+11〚コーヒーに潜む影〛
午後の柔らかな光が差し込むカフェの片隅。
光が、蓮の青い宝石を照らす一方で、戈山の「底の見えない瞳」には光が届いていない。
九条蓮は、スマートフォンに届いたメッセージを読んでいた。
周囲の客の笑い声が、蓮にとってはただの『空気の揺らぎ』でしかない。
耳元で青く光る補聴器は、店内に流れるジャズの旋律も、カップが触れ合う微かな音も拾わない。彼に伝わるのは、テーブルを介して伝わる戈山湊の「気配」だけだ。
対面に座る戈山は、いつものように涼しげな笑顔を浮かべていた。
けれど、その指先がアイスコーヒーのグラスに付いた水滴を執拗に拭っているのを、蓮は知らない。
RIRIERUに来た酔っぱらいの喧嘩を止めてほしいと言う依頼を無事終わらせ、蓮と戈山は二人で近くにある出来たばかりのカフェへとやって来た。
戈山が自分のスマホを蓮に差し出す。
【九条くん、午後からは一さんとデートでしょ?】
「デート」という文字に、蓮の顔が赤く染まり、スマホを落としそうになり慌てる。
彼は落ち着くと、自分の端末を叩き、無機質な文字で返した。
【デートじゃない、通院だ。それに俺達男同士だぞ。
別に一さんとはただの幼馴染だし。】
【でも九条くん、一さんの事好きでしょ?幼馴染としてじゃなく】
【幼馴染以外の好きって何だ?憧れの話か?】
【違うよ。恋愛の話だよ】
スマホ越しの会話の応酬が続くが、恋愛と言う文字が出てきた所で蓮は、端末の画面を凝視するあまり、戈山から差し出されたスマホではなく戈山の手にピトリと触れてしまった。
戈山の手がピクリと震えた事に蓮は気づいていない。
恋愛。
その二文字を蓮はもちろん見たことがある。
だが、視覚から入ってくる情報として知っているだけ。
【恋愛って何だ?女と男がする奴か?】
【最近は別に男女だけって決まってないよ】
【それが普通何だろ?結婚して、子供を産む。それが出来るのは男女だけじゃねぇか】
【別に結婚して子供を産むことだけが恋愛じゃないよ。恋愛じゃなくても、恋愛であっても、人を愛して、自分が愛されて。
そうする事で見えていく世界だってあるんだから。まぁ、一さんもその辺り疎いからどっちもどっちだけどね】
そうする事で見えてくる世界。
蓮にはそんな世界存在しない。
蓮が首を傾げると、戈山は前髪の下にある目を細めた。
心底壊れ物を見るような目で、蓮を見据える。
しかしその瞳は決して蓮を放さない。
カラン、カラン。
客がカフェに入ってくる時の鈴の音が響いた。
戈山はもう一度スマホに文字を入力し始める。
【九条くん。君は長生きできないかもしれない。相手を自分の事に巻き込みたくないかも知れない。
自分達だけが幸せになっていいわけがない。そう思ってるんだよね?
でも大丈夫。僕らがこの地に舞い降りた時点でその権利はあるんだ。
そして、最終的に決めるのは大人や周りの意見じゃなく、自分自身なんだよ。癒宮さんも言ってたでしょ?
みんながみんな、普通に押し潰されて、普通を強要される社会。
大人には周りの人に感謝しろって言われて。障害と生きていくことを普通や当たり前として言われて。でも、ここは違う。
一人一人を個として見て、受け入れて、尊重する。
病気や障害と言う不条理を背負わされた事を飲み込むんじゃなくて、全部吐き出して何とか生きていくんだって】
そう、入力した文字を蓮に見せて、戈山はコーヒーを飲み干した。
蓮も戈山と同じ様にコーヒーカップを手に取り、喉が痛くなる程ミルクと砂糖が入ったコーヒーを一口飲み、戈山から受け取ったスマホに文字を入力した。
【そう言えば、戈山は何の病気を患ってるんだ?】
〈……っ〉
蓮がスマホをサッと戈山に向けると、彼が一瞬だけ表情を崩した。
目を見開いて、奥歯を噛みしめる。
蓮にとっては悪い意味はない。
純粋な、ただ、一年も一緒にいるのに知らなかったな、位の何気ない問いかけだった。
しかし、戈山にはその言葉が憐れみに見えてしまったのだ。
蓮が純粋だからこそ、戈山は表情を一瞬も崩せない。
今度は眉を下げて、バツが悪そうに蓮を見た。
【そうだね、いつか話すよ。でも僕は九条くんみたいに聞き分けのいい子供じゃなかったからな。
空っぽで、変な子何だって。】
〈……?〉
〈……もうとっくに、割れちゃった……〉
〈たm―――〉
蓮に聞こえない様に小さくボソリと戈山は呟いて、蓮の言葉を遮る。
机に立ててあるメニュー表を手に取って開いてまたあの笑顔を貼り付けた。
【さ、お勉強はこれでおしまい!お腹すいたでしょ、何頼む?】
〈……たーま(戈山)。いーかたなーてよ、てんう(いつか話したくなったら話せよ、全部のこと)〉
〈……うん〉




