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舞姫  作者: ハシモト
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ソンブレロ

「ずいぶん混んでいるな」


 柊はビルの一階に入っているコーヒーチェーン店の前でぼやいた。昼はノートPCを広げた男女に占拠されているが、この時間になれば、店員が手持ち無沙汰にしているだけだ。だが今日は若い女性のグループやカップルが、店の外まで行列を作っていた。


 振り返ると、落ちた葉の代わりに、オレンジ色の光をまとった街路樹がまぶしく光っている。どうやらそれを見学に来た人たちらしい。サンタの格好をした若い女性が、カラオケ屋の看板を手に道を歩いて行くのも見える。


 柊は自分が下りてきたビルを見上げた。一番上の役員室がある階以外は煌々と明りが付いている。オフィスに戻るか? そう思ったが、裏通りの再開発予定地に、小さな喫茶店があったのを思い出した。


 戻っても金沢の意味のない演説を聞くだけだし、それに伊藤の方が、自分よりもよほどに金沢のことをうまく扱えるだろう。


 柊はダウンコートの襟元を手繰り寄せつつビルの間の路地へ入った。どこから迷い込んだのか、猫の鳴き声を聞きながらそこを抜出すと、未だに昭和の風情を残す、古い雑居ビルが点々と立つ場所へ出た。


 もっとも以前とは違って、ビルよりも空き地と駐車場の方が目立つ。いくつかの雑居ビルはすでに取り壊しが決まっているのか、窓に明かりすらない。


 それでも前方に、ソンブレロ(メキシカンハット)を頭に被った黄色い看板が光っているのを見つけた。店員が店から出てきて、看板へ手を掛けようとするのを見て、慌てて店先に向かって駆け出す。


「コーヒーをテイクアウトしたいのですが、まだ大丈夫ですか?」


 柊の問いかけに、年配の老人が看板に手をかけたまま顔を上げた。


「大丈夫ですよ」


 老人はそう言うと、柊の為に店の扉を押す。中からはコーヒーのなんとも言えない香ばしい香りが漂ってくるが、閉店間際のせいか、中に客は誰もいなかった。


「ご注文は?」


「ブレンドを二つでお願いします」


 どう考えても戻るのは遅れる。伊藤にも手土産ぐらいは持っていかないといけないだろう。金沢は紅茶派でコーヒーは飲まないから、二つあればいい。老人は柊の注文に頷くと、アルコールランプに火をつけた。


 やがてポコポコと言うお湯の沸騰する音が響き、老人は挽いた豆をサイフォンのロートへ入れる。下からお湯がロートへと上がっていき、老人が素早くへらでコーヒーを攪拌した。やがてコーヒーは芳醇な香りを振りまきながら、まるで魔法みたいに下のフラスコへと戻っていく。


「お待たせしました。ブレンドコーヒー二つで880円です」


 柊は財布から小銭を出し、持ち帰り容器に入ったコーヒーを受け取った。かじかんだ手にコーヒーの温かさが心地よい。


 外へ出ると、隣の雑居ビルではちょうちんが赤い光を放ち始めている。その隣にある安っぽいラブホテルへ、イルミネーションを見に来たらしいカップルが、そっと消えていくのも見えた。


 柊がそんな風景の間を拔けて、役員への報告について何を言おうか考えながら、駆け足でビルの間へ駆けこもうとした時だ。急に暗がりから何かが飛び出してくる。


 柊は体をひねって必死にそれを避けようとしたが、コーヒーを持つ手が相手にぶつかってしまった。ぶつかった手の先にやわらかいものを感じる。どうやら相手は女性らしい。


「大丈夫ですか!?」


 柊は慌てて声を掛けた。目の前にはサンタクロースの衣装に身を包んだ女性が立っており、二杯分のコーヒーがかかった自分の姿を茫然と眺めている。


「ちょ、ちょっと!」


 少し小柄な女性は、自分の赤い衣装に思いっきりかかったコーヒーに慌てた声を上げた。


「申し訳ありません」


 柊はポケットからハンカチを出し、服の上を流れるコーヒーを拭いた。フェルト地の服で生地が厚かったため、やけどはしなかったのがせめてもの救いだ。


「染みになるじゃない。これって借りものなのよ!」


 女性は口を尖らせた。アルバイトの女子大生かと思ったが、年はもう少し上だ。それに化粧のやり方が学生のそれではなく、夜の商売に近い。クリっとした目の童顔で、愛嬌のある顔立ちをしている。


「クリーニング代と、ご迷惑をおかけした分は私の方で――」


「お金だけの問題じゃないの。これから毎日誰かが使うやつなのよ!」


 柊は女性の台詞に少し驚いた。正論だ。世の中には金でどうにか出来るものと、出来ないものがある。女性が無言の柊を尻目に辺りを見回した。そして何か思いついたらしく、ぽんと手を打って見せる。


「お兄さん、悪いけど付き合ってもらうからね」


 そう声を上げると、女性は柊の手を強引に引っ張りつつ、先ほどカップルが消えた入り口へ向けて歩きだした。

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