第一話
今日も僕、黒菱景は地面の揺れで目を覚ます。
近頃頻繁に地震が起こるようになってきた。そろそろ何百年に1度の大地震の周期がめぐってくる頃らしく、その前触れなんじゃないかともっぱらの噂だ。
何年か前にほかの地域で大きな地震があった時にも同じように地震に対する意識が高まったこともあったけれど、直接被害を受けていない僕たちの住む町では対岸の火事でしかない。
その上地震のような天災はいつ起こるか確実に分かるようなものじゃない。いつ起こるかもしれない出来事に常に気を張っていかなくてはならないなんて無茶な話だ。すぐに高まった地震への意識は薄れていった。
まあそんなものだろう。直接自身が体験したことでもなければどんな物事だって真剣にとらえることは難しい。
何が言いたいのかといえば、人間は慣れてしまう生き物だということだ。どんなに特別なことや不思議なことが起こったとしても、それが常態化してしまえば特別ではなくなってしまう。それが普通になっていく。
そう思わなければやっていられない。
今日も1日が始まる。今日こそ何事もなく過ごせますように…
「おはよ。今日も揺れたね。何か落ちてきたりしなかった?」
と、思っていると声をかけられた。
その声は壁から生えている上半身から発せられたものだ。
金髪緑眼の整った顔立ちで、長い髪を揺らしながらこちらを眺めている。
その特徴的な色をした目は猫のように大きく、こちらを射貫く視線は矢のように鋭い。
さらには唇を少しへの字に曲げてなにか訴えているようだ。
付き合いは短いけれどなんとなくわかる。あれは空腹のサインだ。
早く起きたのはいいけれど、朝食に何を食べていいのか分からなかったんだろう。
僕を起こして何か作らせようってつもりだ。
好きに食べればいいのに、勝手に食事には手を付けないという矜持でもあるんだろうか。
そういうのがあるタイプとも思えないけれど。
先ほど非日常への慣れについて講釈を垂れたけれど、その要因は彼女だ。
彼女のせいというべきか、おかげというべきか僕の普通や日常なんてものは大きく変わることになった。
今回の非日常が日常になっていくにはどれだけの時間がかかるだろうか。
少なくとも2、3日くらいじゃ日常にならないことは体験済みだ。
未だに驚いている自分がいるのだから。
「おはよう、特に何もないですよ。ところで、僕の部屋には扉がついてるはずなんだけど、なんで壁から顔出してるのかな?イルさん?」
「え?うーん…この方が早いから?」
「そっか...でもそんなことされたら僕のプライベートという概念は死んだも同然なんですよ。次からは扉をノックしてください。」
「わかった。君がそういうならやめておく。リビングにいるから早くきてご飯用意してくれると嬉しい。」
そういって彼女、イルは壁から頭を引き抜いて去っていった。
何度か見て慣れてきたとはいえ、イルのあのすり抜けには驚かされる。
気を抜くと足からすり抜けていくものだから、いつの間にか床下に消えていた時は本当に驚いた。
そもそもあのすり抜けがどういう原理で行われているのかはさっぱりわからない。
彼女は特に気にせず生まれつきであるかのように行っているけれど、あんな常識外れのことが生まれつきだとするならば彼女はいったい何なのだろう。
そう思いながら僕は改めて彼女と出会った時のことを思い返していた。