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舞姫  作者: ハシモト
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役員会

「説明は以上になります」


 そう告げると、柊聡(ひいらぎさとし)はレーザーポインタをテーブルへ置き、楕円のテーブルに座る面々を見回した。椅子がきしむ音と、資料をめくる音が辺りに響く。やがて正面に座る男が顔を上げて柊を眺めた。


「柊君。ご苦労だった。君の説明自体はよく理解できた。だが――」


 男はそこで言葉を切ると、テーブルに座る面々を見回す。


「このプロジェクトに必要な投資は小さくない」


 そう告げると、柊へ視線を戻した。


「先ほどご説明した通り、合弁会社を設立したうえで、複数のファンドから資金を調達します。出資先については内々に話を通してあります」


「そこだよ。その点について、覚書以上の確約が欲しい。それに考えられるリスクと、それ毎の発生し得る損失について、もっと詳細な数字の算出と根拠の提示だ」


 柊はそう告げた男の顔をじっと見つめた。この男はこちらが正式なオファーを出さないでおいて、相手から形に残る約束をさせろと言っているのを、理解しているのだろうか?


 契約とは一方的なものではない。いくつかのプロジェクトの失敗によるプレッシャーが、そんな基本的なことすら忘れさせたのか? いや、単に愚か者を装った保身? おそらくはその両方だ。


「社長。リスクの評価の詳細化については、早急に部内でまとめさせていただきます」


 すぐに答えなかった柊に代わって、テーブルの一番端に座る部長の金沢が声を上げた。


「この件は弊社にとって極めて重要なプロジェクトだ。慎重に検討する必要がある」


「はい。おっしゃる通りです」


 いかにも納得した顔で頷く金沢を、柊はうんざりした気分で眺めた。ここに居る者たちは、時間こそが一番取り返しのつかないリソースであることも忘れたらしい。


「来月の役員会でも、引き続き報告をお願いする」


「はい」


 柊はテーブルに置いたノートパソコンを閉じると、扉へと向かった。そして廊下へ出た瞬間、小さくため息をつく。


 この男たちは全てが出揃った状態にならないと、事業の可否も決められないのだろうか? そうだとすれば、算数が理解できる小学生でも、ボードのメンバーは務まることになる。


 柊は金沢の役員たちへの追従の言葉を背後で聞きながら、エレベーターホールへ向かった。




「柊、役員会でゴーは出なかったらしいじゃないか?」


 柊がコーヒーサーバーの前へ向かうと、同じ部の伊藤が肩をすくめて見せた。伊藤は柊よりもいくつか上の先輩だ。


「ええ。リスク評価の詳細化、可能な限り具体的な数字を出せとのお達しですよ」


「その手はどこまでやってもキリがないんだがな。うちの上も中国やロシアでの大損失があるから、相当にビビっているんだろう」


「そうですね。そうだ、伊藤さんが社長をやってくださいよ。話が早く済みます」


 柊の台詞に、伊藤がカラカラと笑って見せる。


「俺か? 俺みたいなはみ出し者には絶対無理な話だ。でも柊、お前も無理だな。一匹狼な上に、とてつもなく優秀な奴が上に立ったら、下にいるやつは全員首をくくりたくなる」


「お世辞はどこかのクラブの女性にでもとっておいてください。リスク評価の方はなんとでもでっち上げられますが、投資先からの覚書を取れと言うのが問題です」


「こちらからは何も正式なオファーを出していないのにか?」


「ええ。どんだけ上から目線なんですかね。交渉上もマイナスでしかありませんよ」


「会社の看板で全てがうまくいった時代を忘れられないのさ。国もドイツに抜かれそうで、五本の指の中にだっていつまでいられるか分からない。うちの会社ときたら、この国以上に急降下だけどな」


 そう言うと、伊藤は手を墜落する紙飛行機みたいに動かして見せる。


「それで、用事はなんですか?」


 柊はコーヒーサーバーのエスプレッソのボタンを押しながら、伊藤に問いかけた。見かけはちゃらい感じを演じているが、伊藤は優秀な男で無意味なことはしない。何か用事があって、ここで自分を待っていたのは間違いなかった。


「そうだな。一つはそのコーヒーサーバーは本日の夕方から故障で、お湯すら出ない」


 伊藤の言葉に、柊はエスプレッソのボタンから指を離して機械を眺めた。電源は入っているらしいが、全く持って動く気配はない。


 柊はだいぶ前に煙草をやめていたが、その代わり周りがカフェイン中毒ではないかと心配するぐらいに、コーヒーをがぶ飲みするようになった。自分でもコーヒーなしだと、能力の何割かが失われる気がするぐらいだ。


「それと部長が今後の方針の打ち合わせをしたいそうだ。説明資料を作って、役員たちへそれを()()()持っていきたいらしい」

 

「まいったな……」


 柊の口から思わず言葉が漏れた。打ち合わせと言っても、先ずは金沢の演説を聞くところから始まる。すぐに終わるとはとても思えない。それをコーヒーなしで聞くことになると思うと、心の底からうんざりした気分になってくる。


「この時間だったら、まだコーヒー屋は開いているんじゃないか?」


 柊の表情に気付いたらしい伊藤が、下を指さして見せる。


「いいんですか?」


「そのぐらい待たせてもいいさ。本来なら今日は即刻解散でもいいぐらいだ。とりあえず俺が部長の演説を聞いておいてやるよ」


「すいません」


 伊藤は片手を上げると、オフィスへ戻っていった。

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