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婚約破棄された田舎令嬢、実は隠し王女でした



「……リーゼロッテ、お前との婚約は、今日をもって破棄するよ。俺、もっと華やかな女性が好みなんだよね」



 ――その言葉を耳にした瞬間、私は自分の心臓が締めつけられる感覚に襲われた。


 私の名はリーゼロッテ・ウィンデッツ。

 辺境伯ウィンデッツ家の長女だ。

 幼い頃より王家の第三王子・エドアルド殿下と婚約を結んでいた。


「殿下……そんな、急に言われても……」


 私は絶句しながらも、なんとか言葉を絞り出した。

 しかし、エドアルド殿下は面倒そうな顔をして、そっぽを向く。


「辺境伯……君の父上が亡くなったんだって? それじゃあ、せっかくの婚約もあまりうまみがない。悪いけど、もうおしまいにしよう」


 父が逝去し、一家の家督問題もまだ混乱している最中。

 そこを見計らったかのように、婚約破棄を申し渡される。


 父が生きていれば、私と結婚することで領地や政治的つながりが生まれただろう。

 しかし父がいない今、それを期待できないから要らない。

 ――そう言われたも同然だ。


 その後、すぐに噂好きの貴族令嬢たちに囲まれた。

 私は立っているのもやっとの状態だった。


 社交界の華と呼ばれるカトリーナ・ベルゼット嬢。

 彼女は私にとびきりの嫌味を投げかける。


「……リーゼロッテ様ったら、お可哀想に。でも、田舎娘が王子妃になるなんて、そもそも不釣り合いだったのではなくて? ねえ、そう思わなくて?」


 周囲の令嬢たちがクスクスと笑いあう。

 私は何も言い返せず、悔しさで顔が熱くなるのを感じた。

 けれど、言葉を絞り出そうにも、今の私には大きな悲しみと不安が押し寄せていた。



 ――ほどなくして、エドアルド殿下とカトリーナ嬢が婚約を結んだという知らせがあった。



「まあ、こうなるのが世の常よ。あなたみたいな田舎娘が社交界の真ん中に立てると思ってたこと自体がおかしいわ」


 カトリーナ嬢の言う『田舎娘』は私の家を見下している証だろう。

 事実、私たち辺境伯家は王都から遠く離れた国境近くの地を治めている。

 王都の華やかさとは無縁だった。


 しかし、父が築き上げてきた領地で、領民は活き活きとしている。

 隣国との貿易も盛んで、経済的にも意義がある。

 それなのに、私が王子妃になれなかったとわかると。

「田舎娘」呼ばわりで酷く嘲笑されるのは、心の底から悔しい。


 そんな私を救ってくれたのは、愛すべき弟――アルトだった。

 アルトは私よりも三つ年下だが、幼い頃からとても気遣いのできる優しい子だ。

 私がやっと一人になれた部屋に訪れて、そっと肩に手を置いてくれる。


「姉さん、無理しないで……。ごめんね、僕、何もできなくて」


「……アルト、そんなことない。あなたがいてくれるだけで、私はどれだけ救われるか」


 弟も突然の父の逝去で家督問題に巻き込まて大変だ。

 父が亡くなった以上、辺境伯家の跡継ぎとしてアルトが立つことになる。

 それに、エドアルド殿下との婚約で得られるはずの王家の後ろ盾が失われた。

 アルトの負担は想像以上だろう。


「婚約が破棄された今、王家とのつながりはなくなってしまった……。得られるはずだった支援がなければ、領地運営に支障が出るかもしれない。私こそごめんね……」


 私が肩を落として言うと、アルトは目を丸くして首を横に振った。


「何言ってるの、姉さん。……領地のことも、僕が何とかする。姉さんはそんなに気を病まないで」


「アルト……ありがとう」


 私がそう言うと、アルトは顔を赤らめ、照れ笑いを浮かべる。


「ありがとうなんて、くすぐったいよ」


 そんなアルトの姿が可愛くて、私も自然と笑みがこぼれる。

 そして何より、この瞬間だけは私たち家族の絆が確かにあるのだと実感できて。

 少しばかり心が安らいだ。


◇◇◇◇


 それから数か月後――。

 曲がり角でばったり出会ったカトリーナ嬢。

 薔薇色のドレスを翻しながら私を射抜くように睨みつけた。


「ごきげんよう、リーゼロッテ…… あなた、王に直訴してエドアルド様を辺境へ飛ばしたんですって? 一体どんな手管で王を籠絡したの?」


 甲高い声が回廊に反響する。私は足を止め、ゆっくりと瞬きを返した。


 ――何も知らない、哀れな人。


 胸の底に冷たい感情が揺らぐ。

 それは怒りというより、むしろ憐憫に近い。

 私は息を整え、静かに微笑んだ。


「誤解なさらないで、カトリーナ嬢。あれは罰ではなく『救済』です。いずれ真実を知れば、あなたも私に感謝するでしょう」


 努めて穏やかな声で告げると、彼女の頬が怒りで朱に染まった。


「な、何よその言い方!」


 私は視線を空へと転じ、遠くの鐘の音に耳を澄ませた。

 あの日、王宮へ密かに呼び戻された瞬間から、運命の糸は絡まりはじめていたのだから。


◇◇◇◇


 辺境伯家が王家との結びつきを失ってしまい。

 私が姉として、少しでもアルトの力になりたいと思っていた頃。

 

 そんな不安を抱える私のもとに、ある日、王宮から密使がやってきた。


『宰相陛下と国王陛下、そしてリーゼロッテの三人だけで密談が行う』


 いったい何の用なのだろう。

 婚約を破棄された私が、なぜ今さら王宮に呼び出されるのか……


 少しばかりの恐れと混乱を抱えつつ、私は王宮へと足を運んだ。


「ウィンデッツ家のリーゼロッテと申します。ただいま参りました」


 私は深く頭を下げて挨拶をする。

 すると、国王陛下は渋い表情のまま私を見つめる。

 そして、「楽にせよ」と小さく声をかける。


「……は、はい。それでは失礼して」


 椅子に腰を下ろしたところで、宰相陛下が部屋の扉を閉じる。

 ほかの侍従たちを追い払った。


 どうやら本当に『密談』なのだ。


 部屋の中はひどく重苦しい沈黙に包まれている。

 やがて、国王陛下が重々しい声で口を開いた。


「リーゼロッテよ…… お前を、こうして秘密裏に呼んだのには理由がある。驚かせてしまうだろうが、まずは最後まで聞いてほしい」


「はい…… ありがたくお話を聞かせていただきます」


 頭の中では嫌な予感も走る。

 先日の婚約破棄の件について、私がとがめられるのではないか……


 しかし、国王陛下の次の言葉は、私の想像を遥かに超える衝撃的なものだった。



「実はな、リーゼロッテ……お前は、わしの娘なのだ。よって、お前は王女、王家の血筋を引くものということになる」



「え……?」


 一瞬、頭が真っ白になる。自分が王女?

 そんなはずがない。

 私は確かに辺境伯ウィンデッツ家に生まれた。


 しかし、国王陛下はまるで大きな秘密を解き放つかのように、続ける。



「そして、もうひとつ……。お前がかつて婚約していた第三王子エドアルドは、実はわしの子ではない」



「そ、そんな……」


 目の前がぐらつくほどの事実を一度に知らされる。

 私は何をどう受け止めればいいのか分からなかった。

 宰相陛下も深刻な顔をしてうなずいている。


「王女だなんて……私が……?」


 私は混乱のまま、ようやくそれだけを口にする。

 だが、国王陛下は言葉を選ぶように深いため息をつく。

 そして、少しずつ事情を語り出した。


◇◇◇◇


「リーゼロッテよ、お前の母親……つまり、わしの第四王妃は、もともと低い身分の出であった。だが、わしは彼女をたいそう気に入っていた。そのせいで他の王妃たちから嫉妬や嫌がらせを受けるようになってな……。特に、彼女がお前を身籠ったと知ったときから、空気は一気に険悪になったのだ」


 国王陛下は、目を閉じて当時を思い返すように言葉を続ける。


「暗殺などの危険もあった。そこで、わしは信頼のおける辺境伯ウィンデッツ、すなわちお前の育ての父上に頼んだのだ。『生まれてくる子を遠ざけ、王族の匂いを消し、守ってやってほしい』とな」


「なるほど、そういう経緯が……」


 そう言いつつも、未だに信じられない。

 声が震えてしまうのを感じる。


 そんな私に、国王陛下はさらに畳み掛けるように言う。


「一方、エドアルド……第三王子は、わしの子であることになっておる。しかし、実はそれは虚構なのだ。今は亡き第二王妃が不義を働いた相手の子だとな」


「そ、それは……しかし、なぜそのような事実を今まで……」


「第二王妃の実家は、王家とつながりが強く、さまざまな支援を得ている。そのため、不義の子と切り捨てるのはあまりにも代償が大きすぎた。ならば、いっそ王子として育ててしまったほうが、国や貴族社会への混乱が少ないと考えたのだ」


 私は言葉を失う。

 エドアルド殿下が王家の血を引いていない――

 そんなことは想像もしていなかった。


 でも、今こうして国王陛下がはっきりと言っている以上、真実なのだろう。


 しんとした沈黙が部屋を支配したあと、国王陛下は再び口を開く。


「そして、お前とエドアルドの婚約も、これらの事情から組まれたものなのだ。もしお前たちが結婚すれば、二人の間に生まれた子は正真正銘の王家の血筋となる。表向きにはエドアルドが王子であり、その子供も王の孫……と扱いやすいからな」


 私があまりにも驚きすぎて声を出せずにいた。

 宰相陛下が苦々しげに言葉を挟む。


「陛下にとっては、エドアルド殿下を切り捨てなくても済む策だったのでしょう。一方で、リーゼロッテ様を安全に呼び戻す名分にもなる」


 国王陛下はうなずき、さらに続ける。


「……しかし、エドアルドが婚約を破棄し、平然と別の貴族令嬢と新しい婚約を結んでしまった。王家としてのもくろみは台無しだ。すべては、わしが招いた事態ではあるが……いずれにせよ、こうなってしまった今、わしが取れる道は限られている」


 国王陛下の視線が、まっすぐ私を見据えてくる。

 私にはまだこの状況が飲み込めない。


 私は実は王女であり、エドアルド殿下は王家の血を引かない子……

 まるで夢物語のようだ。

 けれど、それはまぎれもない現実らしい。


◇◇◇◇


「リーゼロッテ。わしはこの事実を公表せねばならぬと考えている。お前が王女であること、そしてエドアルドが王子ではないことも、な」


 国王陛下の言葉に、私ははっとする。

 そんなことを公表すれば、貴族社会は大混乱に陥るだろう。

 王位継承の順番も大きく揺らぎ、第二王妃の実家からの反発も必至だ。

 そのあたりを懸念し、私は何とか言葉を探す。


「しかし陛下、それではあまりにも混乱が大きいのでは…… 今まで第三王子として扱われてきた方が『王子ではない』と公になるなど、他家との関係や外交問題にも影響が……」


「その混乱は避けられぬ。だが、わしらの代で生じたほころびは、わしらの代で繕わねばならないのだ。これを先送りにすれば、さらに深い傷を国に残すことになる。……処罰は免れぬだろう。最悪の場合、エドアルドに死を求める声すら上がるかもしれん」


 私の胸は痛んだ。

 エドアルド殿下は勝手に婚約を破棄した。

 私に冷たい仕打ちをしたり、正直許せない面はたくさんある。


 とはいえ、だからといって処刑してしまうのか……

 私は考え、慎重に口を開く。


「陛下、もし私に意見を述べることをお許しいただけるのならば、一案がございます」


「ほう、言ってみよ」


「今回の件、第三王子が王子ではないと公表することは、大きな混乱を招きます。ですが、例えば――エドアルド殿下に、辺境伯領を継承していただくのはいかがでしょうか。亡くなった私の父の領地を、彼に大公として治めさせる。国境付近の領地を大公が治めるのはおかしなことでもございませんし、必然的に王宮から遠ざけられます。彼自身にとっても、これは逃げ道になるはずです」


 国王陛下と宰相陛下は顔を見合わせ、「なるほど」とうなずく。

 私は続ける。


「もちろん、公表の際に『エドアルド殿下は大公として辺境を支える』とだけ発表し、真の血筋についての部分は伏せてはいかがでしょう。あまりに大きく事実をさらしてしまうと、下手をすれば本当に殿下に死を求める声が出てしまうでしょうから」


「うむ、それは悪くない案だな…… だが、ひとつ問題がある。もともと、その辺境伯領はお前の弟アルトが継ぐはずであろう。アルトの立場はどうなる?」


 国王陛下の言葉に、私は少しだけ言いにくそうに口を開く。


「……そのことについては、実は私からもう一つ提案がございます。陛下、アルトは本当に先の辺境伯、つまり私の育ての父の実子なのでしょうか?」


「そうだ。アルトは、お前とは血がつながっていない。アルトはまぎれもなく、亡き辺境伯の正統な血筋だ」


 その答えを聞いて、私は確信に変わった。

 もう後には引けない。

 思い切って、私は自分の考えを伝える。


「でしたら……もしよろしければ、アルトを私の婚約者としてお迎えしたいのです。かつて、第三王子が担うはずだった内政の仕事を、私とアルトで引き継ぎたい。アルトには王家の後ろ盾が必要でしょうし、私にも、もはや辺境伯家の娘でいるわけにはいかない。お互いにとって最良の形になると思います」


「なんと……。自分の『弟を婚約者に』、か?」


 国王陛下は驚いた様子だ。宰相陛下も目を見開いている。しかし、私は真っ直ぐに王の目を見て、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「弟、といっても血のつながりはないのです。それに、私にとっては、アルトと家族のような形を続けることがとても大切で……。どうか、お許しを頂けませんか」


 この提案が我ながら大胆なことはわかっている。

 けれど、いまの状況を解決するには、一つの筋の通った道だと考えたのだ。


 国王陛下は「ふむ……」と腕を組み、しばらく考え込んでいたが、やがてゆるりとうなずく。


「いいだろう。その案でいく。お前は王女として、アルトを正式に婚約者とし、エドアルドには大公として辺境伯領を治めさせる…… 混乱は最小限に抑えられる、かもしれぬな」


 こうして、私の人生はまた大きく動き始めることになった。


◇◇◇◇


 それから間もなくして、王女リーゼロッテの存在が公表された。

 私の名前と存在が、各地へと急速に広まっていく。


 世間は当然ながら大騒ぎとなった。

 いきなり現れた王女は、かつて辺境伯ウィンデッツ家の娘だった、と……

 人々は戸惑い、驚き、関心を示す。


 そして、エドアルドが不義の子であることは伏せられた。

 代わりに、大公の地位を新設し、彼を辺境伯領へと送り出すことが発表される。

 国境警備を強化するため、という名目だ。

 結果として、エドアルドは王宮から離れる形になり、私の前からも姿を消した。


 そんなある日のこと、私は王宮の回廊を歩いていると、思わぬ人物に出くわした。


 ――カトリーナ・ベルゼット嬢だ。

 彼女は私を認めた瞬間、わずかに表情をこわばらせる。

 以前とは違い、私は王女として扱われる立場だ。

 もっとも、彼女が結婚するエドアルドがどういう事情を抱えているのか。

 今のところ表向きには隠されている。


 一瞬の沈黙のあと、カトリーナは、以前のような勝ち気な笑みを作り、口を開く。


「あらまあ、リーゼロッテ様……いえ、今では『殿下』とお呼びした方がよろしいのかしら。噂は聞いていますわ。あなたが今回、大公としてエドアルド様を辺境伯領に送り出すよう進言したのですって? 風の便りではそう聞いたわ。ひどい仕打ちじゃなくて?」


 カトリーナの声色には、どこか苛立ちが混じっている。

 カトリーナは私を睨みつけてくるが、私は平然を装い、静かに答えた。


「『仕打ち』とは違いますわ。あれは、私の慈悲でもあります。あのまま王宮に残れば、エドアルド様は立場を失い、危うい状況に置かれる可能性がありました。ですから、私が道を作って差し上げたのです」


「……ふん、田舎娘がずいぶんと偉そうじゃない? いえ、この仕打ちも、田舎娘と言ったことへの意趣返しかしら……?」


 何も知らない彼女は、まだ私を田舎娘呼ばわりして自尊心を保とうとする。


 しかし、内心では私を恐れているのだろう。

 私が王女であると知った以上、彼女も不用意な行動は取りにくいはず。

 私は、以前彼女に言われた言葉を思い出しつつ、穏やかに言う。


「あなたがいつの日か、真相を知ることがあれば……そのとき、きっと私に感謝すると思いますわ。今は何も言いませんけれど」


「な、何よその言い方!」


 憤慨するカトリーナをよそに、私は会釈だけして通り過ぎる。



 その後、カトリーナと顔を合わせることは一度もなかった。

 正式には、大公となったエドアルドの婚約者なのだから、私と会わないのは不自然だ。

 普通なら、王族同士の挨拶などはあるはず……


 けれど、おそらくカトリーナは私を避けているのだろう。

 今回の話の裏側を、エドアルドに聞いたのかもしれない。


◇◇◇◇


 そんな、めまぐるしく動く王宮に、ある日、アルトがやってきた。

 アルトは私が王女として公表されると、私の婚約者として紹介される。

 戸惑いを隠せないのは当然だ。


「姉さんが……本当は王女だったなんて。しかも僕と婚約者になるなんて……」


 アルトは大きく息を吐き出し、混乱した様子で私に問いかける。

 私は申し訳なく思いながら、それでも意を決して答える。


「……驚かせて、ごめんなさいね。私も、あまりに突然知らされた話だから」


「でも、なんで僕を婚約者にって……?」


 アルトは赤面しながら不思議そうに聞いてくる。

 私はその表情が愛しくて、今までのことを包み隠さずに話すことにした。


「……正直に言うわ。あなたと血がつながっていないと知ったとき、すごく寂しかったの。私たちはずっと兄妹だと思っていたけど、そうではない。家族じゃなくなるような気がして、怖かった」


「姉さん……」


「でも、私にとってアルトは家族として大切な人なの。それは変わらない。だから、どうにかしてあなたと家族になりたくて、王に提案をしたの。……私のわがままよね」


 アルトは少し言葉に詰まるが、すぐに真っ直ぐ私の目を見てきた。

 ぽつりと、しかし力強く言う。


「家族としてか、婚約者としてか……正直、僕にはまだ区別がついてない。でも、姉さん――いや、リーゼロッテのことが好きなのは間違いないんだ。だから、僕は……その、戸惑ってるけど、嫌じゃないよ」


「……ありがとう、アルト」


 私は自然と笑みがこぼれた。

 アルトは頬を染め、あたふたとしている。

 その姿は昔から何ら変わらない弟のままだけれど。

 これからは私の婚約者として共に歩むことになるのだ。


◇◇◇◇


 王宮で暮らし始めてすぐに思い知ったのは。

 王族と貴族の利害が絡み合う権力闘争は、私が辺境で想像していたよりはるかに深く複雑だという事実だった。


 エドアルドが実子ではないと知りながら、国王陛下が長年それを黙認してきたのも、第二王妃の実家が王家にとって重要な後ろ盾だったからだ。


 私が王女として呼び戻されたのも、結局はそうした政治的な綱引きの上に立つ『駒』の一つにすぎない。

 ――今は痛いほど理解できる。


 思えば、陛下は最初から私の出方を計算していたのだろう。


『田舎育ちの娘が、王子を公然と廃嫡に追い込むような苛烈な決断を最後まで押し切れるはずがない』

 そう、見透かされていたのかもしれない。


 私は「辺境大公として国境を任せる」という穏当な案を自ら口にした。


 それこそが陛下の望んだ落としどころだった。


 第二王妃の実家にはエドアルドの命を守ったというかりそめの恩を着せる。

 同時に、王家の血統の真実を伏せたまま混乱を最小限に抑える。

 さらに、『王家が働いた一方的な婚約破棄という不義理も、「私とエドアルドが血縁関係だったから」という言い訳ができる』



 ――盤面を動かしたのは私のようでいて、実のところ私は陛下の掌の上で転がされていたに過ぎないのだ。



 けれど、その策略を呑みながら提案に踏み切った責任は私自身にある。

 浅はかだったと悔やむ瞬間もある。


 それでも、王家に戻るということが単なる華やぎではなく、終わりなき判断と覚悟の連続だと悟った今、私は一人ではないと強く思える。


 アルトが傍らにいるかぎり、たとえ王宮の底知れぬ渦に巻き込まれても、共に道を見つけ出せる――そう信じる勇気だけは、誰にも奪わせはしない。


「リーゼロッテ、今日は宰相陛下からお呼びがかかっているみたいだよ。……大丈夫? 昨日も夜遅くまで書類を読んでたって聞いたけど」


「ええ、平気よ。ちょっと寝不足だけど……あなたがそばにいてくれるなら、何とかなるわ」


 アルトは心配そうに私を見て、ぽんぽんと私の肩を叩く。

 その優しさに胸が温かくなる。

 たとえ血は繋がらなくても、心はしっかりと結ばれている。


 王宮には、数えきれないほどの陰謀や権力争いが渦巻いている。

 ――正直、不安だらけだ。

 けれど、アルトといると、不思議と笑顔になれる。


「姉さん……あ、いや、リーゼロッテ。いつか本当に呼び方を変えられるようになりたいな」


「ふふ……。じゃあ、練習してみる?」


「え、今ここで? ちょっと恥ずかしいよ」


「大丈夫よ、私とあなたしかいないから」


 そう言うと、アルトはこほんと咳払いをしてから、ぎこちなく言った。


「リーゼロッテ……その、今日もきれいだ」


「……ありがとう。あなたも……とても素敵よ、アルト」


 私たちは顔を真っ赤に染め合いながら、互いに照れ笑いを浮かべる。

 血のつながりはないけれど、ずっと育ってきた時間と共有した思い出がある。

 今はまだ「姉さん」と呼ばれたりするぎこちなさは残る。

 けれどそれでも、私の隣にいてほしいと思えるのアルトしかいない。

 そう、心から感じられるのだ。


「さあ、行きましょうか。宰相陛下がお待ちよ」


「うん、行こう。姉さ――ええと、リーゼロッテ」


 アルトと呼び合うたびに、少しだけ胸がどきりとする。

 この感覚には、まだまだ慣れそうにない。

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