ビジネスマン
福山の家を出ると、空にはすでに夕刻の気配が漂い始めていた。駅へ向かって歩き出したところで、柊はポケットの中でうるさく振動音を立てる携帯に顔をしかめた。
会社にはメールでも連絡してあるし、内容証明郵便も送ってある。なので電話に出る気はないが、こううるさくてはたまらない。
柊は電源を切ろうと携帯へ手を伸ばした。だがそこにあるメッセージを見て、電源ボタンを押す力を緩める。そして素早くメッセージの内容を確認すると、駅に向かって歩き出した。
「Mr.ヒイラギ。急な呼び出しで申し訳ない。たまたま我々全員の時間があってね」
そう言うと、目の前の相手は柊へ、円形に配置された会議室のテーブルを指し示した。そこには柊のこれまでの交渉相手だった面々が座っている。柊はコートを手に一礼すると、椅子へ腰かけた。
「君の上司だったMr.カナザワから私のオフィスに何度も連絡があってね。君がやめたと聞いて驚いたよ。だけど納得もしている」
眼の前に座る人物が、柊に苦笑いを浮かべて見せた。
「だけど彼の要求はなかなかにユニークだね。うちの法務がクリスマス休暇に入っているから、すぐに返事はできないと断っても、納得してもらえない。君とは違う意味でタフネゴシエーターだ」
柊はテーブルに座る面々を見回した。全員がビシッと高級スーツで身を固めている。たとえ真夏の炎天下であっても、ラフなかっこなど決してしない。
それでいて必要があれば、相手に合わせてネクタイを即座に外し、上着を脱いで腕まくりもして見せる。そういう男たちだ。
「Mr.ヒイラギ、我々は君のことを正当に評価している。できれば続けて一緒に仕事をさせてもらいたい。君にはしかるべきポジションと、しかるべきスタッフを用意することを約束する。もし前の会社から連れてきたいスタッフがいれば、それも全て受け入れよう」
男はそう告げると、まっすぐに柊の目を見つめた。
「どうか前向きに検討してもらえないかね?」
「申しわけありません。とあるところで、マネージャーをやらせていただくことになっています」
柊の言葉に、会議室にいる数人の男たちからため息が漏れた。
「我々としても、可能な限り早く手を打ったつもりだったが、どこかに先を越されたと言う事かな? 君がどこへ移るのかはすぐに我々の耳にも入ると思う。できれば我々を出し抜いた相手を、君の口から教えてもらえないだろうか?」
「はい。とある踊り子と劇場のマネージャーをやらせてもらうことになりました」
「劇場!?」
「ストリップ劇場です。もし今度東京に来ることがありましたら、ぜひに足を運んでください」
柊は日本人らしく、深々と頭を下げて一礼すると、会議室を後にした。