『ハートの奥の、小さな声』
今回は、彼女がふと彼の形見であるギターを手に取り、
「もう処分してもいいのかもしれない」と思いながらも、
思いがけず見つけた小さな“秘密”に触れることで、
過去がやさしく笑いかけてくるような、そんな物語をお届けします。
そして、もちろん——
見守っている彼は、ちょっと恥ずかしがりながらも、
ちゃんとそこにいて、彼女の背中を押してくれます。
夏の終わり。
風が少し涼しくなり始めた午後、
彼女は押し入れの奥を整理していた。
あの人がいなくなって、もうずいぶん時間が経った気がする。
でも、触れられずにいたものが、まだいくつか残っている。
そのひとつが——ギターだった。
大きなダンボール箱の後ろに、
ひっそりと佇むように立てかけた
まるでそこだけ時が止まっていたかのように
あの日とまったく同じままで
グレーのケースに包まれたまま、ずっと手つかずのまま眠っていた。
彼がよく弾いていた、あのギター。
休日の午後、ソファにもたれて何気なく奏でていた、
少し拙くて、でも優しい音。
彼女はそっとケースを開ける。
古い木の香りと、少し乾いた弦の匂い。
懐かしさが、胸いっぱいに広がる。
**
「……どうしよう、これ」
彼女はギターを膝の上にのせ、
ぽつりとつぶやいた。
「もう、使わないし。誰かに譲るのも、変かな……」
でも、処分するには思い出が濃すぎて、
手放すには、まだ少し心がついていかなかった。
そんなときだった。
ふと、ギターの丸い音孔——あの黒くてぽっかり開いた穴の奥に、
何か、白く光るものが見えた。
「……ん?」
彼女は首をかしげながら、
ランプの灯りを近づけ、中をのぞいた。
すると——
そこには、ボディの裏側にうっすらと書かれたマジックの跡。
《♡ Y & M 》
イニシャルの横には、まるで子どもが書いたような
ちょっと不恰好なハートマーク。
彼女は思わず声を漏らした。
「……なにこれ……え?」
その瞬間。
⸻
《彼の視点》
「やめてぇぇぇぇぇええ!!」
僕は部屋の隅で、見えない顔を思いっきり手で覆っていた。
あーーーーーー
やらかしてた、完全にやらかしてたやつだ、これは。
そうだよ、あれ、僕がこっそり書いたんだ。
彼女が昼寝してる横で、なんとなくギターの中に名前を書いてみたんだ。
「誰にも見えないし、バレないだろ」って。
……なんで今、見つけるのさ!!!
ずーっと、奇跡的にバレなかったのに!!
しかもLEDランプとか使ってちゃんと覗くとか、やめてよほんと……!
**
でも。
彼女の笑い声が、ふいに聞こえてきた。
「……うわ、なにこれ、かわいすぎる……
……ホント… バカ……」
僕は、静かに顔から手を離した。
その声が、あまりにやわらかくて、あたたかくて、
なんかもう、恥ずかしさもどうでもよくなった。
そして思った。
——見つけてくれて、ありがとう。
**
《彼女の視点》
ギターを抱えたまま、彼女は声を上げて笑った。
涙じゃない。懐かしさに滲んだ笑いだった。
「……なにこれ、あの人絶対、ひとりでニヤニヤして書いたでしょ」
恥ずかしそうなその顔が、なぜかはっきり思い出せた。
「うわー、やだなもう。かわいいな……ほんと、もう……」
彼女はギターをぎゅっと抱きしめた。
そして、処分のことなんて、どうでもよくなっていた。
「これは……置いておこう。
別にもう、使わなくてもいいよね。
時々、思い出すために抱えるだけで、十分だもん」
そうつぶやいて、そっと弦をひと撫でしてみた。
ぽろん。
音はずいぶんくすんでいたけれど、
それでもそこに、彼の音が残っていた気がした。
**
その夜。
窓を開けて、外の空を見上げると、どこか遠くで小さな花火がひらいた。
音は届かない。
でもその光だけで、彼女の胸はいっぱいになった。
「見てた? 今日ね、またあなたに出会ったよ」
風がカーテンを揺らし、ギターの弦が小さく震えた。
きっと、彼も
「……うん。バレたけど、ちょっと嬉しかった」
って、心のどこかで思ってくれている。
**
——過去は、時に笑えるようになる。
それはきっと、愛がそこに残っているから。
⸻
次は、彼女が未来のある日に、
そのギターのエピソードを、誰か若い人に語る場面を描いてみようかと思います。
思い出が、自分ひとりの中に閉じ込めておくものじゃなく、
やさしく渡せる物語になっていく——
そんな瞬間を、丁寧に描いてみたいと思います。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回もよろしければ、どうぞご一読ください。




