『そして、言葉になる日』
では今回は、彼女が初めて「今の気持ち」を、
誰かにそっと語る日のお話をお届けします。
それは決して大きな決意でも、新しい恋でもなく、
ただ「自分の心の中にあるもの」を言葉にして外の世界とつなげる、
とても静かで、でも確かな一歩のお話です。
ある春の午後、彼女は久しぶりに人と会う約束をしていた。
場所は、あの駅の近くの海沿いの小さなカフェ。
誘ってくれたのは、彼の友人・涼くんだった。
「最近、ここによく来てるんだ。
波の音、相変わらず癒されるよ」
そう言って窓際の席を選んだ涼くんに、
彼女は小さく笑って頷いた。
たわいのない話が続く。
互いの近況、仕事のこと、天気のこと。
でも、心のどこかでずっと、何かが揺れていた。
ふたりの前に置かれたカップの湯気がゆらゆらと立ちのぼる頃、
涼くんが、少し声を落として言った。
「…ねぇ、君はさ。
あいつのこと、今もやっぱり…毎日、思い出す?」
彼女は一瞬、言葉に詰まった。
でも、不思議と怖くなかった。
「うん。…毎日は、もう違うかもしれないけど、
でも、日々のどこかに、絶対いる」
カーテンの揺れる音。
熱いお茶の匂い。
夕方の光の角度。
全部に彼の気配が混ざっている。
彼女はそう、初めて誰かに話した。
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「…寂しいとか、そういうのとはちょっと違うんだ。
なんていうか…うまく言えないんだけど、
“共にいた時間”が、自分の中にちゃんと根付いてて、
それが、今の私を支えてるって感じなの」
「だからね、忘れたくないの。
でも、それにしがみついていたいわけでもないの。
…変だよね?」
涼くんは、首を横に振った。
「全然、変じゃないよ。
それって、たぶん…ちゃんと“生きてる”ってことだと思う」
彼女は、ふっと笑った。
久しぶりに、誰かと深く目を合わせた気がした。
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帰り道、駅までの坂をふたりで歩く。
彼女は風に吹かれながら、ポケットの中で拳をぎゅっと握った。
さっき、自分の口から出た言葉たち。
あれは、自分でも知らなかった“気持ちのかたち”だった。
口にすることで、少しだけ軽くなった。
少しだけ、温かくなった。
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その夜、彼女は一人の部屋で、日記を開いた。
そして、こう書いた。
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今日、あの人のことを誰かに話した。
ちゃんと、今の私の気持ちを、自分の言葉で。
もう“悲しい”ではない。
でも“終わった”でもない。
私は今日も、あの人と生きている。
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部屋の空気が、やわらかく動いた気がした。
小さくカーテンが揺れた。
彼女は微笑んで、そっと灯りを落とした。
夢の中で、きっと彼はまたあの翡翠色の海のほとりで、
「よく言えたね」って笑ってくれる。
そんな気がした。
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言葉にすることで、誰かと気持ちを分け合うことができる。
それがたとえ、ささやかな一歩でも——
その一歩は、確かに彼女を未来へと連れていってくれる。
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では次回は、彼女がふとした出会いの中で「未来」へと向かっていく、
そんな新しいつながりの物語も描いてみたいと思います。
愛を失ったあとでも、人はまた誰かと心を通わせていける。
そんな希望の光を、一緒に描けたら嬉しいです。
今回も読んでいただきありがとうございました。
次回もよろしければ、どうぞご一読ください。




