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05 戦争の傷痕2

ティアリーゼはソファーに身を預け、膝の上に置いた本をぼんやりと眺めていた。


すでに夕食は済ませた後だ。

とうに日は沈み、本来であれば人を迎える時間ではない。

けれど、今日はこれから訪れる者がいる。


そのためティアリーゼは湯浴みをすませた後ではあるが、髪を結い上げ、薄化粧も施している。

ティアリーゼはふと自嘲する。


王女としての最低限の体裁を繕っているだけの姿だ。

きっと訪問者は落胆するだろう。

それか、同情に満ちた憐れみの視線を向けてくるかのどちらかかもしれない。


それでもどうでもよかった。


もう、自分には華やかなドレスも美しい宝石も似合わない。

どんなに着飾っても、左頬と額にかけての大きな傷痕を隠してはくれないのだから。

服の下にも隠されている傷がある。

自分では良く見えないが、背中にいくつも裂傷の跡が残ってしまった。


ちょうど一年前。

公務の途中で受けた襲撃。

白昼堂々と王女の乗る馬車を襲った賊は、護衛の数よりも多かった。

だから御者が襲撃者から王女を遠ざけようと、馬車を走らせた判断は間違いではなかったはずだ。


ただ、護衛の騎士を振り切り、追ってきた賊に御者が切り捨てられ、馬車は操り手を失った。

最大の速度で走っていた馬は、手綱を引く人間が消え暴走し、そのままの勢いで建物に激突したーー


激しい衝撃があったことは覚えている。


けれど気がついた時は、王宮の自分のベッドの上だった。

いつも一緒にいた乳姉妹のファルマの姿はなかった。

あの時、確かに馬車の中で共に在って、怯える自分を抱き締めてくれていた。


馬車がひしゃげる程の衝撃だったらしい。

彼女の身体が緩衝材の役割を果たしてくれたと侍医が言った。

ティアリーゼが生きていたのは、奇跡ではなく。ファルマが身をもって、主を守ったのだと。


あの恐ろしい事件は、今もなおティアリーゼの体と心を蝕んでいる。

傷を見る度にあの時の恐怖が甦り、痛みを思い出し体が竦む。

そのため王女の部屋から鏡が消えた。


代わりに増えたものもある。

ソファーの横に立て掛けた杖だ。

飴色に磨きあげられた杖は、右足が動かなくなったティアリーゼのために王妃が職人に作らせたものだ。

乳姉妹が庇ってくれてなお、ティアリーゼの体は無事ではなかった。

直接馬車に叩きつけられることはなかったのだろうが、馬車と建物の残骸に押し潰され、ひどい有り様だったらしい。

恐ろしくて詳しくは聞いていないが、いまだ薄れない傷痕が惨状を物語っていた。


ティアリーゼは、深いため息をついて読んでいた本を閉じた。内容など頭に入ってこないので、読む気が失せてしまった。


そっと頬に触れ、傷痕を撫でる。

すでに痛みはないが、代わりに胸が痛む。

一生消えることはないだろうと言われた傷だ。


王女として常に人に囲まれた生活故に、他人の視線には慣れていた。けれど。

傷物となった今、人の目が怖くて堪らない。


見知った者にも面識のない者にも、誰にも会いたくない。

しかし王女としてかしずかれて生活してきた自分には、身の回りのことを侍女たちにしてもらう必要がある。

まして、右足が不自由になり、より人の手がかかるようになってしまった。


「……ファルマを犠牲にしてまで、わたくしは、なんの為にここにいるのかしら…」


空虚な呟きが、無意識にこぼれた。


王女としての役割も果たせず、公務も満足にこなせず。

このままではいけないとわかっているのに、人の目に晒されたくなくて、部屋に引きこもってしまっている。


これから訪れる人物は、治癒術師だと言う。

今までも、宮廷治癒術師には治療に当たってもらっていたが、痛みを取り除く効果はあっても、傷痕を消してはくれなかった。

魔法にも限界があるのはわかっている。


だから、期待をしてはいけない。


期待すれば、その分裏切られた時の落胆が大きくなってしまう。心をこれ以上波立せたくなかった。


これ以上、両親にも兄にも侍女たちにもーー『あの人』にも、心配をかけたくないのに。


「もう……わたくしのことなんて捨て置いてくれていいのに……」


心を掛けられるほど、惨めな気分になるだけだ。

優しさすら、今の自分には素直に受け止められない。それがまた、ティアリーゼの心を追い詰めた。

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