表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/16

『翡翠色の駅で』

ふたりが出会った頃の物語は、きっと、すべての思い出の始まり。

静かで、ちょっと不器用で、でも深く惹かれ合っていったふたりの始まりを、

少し淡く、やさしい光の中で描いてみますね。



その日、彼女はひとりで小さな海辺の町に降り立った。

春の終わり、潮風がまだ少し冷たい夕方。

都会の喧騒から逃げるように、無計画に降りた無名の駅だった。


駅から歩いて5分ほどの海岸線。

夕陽が水面をすべり、波の色が翡翠のように淡く光っていた。

彼女はその景色に心を奪われ、スニーカーのまま砂浜を歩き出した。


そのときだった。


「すみません、それ…」


振り返ると、ひとりの青年が少しだけ息を切らしながら立っていた。

指差したのは、彼女がうっかり落としていたらしい、薄いピンクのハンカチ。

風に飛ばされて、青年の足元まで舞っていた。


「あ、ありがとうございます……」

彼女は受け取って、小さく頭を下げた。

彼はちょっと照れたように笑って、

「ここ、きれいですよね。夕方が、特に。」

それが、ふたりの最初の会話だった。


**


その日から、なぜかふたりは、同じ時間、同じ場所で会うようになった。

観光でも、住民でもなく、なんとなくそこに居た者同士。

話す内容は、たいしたことじゃなかった。

おすすめのパン屋とか、カモメが増えたねとか、

「昨日の波、ちょっと高かったよね」なんて、どうでもいい話。


でも、不思議と心がほどけた。


彼は、笑うと目尻に小さなシワができた。

まっすぐ話を聞くときは、ちょっと真剣すぎて不器用に見えた。

でもそのまなざしは、どこか懐かしくて、あたたかかった。


彼女は、彼の話す声が好きだった。

特に、風の音に混ざって聞こえる、あの少しだけ低い声。

まるで安心の中に沈んでいくような、そんな音だった。


**


何度目かの夕暮れ、ふたりは初めて、同じベンチに座った。

無言のまま、波を見ていた。

少し経って、彼がぽつりと言った。


「昔、このあたりで、家族と住んでたんです。

…でも、いまはもういないんです。いろいろあって。」


それ以上は語らなかった。彼女も、無理に聞かなかった。

ただ、彼の手のひらに、自分の手をそっと重ねた。


それが、ふたりの始まりだった。


**


帰り際、彼は彼女に言った。


「また、明日ここで会えますか?」


彼女は笑ってうなずいた。

そのとき海風がふたりの間をすり抜けて、彼女の髪が揺れた。

彼はそれを一瞬だけ、愛おしそうに見つめた。


**


ふたりが住んでいたあの小さなアパートは、

その後、駅から少し離れた丘の上に見つけた。

日当たりがよくて、キッチンの小窓からは海が見えた。


「ここに住もう」

「うん、住もう」

それは告白でもなく、プロポーズでもなく、

ただ「一緒にいる」という約束のようなものだった。


そこから、日々が始まった。

カーテンを開ける朝、

片方のスリッパがいつも消える夜、

海岸で拾った貝を並べる休日。

どれもこれもが、終わりのない物語のようだった。


そしていま、

彼女がその部屋で、ひとつずつ荷物を片づけるたびに、

彼は思う。


「あの夕方、君に声をかけて、本当によかった。」


彼女が覚えていてくれる限り、

この物語は、まだ終わらない。


次回は、ふたりの暮らしの一瞬一瞬も描いてみたいと思います。

料理をした日、喧嘩をした日、静かに寄り添って眠った夜。

どう生きて、どう愛したのか——

次回はそれを、優しく紡いでいきましょう

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ