08 通行人Aの主張
「で、少しは進展したのか?」
騎士団の同僚でもあり友人のカミューが、そう話を振ってきたのは、アシュエルがスノーリアに求婚してから数日後のことだった。
本日の訓練を終え、今は休憩時間である。
各々体を休めたり、雑談に耽ったりしていて、 こちらに注意を向けてる気配はなかったので、 アシュエルは憮然としつつもカミューに応じた。
「……進展してるように見えるのか?」
「いやまったく」
この野郎
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべて、きっぱりはっきり否定され、アシュエルは拳を握る。
「さっきも見事にスルーされてたよなー」
「っ、見てたのか」
この訓練場に来る途中、たまたま廊下でスノーリアとすれ違ったのだが。
一瞬目が合ったものの、軽く会釈をされただけだった。
気まずそうに顔を逸らされるとか、恥ずかしそうに頬を染めるなどという反応は欠片もなかった。
アウトオブ眼中、と後ろで見ていたカミューが呟いていたことにアシュエルは気づいていなかった。
それだけ、アシュエルは彼女に偶然会えた幸運に舞い上がり、と同時に、まったく意識されていない態度に叩きのめされていたわけだが。
おかげで訓練相手が八つ当たりでズタボロにされて、医務室に連れて行かれた。
「まあ、彼女の方からしてみれば、眼中外の野郎からいきなり求婚されてドン引きだったろうから仕方ないよな」
女性受けのする爽やかな笑顔で、同僚はアシュエルの心の傷を的確に抉ってきた。
スノーリアに求婚をして、あっさり振られた晩。やけ酒を煽り酔っ払ってカミューに愚痴ったことを、アシュエルは激しく後悔した。
「あ、あれは!こっちだって動転してたんだ!まさか本棚の向こうに彼女がいるとは思わなかったから」
スノーリアが良く図書館を利用することは知っていた。
あの時は一通り館内を見て回ったが、タイミングが悪く少女の姿を見つけることが出来なかった。
スノーリアが所属する医務室へは、理由もなく訪れるわけにはいかない。
訓練で怪我をすれば最もな理由になるが、さすがにわざと怪我を負うのは気が引けた。
一度くらいならともかく、何回も無駄に怪我をすれば上官に見破られるだろうし、怪我の程度によっては訓練の一環として薬と包帯で済まされてしまう。
なので、王宮内でどうにか顔を見る機会を得るには、彼女が医務室から出る時だけなのだ。
この四ヶ月の間、食堂で昼休憩をとっている彼女の隣や向かいの席を確保したり、図書館でスノーリアが読んでいた本を自分も借りたり。
なんとか話をするきっかけを探していた。断じてストーカーではない。あくまでも接点を得るための行動だ。
そして、らしくもなく緊張しながら「良くお会いしますね」と、何気なさを装って声をかけたこともあるが、怪訝な顔をされて「…そうですね?」と疑問系で返されて会話が終わったのが、求婚の前日のことだった。
確かに食堂を利用する者は大勢いるし、毎日顔を合わせていたわけではない。
しかし頑張って数日に一度は彼女の周りに出没していたアシュエルである。
多少は顔を覚えてくれているのではないかと期待していた。
実際アシュエルは、同じ食堂を利用する人間を、なんとなくは覚えている。
それは職業柄、周囲に注意を払う習慣があったせいだが、一般人でも数ヶ月もあれば多少は印象に残るはずである。
それなのに、あまりに認識外の状況に焦りもあった。
このままでは通行人Aで終わってしまう、と。
そして探していた人物が、本を取ったすぐ向こうにいて、動揺したアシュエルは咄嗟に本を勢い良く戻していた。
そこからは負の連鎖だった。
押し込んだ本が、反対側の本を突き倒し、少女の悲鳴を聞いた時は血の気が下がった。
よりにもよって、スノーリアの顔に傷を負わせた。
本当は土下座をしたいほどだった。
謝罪は当然だ慰謝料を払うべきかいや金で流す男だと思われたくない嫁入り前の娘を傷物に--これは責任をとる場面だろう。
内心でぐるぐると思考の渦に押し流され、ふいに閃いた責任を取る、と言う言葉を思い付いた瞬間に、スノーリアが微笑んでくれて。
気がつけば膝を折って、懇願していた。
しかし、さすがにいきなりプロポーズはないと冷静になったら自分でも思う。
求婚をしたこと自体は後悔していないが、手順は踏むべきだった、と。
とは言え、いくら後悔しても時が戻るわけではない。
あの後、あっさり本人の力で求婚の理由は治され、今さら以前から惚れていましたと告げられる空気ではなく。
ついでに通りかかった図書館の役人が、落ちていた本に気がついて悲鳴を上げ、ここにある本がどれだけ貴重で価値のあるものか、しこたま怒られた。ーースノーリアとともに。
自分は必死に彼女は関係がないと説明し、その場からスノーリアを解放するしかなかった。
本当は、スノーリアにこそ色々弁明したかったのだが…。
その機会はいまだに得られていない。
「まあいくら切羽詰まっていたからって、女の子の顔に怪我させて既成事実作るとかやめとけよ」
「だから不可抗力だ!そんなつもりはなかった!」
「犯罪者がよく言う台詞だよな、それ」
「誰が犯罪者だ!」
「いやだって、彼女未成年じゃん」
カミューは面白がって言ってるだけだとは頭では理解していたが、ついつい言葉の応酬が続いた。
しかし未成年、という台詞にアシュエルはぐっと言葉に詰まった。
アシュエルとスノーリアは十歳も歳が離れている。貴族婚ではその程度は良くある話だが、果たして彼女の恋愛対象に入るかはわからない。
アシュエルは、あと三ヶ月ほどで二十五歳になる。
好意的に大人な男性と見てもらえる年な気はするが、四捨五入をすれば三十才。
スノーリアに、おじさんはちょっと…と言われたら自分は泣くかもしれない。
実際に、この歳になって思う。
二十五歳はおじさんじゃないと、声を大にして言いたい。
が、自分が十四才の時は、同じ年頃の仲間たちと、先輩騎士や周りの大人を頭の固いおっさんだと言っていた。
十年前の自分に言ってやりたい。
それは自分に返ってくるブーメランだと。
思考が逸れかけたアシュエルは、はっと我に返った。
「彼女が未成年でも、婚約なら問題はないだろう」
「婚約は問題ないけどなー。問題はお前が知り合い以前の存在だってことだろ」
「ぐはっ」
血を吐くような呻きを上げて、アシュエルは蹲りたくなった。
「せめて知り合いには昇格しろよ」
言われなくても切実に実感している。
スタートラインにすら立てていないのが現状だ。
実は以前、フェザー家に縁談の申し込みを父親経由で打診したが断られている。
図書館で名乗った時、自分の名前に思い当たる節がなさそうだったので、恐らく本人の耳には入っていないのだろう。
「……一体どうしたらいいんだ」
「普通に声かけりゃいいだけだろ。あ、そうだ」
カミューは名案を思い付いたとばかりに手を打った。
「フェザー嬢は治癒術師なんだろう?僕の恋の病を治してくださいとでも言って口説いたらどうだ?」
明らかに冗談の口調で告げられた台詞に、アシュエルはまるで目から鱗でも落ちた顔をした。
「それだ!」
「マジで?」
自分で言っておきながら、カミューはドン引きした。
色々煮詰まっているアシュエルだった。