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月夜の宝石は泥中ごときには染まらない―冷遇された公爵令嬢が、隣国の至宝として輝くまで―  作者: jnkjnk


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第4話:月下の断罪と永遠の輝き

大理石の階段を降りる一歩一歩が、かつてないほど軽やかだった。

エリーゼの靴音が響くたびに、ドレスの裾がさざ波のように揺れ、織り込まれたダイヤモンドダストが星屑のような輝きを撒き散らす。隣を歩くレオンハルトの腕は頼もしく、その温もりがエリーゼの緊張をゆっくりと解きほぐしていった。


会場を埋め尽くす貴族たちの視線が、痛いほどに突き刺さる。だが、それはかつて故郷で感じたような蔑みや嘲笑ではない。純粋な称賛と、そして畏敬の念を含んだ熱い眼差しだ。


「美しい……まるで月の女神のようだ」

「あれが、レオンハルト殿下が見初めたという才女か」

「噂では、傾きかけた国家予算を半年で立て直したとか。美貌だけでなく、知性も兼ね備えているとは」


あちこちから漏れ聞こえる賛辞の声。それらが心地よい音楽のように耳を撫でる。

エリーゼは背筋を伸ばし、堂々と顔を上げて歩いた。これが、今の私の居場所。もう誰にも、泥を塗らせたりはしない。


そんな華やかな空気の中に、異質な淀みが一箇所だけ存在していた。

ホールの中央付近、人々が遠巻きに避けている集団。

派手すぎるピンク色のドレスを着た義妹ソフィア、けばけばしい化粧の継母マーガレット、やつれた顔の元婚約者カイル、そして呆然と口を開けている父、ヴァルデック公爵。


彼らは、まるで幽霊でも見たかのような顔で、こちらを凝視していた。

エリーゼとレオンハルトがフロアに降り立つと、貴族たちが波が引くように道を開ける。その道の先に、公爵家の一行が取り残されたように立っていた。


「……エリーゼ? まさか、本当にエリーゼなのか?」


父の震える声が、静まり返った空間に響いた。

エリーゼは足を止め、ゆっくりと彼らを見据えた。扇を閉じるパチリという音が、小さく、しかし鋭く空気を切る。


「お久しぶりでございます、お父様。それに、皆様も」


その声は鈴を転がすように美しかったが、同時に氷のような冷たさを孕んでいた。

父は目をしばたたかせ、信じられないというように首を振った。


「な、なぜお前がここに……? 修道院へ行ったはずでは……いや、それよりも、その姿は……」


「どうして、ですって?」


エリーゼの隣で、レオンハルトが不敵な笑みを浮かべた。その黄金の瞳が、射抜くような鋭さで公爵を見下ろす。


「それは俺が答えてやろう。君たちがゴミのように捨てた彼女を、俺が拾い上げたからだ。……紹介しよう。こちらが俺の婚約者であり、次期ガルガディア帝国王妃、エリーゼだ」


「王妃……!?」


マーガレットが金切り声に近い悲鳴を上げた。

彼女は充血した目でエリーゼの全身をねめ回す。その視線は、極上のシルクドレス、首元に輝く大粒のサファイア、そして何よりも、エリーゼ自身から溢れ出る圧倒的な気品に釘付けになっていた。


「嘘よ……嘘ですわ! だって、この子はただの地味で陰気な娘でしたのよ!? なのに、どうしてこんな……!」


「お母様、私が一番かわいいはずでしょう!? なんであんな地味女が、私より目立っているのよ! ずるいわ!」


ソフィアが地団駄を踏み、ヒステリックに叫んだ。そのマナーの悪さに、周囲の貴族たちが眉をひそめ、あからさまに軽蔑の視線を向ける。だが、興奮した彼女たちにはそれが見えていないようだった。


「エリーゼ! これはどういうことだ!」


カイルが一歩前に踏み出した。彼は焦りと、そして浅ましい欲望を瞳に宿してエリーゼに詰め寄ろうとした。


「僕との婚約破棄を無効にして、王太子に乗り換えたというのか? なんて尻軽な……いや、待てよ」


カイルはそこで急に表情を変え、猫撫で声を出した。


「そうか、君は僕を試していたんだね? 僕に嫉妬してほしくて、わざとこんな大芝居を打ったんだろう? 分かったよ、僕の負けだ。君の美しさに免じて、婚約破棄は撤回してあげてもいい」


彼は自分の都合の良いように現実を捻じ曲げ、手を差し出してきた。


「さあ、こっちへおいで、エリーゼ。やはり君には僕が必要だ。王太子殿下などという分不相応な相手より、幼馴染の僕の方が君を幸せにできる。そうだろ?」


その言葉に、会場中が凍りついた。

他国の王太子の前で、その婚約者を愚弄し、あまつさえ略奪しようとする発言。それは外交問題に発展しかねない暴挙だ。


エリーゼは、差し出されたカイルの手を、まるで汚物でも見るかのような目で見下ろした。

かつては、この手に縋り付こうとしたこともあった。この人の隣で笑う未来を夢見たこともあった。だが今、目の前にいる男は、なんと小さく、哀れな存在なのだろう。


「……カイル様。貴方、鏡をご覧になったことはありますか?」


「え?」


「ご自分の今の顔を。嫉妬と欲望と、保身で歪んだその醜い顔を。……私には、貴方が何を言っているのか理解できませんわ」


エリーゼは冷淡に言い放つと、ふいっと顔を背けた。

カイルの顔が屈辱で真っ赤に染まる。


「な、なんだその態度は! 僕は君のために譲歩してやっているんだぞ! ソフィアとのことも、ほんの遊びだったと言ってやれば満足か!」


「酷い! カイル様、私を愛しているとおっしゃったじゃない!」


ソフィアがカイルの腕を掴んで揺さぶる。

その醜い痴話喧嘩を、レオンハルトが一喝して遮った。


「黙れ!!」


雷のような怒号がホールを震わせた。

カイルとソフィアはびくりと身をすくませ、口をつぐむ。

レオンハルトは、煮えたぎるような怒りを押し殺した、静かな声で告げた。


「貴様ら、どこまで俺の婚約者を侮辱すれば気が済むのだ。……寛大な俺も、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだぞ」


「で、殿下、誤解でございます!」


公爵が慌てて割って入り、額に脂汗を浮かべながら言い訳を並べ立てた。


「これは単なる家族の痴話喧嘩でして……エリーゼは少々、反抗期なところがありましてな。家出をした娘を連れ戻しに来ただけなのです。さあエリーゼ、恥ずかしい真似はやめて、お父様のところへ戻りなさい」


公爵は、まだ父親としての権威が通用すると思っているようだった。

エリーゼは深くため息をつき、憐れむような目で父を見た。


「お父様。……いいえ、ヴァルデック公爵。貴方は何も分かっていらっしゃらないのですね」


「な、なんだと?」


「私が家を出てから半年。公爵家の経営はどうなりましたか? 領地の税収は? 商会との取引は? 全て順調にいっていますか?」


公爵の顔色が変わる。図星を突かれたからだ。


「そ、それは……一時的に混乱しているだけで……」


「混乱? いいえ、崩壊でしょう」


エリーゼは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、公爵に見せつけた。それは、帝国の情報網を使って集めた、現在のヴァルデック公爵家の財務状況レポートだった。


「領地の特産品である織物の生産ラインは停止。主要な取引先である三大商会からは契約を打ち切られ、銀行からの融資もストップ。……さらに、義母様とソフィアが宝石店やドレス店に作ったツケは、もはや領地の年間予算を超えています。公爵家は、事実上の破産状態ですよ」


「なっ……!?」


公爵が絶句し、膝から崩れ落ちそうになる。

マーガレットが顔を青ざめて叫んだ。


「で、デタラメよ! そんなはずありませんわ! だって、今までは払えていたもの!」


「ええ、払えていましたわ。私が、私の宝石やドレスを売り払い、睡眠時間を削って帳尻を合わせ、裏で頭を下げて回っていたからですもの」


エリーゼは淡々と事実を告げた。恩着せがましさはなく、ただの事務報告のように。


「貴女たちが新しいドレスを着てお茶会を楽しんでいる間、私は執務室でカビの生えたパンをかじりながら計算をしていました。貴女たちが宝石を自慢している間、私は商会の会長に土下座をして支払いを待ってもらっていました。……その私の努力を『無能』と罵り、家から追い出したのは、他ならぬ貴女たち自身です」


会場中が静まり返る。貴族たちは、公爵家の内情の酷さと、それを支えていたエリーゼの献身、そして彼女に対する仕打ちの酷さに息を呑んだ。


「そ、そんな……まさか、お前が……?」


公爵は震える手でエリーゼを見上げた。ようやく理解したのだ。自分が捨てたものが、ただの娘ではなく、家の繁栄そのものであったことを。


「エリーゼ……戻ってきてくれ! 頼む! お前がいなければ、家は終わりだ! 父さんが悪かった、謝るから! な?」


公爵はなりふり構わずエリーゼのドレスの裾に縋り付こうとした。

だが、その手はレオンハルトによって払いのけられた。


「触るな、汚らわしい」


レオンハルトは冷徹に言い放つ。


「君たちは彼女を『泥棒』だの『いじめっ子』だのと罵り、寒空の下へ放り出した。その罪が、『ごめんなさい』の一言で消えるとでも思っているのか?」


「うぅ……」


「それに、勘違いをしているようだが、俺は君たちを客として招いたわけではない。……『清算』のために呼んだのだ」


「せ、清算……?」


レオンハルトが指を鳴らすと、ホールの扉が開き、武装した帝国の衛兵たちが雪崩れ込んできた。彼らは一瞬にして公爵家の一行を取り囲む。


「な、何をするの! 離して!」

「無礼者! 私は公爵夫人よ!」


「黙れ。貴様らには、我が国に対する『詐欺罪』および『国家反逆未遂』の容疑がかかっている」


レオンハルトの言葉に、カイルが目を白黒させた。


「さ、詐欺!? 僕たちがいつそんなことを!」


「とぼけるな。……先ほど、エリーゼが示したレポートにもあったが、君たちの領地から我が国へ輸出されていた『特級織物』。あれは半年前に品質が著しく低下したにも関わらず、君たちは『最高品質』と偽って納品し続けた。さらに、その代金の前払い分を持ち逃げし、今回の渡航費やドレス代に充てたな?」


「っ……!」


マーガレットと公爵が息を呑む。まさにその通りだったからだ。資金繰りに困り、帝国からの前払い金を使い込んでしまっていたのだ。


「我が国の商法において、王家御用達品に関する詐欺は重罪だ。加えて、我が国の王太子妃を公衆の面前で侮辱し、略奪しようとした行為。……これは我が国への宣戦布告と受け取っても構わないな?」


「ひっ……!」


カイルが腰を抜かして床にへたり込む。国家反逆罪。それは死刑をも意味する重罪だ。

完全に退路を断たれた彼らは、もはや言い逃れすらできず、ただガタガタと震えるしかなかった。


「連れて行け。地下牢で、じっくりと話を聞かせてもらおう」


レオンハルトが冷酷に命じる。衛兵たちが彼らを乱暴に立たせ、引きずり出そうとする。


「いやぁ! 牢屋なんて嫌! お姉様、助けて! 家族でしょう!?」


ソフィアが泣き叫びながらエリーゼに手を伸ばす。

マーガレットも髪を振り乱して懇願する。


「エリーゼ! 私が悪かったわ! 育ててあげた恩を忘れたの!? お母様を助けなさいよ!」


「お前は優しい子だったはずだ! 父を見捨てるのか!」


喚き散らすかつての家族たち。その姿はあまりにも醜悪で、かつての威光など見る影もなかった。

エリーゼは静かに彼らを見つめた。

怒りはなかった。悲しみも、もう枯れ果てていた。

あるのはただ、ひどく冷めた「無関心」だけ。


彼女は、ゆっくりと扇を開き、口元を隠した。

その仕草は洗練の極みであり、まるで絵画のように美しかった。

そして、一瞬だけ目を細め、別れの言葉を口にした。


「……育てていただいた恩? ええ、感謝しておりますわ。おかげで私は、どんな逆境にも負けない強さを手に入れることができましたから」


彼女の声は、静寂に包まれたホールによく通った。


「ですが、家族ごっこはもうおしまいです。貴方たちが私を捨てたあの日、私はヴァルデック家の娘であることをやめました。今の私は、ガルガディア帝国のエリーゼ。……貴方たちとは住む世界が違うのです」


衛兵に引きずられ、出口へと向かうマーガレットが、なおも何かを喚こうと口を開く。

それに対し、エリーゼは最後の止めを刺すように、冷ややかに、しかし優雅に微笑んで言い放った。


「諦めて、罪を償ってくださいませ。……**場の格が違いますものね、義母様。**」


その一言は、鋭利な刃物のようにマーガレットのプライドを切り裂いた。

彼女は言葉を失い、パクパクと口を開閉させた後、絶望に顔を歪ませて衛兵に引きずり出されていった。


公爵、カイル、ソフィアもまた、それぞれの悲鳴を残して会場から消え去った。

重い扉が閉ざされる音が、彼らの破滅を告げる鐘のように響き渡った。


後に残されたのは、静寂と、そして清々しいほどの解放感だった。

会場の貴族たちから、自然と拍手が沸き起こる。それは悪を断罪し、気高さを貫いた新しい王太子妃への、心からの祝福だった。


「終わったな」


レオンハルトが、エリーゼの肩を優しく抱いた。


「はい。……全て、終わりました」


エリーゼは大きく息を吐き出した。胸の奥につかえていた黒い塊が、すっかり消え去っているのを感じた。

もう過去に縛られることはない。あの人たちの言葉に傷つくこともない。

私は自由だ。


「ありがとう、レオン様。貴方がいてくれたから、私は強くなれました」


「礼を言うのは俺の方だ。君がいてくれるから、俺も、この国も輝ける」


レオンハルトはエリーゼの手を取り、その甲に口づけを落とした。

そして、悪戯っぽく微笑む。


「さて、邪魔者もいなくなったことだし、婚約披露のダンスといくか? 皆、君の舞踏を見たがっているぞ」


「ふふ、お手柔らかにお願いしますわ」


楽団がワルツの旋律を奏で始める。

レオンハルトのエスコートで、エリーゼはフロアの中央へと歩み出た。

二人が踊り始めると、その完璧な調和と美しさに、誰もが時を忘れて見惚れた。


ドレスの裾が翻り、ダイヤモンドダストが光の軌跡を描く。

月明かりが差し込む窓辺で、二人は幸せそうに微笑み合っていた。


かつて泥の中に捨てられた宝石は、今や誰よりも高い場所で、誰よりも美しく輝いている。

それは、いかなる闇にも染まらず、自らの力で光を掴み取った、本物の輝きだった。


(これでいいのよ、お母様。私は幸せになります)


心の中で亡き母に語りかけながら、エリーゼは愛する人の腕の中で、新たな未来への一歩を踏み出したのだった。

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