04 戦争の傷痕1
スノーリアが宮廷治癒術師として伺候する一年と半年前に、彼女が暮らすアルマース王国と隣国アメシア帝国との間に戦争が起こった。
辺境伯領は元々鉱山資源が豊富なため、過去にも鉱山の利権を巡って、度々戦が仕掛けられてきた。
今回は、新たに見つかった銀鉱山が狙いだった。
帝国の人間が領土に入り込み、鉱山を調査しようとして、現地の鉱夫たちと争いになったことが戦争に発展した。
そして一年と少しかかった戦争は、結果的に痛み分けで終わり、両国ともに国力を消費するだけの益のないものだった。
しかもその間に起きた様々な事象は、戦争が終わってなお爪痕を残していた。ーーそのことをスノーリアが知ったのは、十四歳の誕生日が過ぎた後であった。
「聞きました?今年も王女様の生誕祭は中止だそうですよ」
「姫様もおかわいそうに。新年のお祝いの時もバルコニーにお出ましにならなかったし、まだ傷が癒えないのかねぇ」
厨房の前を通りかかった時、そんな会話を耳にしたスノーリアは、思わずそのまま立ち聞きをしてしまった。
「早く元気なお姿を見たいものですね」
「結局姫様のあの事件って、アメシア帝国の連中が犯人だったんだっけ?」
「そんな噂ですけどね。でも犯人が誰にしろ、戦争がなきゃ、王女様だってすぐに治療を受けられて、あんなことにもならなかったのに。戦争も帝国も、本当にろくでもない」
料理長のランドとともに話しているのは、出入りの商人だろう。
彼はため息交じりに首を振った。
その時ふと廊下に視線を向け、スノーリアの姿に気づいて目を見開いた。
「おや、お嬢様。いつもお世話になっております」
「お、お嬢様!いつからそこに」
帽子をとって、のんびりと挨拶をした商人とは真逆に、しまったと言った顔でランドはうろたえた。
スノーリアの父親であるアーネストの意向で、娘には外の出来事を聞かせないように言い含められているのだ。ーー戦争に関する話は、特に。
出入りの商人は、当然その事は知らない。
つい話し込んでしまったランドに非があるのだが、慌てて商人に野菜の代金を渡すと、追いたてるように裏口から帰らせた。
「お嬢様、あまり厨房に近づいたらいけませんよ。アーネスト様に怒られてしまいます」
「ミィナを探していたの」
「…ああ、それなら裏庭でしょう。洗濯物を取り込みに行くのを見かけました」
ミィナはスノーリアの専任メイドである。
ただし専任とは言え、人手の足りないこの屋敷では、ミィナが常にスノーリアの側についているわけにはいかなかった。
ミィナの居場所を教えれば、スノーリアはすぐにそちらに向かってくれるかもしれないと、ランドは誘導しようとした。
しかし。
「さっきの話だけれど…」
スノーリアの言葉に、ランドは内心でまいったな、と呟いた。
スノーリアの父親は、一人娘を溺愛している。
そして過保護だ。
ほとんど屋敷に閉じ込めるようにして、スノーリアと外部の接触を避けている。
ランドはやり過ぎでは、とも思うのだが、雇い主であり、子爵であるアーネストに逆らうリスクはおかせなかった。
この屋敷は、フェザー伯爵家の領主とその家族が王都に滞在するためのものだ。
しかし普段は、領主の弟であるアーネストが管理をしており、使用人の雇用自体はアーネストの預りである。
「お嬢様、私に聞いたとはアーネスト様には言わないでくださいよ」
それでも小さい頃から、自分の料理を美味しいランドの作るパイが大好きと言ってくれるお嬢様に、彼も大概甘かった。
淡紅色の瞳で、じっと見上げられると、黙っていることは難しい。
「ティアリーゼ姫様は、去年何者かに襲撃されて、その時のお怪我が元で、人前にお姿をさらすことを厭われるようになったと聞いています」
「襲撃……」
穏やかではない言葉に、スノーリアは眉を曇らせる。
「王城で襲撃されたの?王女様なら騎士様が守ってくれているはずじゃ…」
「もちろん護衛の騎士様はいたそうです。でも馬車で移動の最中に襲われたそうで、亡くなった方もいらっしゃったと…。姫様は命は助かったものの、重症を負って足をお悪くして、その、お顔にも跡が残ってしまったという噂です」
「そんな……」
スノーリアはショックを受けた顔で俯いてしまった。
年頃の少女には辛い話題だ。
そして王女本人にとっては紛れもない試練だろう。
実は王女の不幸はこれだけで終わらなかったのだが、スノーリアの様子から、ランドはそれ以上の説明は飲み込んだ。
やはり、アーネスト様の言いつけを守った方が良かったのかもしれない。
自分だって、お嬢様のこんな悲しげな顔を見たくはない。
そう思ったが、一度言った言葉はなくならない。
そしてまさか、スノーリアがこの時葛藤していたことなど、ランドは気づいていなかった。
この時の会話が、スノーリアの人生を大きく変えることになり、後々ランドは後悔と希望を味わうことになる。
◆◆◆
「ミィナ…」
洗濯物を取り込んでいたミィナは、主人の声に驚いて振り向いた。
「お嬢様!?」
スノーリアがこんな日差しの強い中、屋内から出てくることなど滅多にない。
九月に入ったとは言え、日中はまだ夏の名残を残している。
しかもスノーリアは、日除けの布も、日傘も差してはいなかった。
「お嬢様いけません。お部屋にお戻りに…」
「ミィナ」
ミィナの言葉を遮るように、スノーリアは彼女の名を呼んで右手をそっと握った。
そのまま額に押し戴くようにして持ち上げる。
「お嬢様…?」
いつもとは違う様子の少女に、ミィナは戸惑った。
「ミィナ、私、王女様のお怪我を治して差しあげたい」
ミィナは、はっと息を飲んだ。
ティアリーゼ王女の噂なら聞いたことがある。
ただ、なぜそのことをスノーリアが知っているのか。
知れば、きっとこの少女は心を痛めるとわかっていた。
だから屋敷の中で、その話題が上ることはなかったはず。
ただ本当の意味で、スノーリアに教えてはいけないと理解している人間は少ない。
屋敷の中でそれを知っているのは、アーネストとミィナ、そしてミィナの兄のアディだけだ。
一体誰が、と内心で舌打ちをするが、すでにスノーリアが知ってしまった以上、責めてもどうしようもない。
「お城の治癒術師様でも治せない傷なんでしょう?」
ミィナの様子から、王女の件を知っていると読み取って、スノーリアは続けた。
「……そのようです。怪我を負ってから、治癒魔法をかけるまでの時間が開きすぎたため、跡が残ってしまったと」
もちろん薬による治療は受けていただろうが、どうしても魔法の回復よりも劣る。
そして、この国に所属する治癒術師は二人しかいない。
治癒魔法の使い手は希少なのだ。
戦争の間、そのたった二名の治癒術師が駆り出されるのは自明の理だった。
王都から戦地まで、馬でも片道十日はかかる。
例えすぐに召還しても、傷痕を残さず完治させることは不可能だっただろう。
王女はまだ若い。
治癒魔法を根気よくかけ続けていれば、何年か後には跡は薄くはなる可能性はある。
それがどのくらいの期間で、どこまで薄くなるかは不明だが。
「……お父様は、お城に行くと言ったら、きっと反対されるでしょうね」
「それは、間違いなく」
娘がそう言い出すことを恐れての箝口令だ。
スノーリアには、強い治癒魔法が備わっている。
それこそ、四肢の欠損すら完全に治せるほどの力が。
ミィナは、それを目の当たりにした過去がある。
自分と兄を救ってくれた力だ。
その力故に、スノーリアは屋敷から出ることを父に禁じられた。
権力者に目をつけられれば、子爵家の力では守りきれないからと。
「ありがとう、ミィナ。私を守るために知らせないようにしてくれてたのに……なのに、ごめんなさい」
それでも自ら権力者の元に赴くと決めてしまった。
スノーリアは瞳を伏せ、申し訳なさそうに眉を下げる。
「お嬢様、謝らないでください。ミィナは、お嬢様がどんな道を選ばれてもお嬢様の味方です。たとえお屋敷を出ることになったって、お嬢様に着いていきます」
「でも、私が力を公表すれば、もうミィナたちは自由になれるのよ?」
スノーリアの持つ力を知る故に、ミィナと兄のアディはこの屋敷から出ることができなかった。
そのことを、スノーリアはずっと心苦しく思っていたのだ。
「そもそもお嬢様に力を使わせたのは私です。私が今生きているのも、ここにいるのも、お嬢様がいらっしゃるからです。お嬢様のお側にいたいからいるんです。お忘れですか?」
一片の迷いもなく、ミィナは言い切った。
スノーリアは泣き笑いのような表情で、鼻をすする。
「……ありがとう、ミィナ」
もう、心は決まっていた。
いつもでも、箱庭の世界で守られているわけにはいかない。
「私、治癒術師を目指そうと思う」