「ルル、です。きょーからこの村でお世話になります!」
ざわざわとした村人だったが、生活に余裕があるためか反対するものはいなかった。トミーの奥さんも「可愛い女の子が欲しかったのよね」と乗り気だ。
「なんだよ母ちゃん。俺たちじゃ不満だってのか?」
「そーだそーだ。息子から勇者が出たんだ! 誇っていいじゃないか」
「僕なんて女の子みたいに可愛いって言われるしい? 本物の女の子にだって負けないですけど?」
「それとこれは別に決まってるでしょうが! あとアンタは顔を近づけるんじゃない! あの子が見えないでしょう!」
どうやら勇者はトミーの息子から出たようだった。
魔王は心の中で泣いた。トミーから村人は300人ほどいると聞いていたため、勇者と関わらずに過ごせるかも。と期待していたのだ。それなのに一緒に住むことになるなんて。
力のない底辺魔族だったのに魔王に選ばれたかと思えば、魔王になったその日に捨てられ、終いには勇者と同居である。
魔王は吐くのを我慢した。
「ルル。これからよろしくね」
「よろしくお願いします。勇者様」
「名前で呼びなよ」
軽い調子だった。
「誰も勇者様なんて言わないよ。ユリウスでいい」
「ユリウス……様」
「んー。様はいらないね」
「うぇっぐ……」
喉の奥で吐き気を押さえた。お陰で涙も出てきている。
「……ユ、ユリウス」
ユリウスが止まる。目を見開いて時が止まったように動かない。
「……」
「……ユリウス?」
「あ、いや」
ユリウスは少しだけ視線を逸らし、またルルを見る。
「……いいね、それ」
「え?」
「なんでもない」
そう言うとすぐに笑う。
「これからずうっと一緒にいようね。――俺が守るから」
それから数年。
少年は青年となり、少女もまた可愛らしい女性へと成長した。
数年前のユリウスの言葉の通りにルルは守られていた。その距離は変わらなかった。
そしてある日の事。
「これより勅命を奉じる! 心して聞け! 先日より人族と魔族の戦争――通称人魔大戦が始まった! 勇者ユリウスは仲間と共に魔王を討伐し、人類を勝利へと導け! 武器は代々皇族に伝わる勇者の剣の使用を許可する。以上だ」
突然やってきた勅使。
戦争が始まることで不安の色が広がる。
「謹んで承ります」
ユリウスは最敬礼し、勅使から勇者の剣を受け取った。
「みんな! 俺は今から勇者としての役割を果たしてくる! 絶対に帰ってくるから待っててくれ」
ユリウスと仲の良かった村人たちは涙を流していた。もしかしたらこれが最後になるのではないか。誰も口に出さないが、誰もが最悪の事態を考えていた。
そんな村人とは裏腹に、ルルは笑っていた。
ほんの少しだけ、口角が上がる。ルルはすぐに元に戻した。
「そして、この村から1人仲間を連れていきたい!」
ルルは恍惚とした表情のユリウスと目が合った。
嫌な予感がした。
「ルル。君の力を貸してくれ」
一瞬、息が止まる。
――嫌だ。
首を横に振るはずだった。
「……喜んで」
声が先に出ていた。
ルルは自分の口に触れた。
言った覚えは、なかった。
ルルはユリウスの隣に立たされ、村の皆から祝福を受けた。
手が少し冷たかった。
「ルル。安心して。ルルだけは俺が絶対に守り切って見せるから」
「……うん。ありがとう」
違う言葉を探した。見つかる前に、口が閉じた。
ルルは静かだった。
震えてはいない。泣いてもいない。
ユリウスは少しだけ眉を寄せた。
――あの顔じゃない。
視線を落とす。
もう少しで届きそうなのに。まだ足りないのか。
ユリウスの指先に力が入った。
ルルとユリウスが魔王討伐の旅を始めて数ヶ月が経つ頃。ようやく魔界の入り口へと辿り着いた。
道中、何度も魔物と遭遇した。
だが、傷はひとつもない。
斬ったのは、すべてユリウスだった。
「ねえ、ユリウス。今回は魔界の入り口が海底にあるみたいだけど、どうやって行くの?」
「そんなの決まってるだろ。こうするんだよっ!」
勇者の剣を大きく振りかぶったユリウスは海に向かって振り下ろす。
すると海は大きく割れ、沖の方に豪勢な門が見えた。丁度よく門から魔物が出てきたのが見える。すると、その直後に魔物が消えたのだ。
「なるほど。転移の魔法が仕掛けられてるのか」
ルルには何も見えなかった。
ドサっと落ちる音がして振り返ると、頭と胴が綺麗に切られた魔物がいたことで、ユリウスが魔物を斬ったことを理解できた。
「よし。行くよ。ルル!」
「ひぇっ」
脇に抱えられたまま、景色が一気に引き延ばされる。
次の瞬間、足が地面に触れていた。
今までと匂いが違う。空気が重い。
見上げる前に、何かが横切った。
——斬られていた。
黒い塊が、音もなく崩れる。
また一つ。また一つ。
ルルは何も言わなかった。
自分の番が来たとき、どうなるのかだけを考えていた。
すぐ近くで、息が落ちる。
「ルル。今から魔王を倒しに行くよ。奇妙なことに、魔物が距離を縮めてこないんだ」
ルルはまた脇に抱えられた。
そこからは早かった。二人は魔物に追いつかれることなく、高所の城へ辿り着いていた。
「あの、ユリウス。どうしてここに魔王がいると?」
「ん? んー。魔王ってプライド高そうだし、下々を見下ろせる場所にいるんしないかなって思って」
「え。じゃあただの勘でここに来たの?」
「うん。もしいなかったら探し回ればいいしね。最悪魔界の生命体全部滅ぼすのもアリかなとは思ってる」
「そ、そうなんだ……」
ルルは視線を逸らした。
目の前の男なら、本当にやる。
城の奥を見た。
——いて。ここに、いて。
指先に力が入る。
早く終わってほしかった。
「あ、なんかあっちにいそう」
「あ、ちょっ」
体が浮く。抵抗する前に、風が抜けた。
次の瞬間、足が止まる。
豪奢な扉の前だった。
両脇にはいつの間にか護衛の魔族が倒れていた。
「じゃあルルはここで待っててね。5分で終わらせてくるから」
「……うん。気をつけて」
扉が閉まる。すぐに音がした。
重い衝撃。何かが砕ける音が途切れない。
ルルは扉を見たまま動かなかった。
——五分。
指を折る。
ひとつ。また、音が響いた。
ふたつ。爆ぜる。
みっつ。扉は、傷一つつかない。
四つ目を折る前に、音が止んだ。
「5分で魔王を倒すユリウスがすごいのか、それとも——」
「俺がすごいに決まってんじゃん」
「うひょえっ」
扉が開き、ユリウスが立っていた。
服も、息も、乱れていない。
片手で何かを掴んでいる。
引きずられるようにして、魔族が現れた。
その姿には見覚えがあった。
ルルは視線を落とした。
「どうするの? それ」
「捨てるさ」
軽い声だった。
「魔王じゃないし」
「え?」
「弱すぎる。『こんなの』が魔王なわけないじゃん。だって、俺をこんなにゾクゾクさせてくれないもん」
そう言って、ユリウスはルルの首筋に冷たい指を這わせた。
「ねえルル。本物の魔王は、もっと俺の心をぐちゃぐちゃにするはずなんだ。……ね?」
ユリウスは手を離した。
重い音がした。ルルは何も言わなかった。
——これでも、だめなんだ。
ユリウスは魔物から興味を失ったように視線を外した。
ルルはそのまま動けなかった。
「じゃあ帰ろうか」
「え? 魔王はいいの?」
言ったあとで、口を押さえた。
「別にいいかな」
ユリウスはあっさりと言う。
「元締めはこいつだろ? なら、もう終わりだよ」
少しだけ考えて、
「ああ、首はいるか。おりゃ」
軽い音がした。何かが転がる。
ルルは目を逸らした。少ししてから、もう一度見る。
――動かない。
「じゃ、帰ろうか」
――これで終わりなのか。
また抱えられ、景色が戻る。森の匂いに変わる。
ルルは門を見た。
「ねえ、ユリウス」
少し間を置く。
「これ、こちら側からしか閉じられないんじゃない?」
「……本当だね」
もう一度、門を見る。
「……私が残る」
「うん。わかった」
ルルは瞬きをした。
「え、いいの?」
「うん」
ユリウスはそれ以上何も言わない。
「じゃ、俺は戻るよ」
少しだけ振り返り、微笑む。
「そこにいてね」
「……」
ルルは曖昧に笑って扉を閉めた。
ルルはそのまま上を向いた。赤い空だった。
見上げたまま、しばらく動かなかった。
それから歩き出す。
魔物は近寄ってこなかった。理由は分からないまま、それが当たり前になっていった。
街は、前と同じだった。家も残っていた。
扉を開ける。埃が舞う。何も変わっていない。
掃除をした。日が落ちた。椅子に座る。静かだった。何もない。
それでも、しばらく動かなかった。
——何かを待っているみたいに。
ずっとずっと同じ日常を繰り返した。
ルルは久しぶりに外へ出た。食料が切れていたのだ。
通りには魔族が多い。目を合わせないまま、必要なものだけ買い、すぐに戻る。
鍵を閉める。カーテンを閉める。部屋が暗くなった。
そこでやっと息をついた。
そのまま、しばらく動かなかった。
また数日が経つ。
扉の前に立ち、手をかける。開けて外を見て。開けたはいいものの、外へは出なかった。そのまま閉めて鍵をかけた。
誰もいないのに、誰かを探している気がした。
次の日。
鍵が開いていた。
少し見て、閉める。カーテンも閉める。そのまま布団を被った。
空腹なんてどうでも良かった。
また数日。
扉の前に立ち、手をかけたまま動かない。
そのまま戻って布団に入り、目を閉じた。
しばらくして起き上がる。
もう一度、扉を見た。
その日の夜。
ノックの音がした気がした。
そして朝。鍵は開いていた。
手を伸ばす。
触れる前に扉が開いた。
「やあ、ルル」
ユリウスだった。そのまま中に入り、勝手にお茶を注ぐ。
「ダメだよ。ご飯はちゃんと食べないと」
「……うん」
「じゃあ行こうか」
体が浮いた。
「ちょ、まっ……!」
腕に力を入れる。
入らない。一度だけ試して、やめた。
「大人しくていいね」
「離してよ」
「だめ」
家が。街が。森が遠ざかる。
魔界が遠ざかる。
視線だけが、後ろに残る。
「……下ろして」
「やだ。ね、魔界、好き?」
「……別に」
「そっか」
腕の力が、少しだけ強くなった。
「逃げないの?」
ルルは答えなかった。
「……まあ、いっか」
少し間があく。
「ルルは逃げないもんね」
——いい子。
ルルは目を閉じて脱力した。風が当たるのを感じる。
もう、空が何色かなんてどうでもよかった。
「ずっと俺が守るから」
どこかで聞いた言葉だった。




